+構造
KhTZ-16対戦車自走砲の車体のベースとなったSTZ-3装軌式牽引車は、NATIがイギリスのヴィッカーズ・アームストロング社製のカーデン・ロイド豆戦車や、アメリカのインターナショナル・ハーヴェスター社製のTA-40農業用牽引車を参考に1933年に開発に着手し、1937年からSTZとKhTZで量産が開始された軍用・農業用の牽引車で、戦後の1952年まで生産が続けられてその総数は191,000両に上る。
STZ-3牽引車は車体前部の機関室にエンジンが配置され、車体後部が操縦室となっていた。
KhTZ-16対戦車自走砲への改造にあたっては、本車は早急な実戦化が求められていたため車内レイアウトには大きな手を加えず、車体前部を機関室、車体後部を操縦・戦闘区画とした。
車体は、STZ-3牽引車の元の車体をそのままぐるりと装甲板で囲むような構造になっており、ちょっと張りぼて然としていた。
主要部の装甲板の厚さは10〜25mmとなっており、敵の戦車砲弾の直撃に耐えることは不可能で、小火器弾の直撃や榴弾の破片に対する防御力しか備えていなかった。
主砲の46口径45mm戦車砲20Kは車体後部の戦闘室の前面に限定旋回式に装備され、主砲には横に広いかまぼこ型の防盾が装備されていた。
本車の主砲に採用された45mm戦車砲20Kは、ドイツのラインメタル社製の45口径3.7cm対戦車砲PaK36を第8砲兵工場の手で拡大コピーした46口径45mm対戦車砲19Kを戦車砲に改修したもので、AP-HE(徹甲榴弾)を使用した場合射距離500mで46mm、1,000mで32mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能であった。
また主砲の右側には、副武装として7.62mm空冷機関銃DTが1挺同軸装備される場合が多かったようである。
戦闘室内には3名の乗員が搭乗し、右側に操縦手、その後方に装填手、主砲を挟んで左側に砲手兼車長が位置した。
戦闘室の右側面と後面には右開き式の角形ハッチが1枚ずつ設けられており、操縦手の視察用にスリット付きのフラップが操縦手席の前面に備えられていた。
さらに操縦手席の右側面および砲手席の左側面と前面には、視察用スリットが設けられていた。
車体前部の機関室の左右側面には、エンジンにアクセスするための前開き式の角形ハッチが1枚ずつ設けられていた。
エンジンの冷却気は機関室上面に3枚設けられた装甲板付きの吸気スリットから取り入れられ、車体前部下方に排気された。
KhTZ-16対戦車自走砲のエンジンは、STZ-3牽引車に搭載されていた1MA 4ストローク直列4気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量7,460cc、出力52hp)がそのまま用いられた。
なお資料によっては、本車のエンジンはガソリンではなく灯油を燃料にしていたと記述している。
それによると1MAエンジンの始動は手動のハンドルで行い、始動のためには始動用タンクがあって、そこにはガソリンが使われたという。
燃料搭載量は主燃料の灯油が170リットルで、始動用のガソリンは9リットルであった。
搭載燃料での航続距離は整地で120km、不整地で65kmとなっていた。
変速機は前進5段/後進1段で、直接後部車体フレームに取り付けられていた。
主クラッチは、単板式乾式であった。
操向機はクラッチ・ブレーキ式で、操縦手は操向レバーを操作して操縦する。
電力は単線式で電圧は6.5V、電力源として出力60WのG-32発電機を搭載していたが、無線機は搭載していなかった。
サスペンションはバランス式で、緩衝にはコイル・スプリング(螺旋ばね)が用いられていた。
転輪はゴム縁付きで、2個ずつペアにして横置きコイル・スプリングで懸架したユニットを2組アームで連結して、サスペンションを構成していた。
上部支持輪もゴム縁付きで、片側2個装着されていた。
起動輪は後部にあり冠歯式、誘導輪は前部にあり履帯の張度調整装置付きであった。
KhTZ-16対戦車自走砲の履帯はSTZ-3牽引車のものではなく、よりピッチの狭いSTZ-5装軌式牽引車のものが流用されていた。
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