ケッチェン装甲兵員輸送車
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ケッチェン装甲兵員輸送車(アウト・ウニオン社製試作車)
ケッチェン装甲兵員輸送車(BMM社製試作車)
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+開発
ドイツ陸軍は第2次世界大戦において、半装軌式のSd.Kfz.250/Sd.Kfz.251シリーズを主力APC(装甲兵員輸送車)として運用したが、これらは全装軌式の車両に比べて不整地での機動性能が劣っていたため、不整地において主力戦車に随伴するのが困難であった。
そこで1943年後半、ドイツ陸軍兵器局は全装軌式で兵員6~8名を収容可能な新型APC、「ケッチェン」(Kätzchen:子猫)の開発を企画した。
なお古い資料では、ケッチェンAPCの開発はケムニッツのアウト・ウニオン社(Auto Union:自動車連合)と、チェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische
Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)に競作という形で依頼されたとされていたが、実際は当初アウト・ウニオン社へ単独発注され、後にBMM社に発注先が変更されたというのが真相のようである。
アウト・ウニオン社に開発発注されたケッチェンは、当時カールスルーエのアルグス社が開発を進めていたE-25駆逐戦車の走行装置を流用し、車体デザインは避弾経始を重視して、パンター戦車やティーガーII戦車のように全体に傾斜装甲を採り入れることになっていた。
またエンジンを車体後部右側に搭載し、左側に兵員室との連絡用通路を設けて、車体後面のドアから乗員がスムーズに乗降できるようにすることも求められた。
一方、第2次大戦時に開発された連合軍の全装軌式APCとしては、カナダ製のラム巡航戦車の車体をベースに開発されたカンガルーAPCが存在するが、カンガルーは戦車の車体をほぼそのまま流用していたため、乗降用のドアは備えておらず、兵員は車体側面をよじ登って乗降しなければならなかった。
このように全装軌式APCの開発においても、ドイツ軍は連合軍より先を行っていたようである。
アウト・ウニオン社が設計したケッチェンの試作車は1944年初期に2両が完成し、ドイツ陸軍による試験に供された。
ケッチェンの試験の結果については不明であるが、当時戦局は急速に悪化しており、兵器局はアウト・ウニオン社を他の軍用車両の生産に専念させるため、同社にケッチェンの開発を中止するよう命じた。
そして前述のように、チェコのBMM社に対して全装軌式の新型APCを開発するよう命じた。
この車両は「38(t)全装軌式偵察車ケッチェン」(Vollkettenaufklärer 38(t) Kätzchen)と呼ばれたが、早急に実戦化するため一から新規開発するのではなく、BMM社がドイツ陸軍向けに開発したヘッツァー駆逐戦車の車体をベースに、これを改造する形でできるだけ短期間で開発することが要求された。
BMM社は兵器局の要求に応じて大急ぎでケッチェンの開発作業を開始したが、当時同社はヘッツァー駆逐戦車とその派生型の生産で手一杯だったため、結局ケッチェンは試作車が完成したのみで量産には至らなかったようである。
一方、 アウト・ウニオン社が製作したケッチェンの試作車は試験に供された後、大戦末期に実戦投入されて1両がアメリカ軍に撃破・鹵獲されている。
アウト・ウニオン社製ケッチェンの写真は、この鹵獲された車両の不鮮明なものしか残されておらず、細かいディテールについてはよく分かっていない。
一方、BMM社が開発したケッチェンの試作車については、製作中の鮮明な写真が残されているので細かなディテールが判明している。
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+構造
アウト・ウニオン社が設計したケッチェンAPCの車体は、サイズこそかなり小さいものの、ちょうどティーガーII戦車の車体部分をそのまま流用したような傾斜装甲で構成された形状になっており、走行装置もティーガーII戦車と同様に、ゴム内蔵式の鋼製転輪がオーバーラップ(挟み込み)式に配置されていた。
車体のサイズは全長4.22m、全幅2.34m、全高1.45m、車体装甲厚は前面上部20mm/60度、前面下部20mm/20~55度、側面上部15mm/45度、側面下部20mm/0度、後面20mm/30度となっていた。
車内レイアウトは車体前部が左側に操縦手、右側に車長兼機関銃手が位置する操縦室、車体中央部が8名の兵員を収容する兵員室、車体後部右側が機関室、後部左側が乗員の連絡用通路となっていた。
前述のように、ケッチェンは一からAPCとして新規設計されているだけに、通常のAFVでは車体後部の中央に搭載されているエンジンを後部右側に移設し、左側には連絡用通路を設けて、乗員が車体後面左側のドアから安全に乗降できるように考慮されていた。
車体前面には、左側に操縦手用の視察ヴァイザーが設けられていた他、右側にはボールマウント式機関銃架が備えられており、車長兼機関銃手が操作する自衛用火器である、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34を装備していた。
このボールマウント式機関銃架は、従来のドイツ軍車両のものとはかなり形状が異なっており、ソ連軍のT-34中戦車のものに形状がよく似ていた。
車体中央部の兵員室内には、左右に兵員4名用のベンチシートがそれぞれ置かれており、搭乗兵員は向かい合わせに座るようになっていた。 なお、写真を見ると一見兵員室は完全密閉式のように見えるが、実際はSd.Kfz.250/Sd.Kfz.251シリーズと同じくオープントップ式であり、乗員の防護より乗降の利便性や製造コストを優先した設計になっていた。
エンジンについては、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所が新たに開発した、HL50P 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量4,995cc、出力200hp/4,000rpm)が採用された。
このエンジンにより、本車は路上最大速度55km/hの機動性能を発揮した。
前述のように、走行装置についてはE-25駆逐戦車のものが流用されており、転輪装着アームの基部にコイル・スプリング(螺旋ばね)を内蔵し、片側5個の鋼製転輪がオーバーラップ式に取り付けられていた。
なお転輪、履帯などはパンター戦車のものを流用することが予定されていたが、試作車の写真を見ると、履帯はパンターのものより明らかに幅が狭いものが装着されており、転輪もパンターとは異なるものが使用されていたようである。
一方、BMM社が製作したケッチェンの試作車は、開発期間を短縮するためにヘッツァー駆逐戦車のコンポーネントを多く流用していた。
シャシーや走行装置についてはヘッツァーのものをほぼそのまま流用しており、密閉式の戦闘室と主砲を撤去して、新たに設計されたオープントップ式の上部構造が搭載された。
アウト・ウニオン社のケッチェンと同様にエンジンは車体後部右側に移設され、左側に通路を設けて、乗員が車体後面左側のドアから乗降できるように配慮されていたが、乗降用ドアについてはアウト・ウニオン社の試作車が左開きの1枚式だったのに対し、BMM社の試作車は観音開き式になっていた。
また、BMM社の試作車には車体前面のボールマウント式機関銃架が設けられておらず、代わりに操縦室の右側前方に、Sd.Kfz.250/Sd.Kfz.251シリーズと同型の防盾付き機関銃架が装備されていた。
原型のヘッツァーでは戦闘区画となっていた車体中央部は、左右に搭乗兵員用のベンチシートを向かい合わせに配置した兵員室に改装された。
エンジンは、チェコ・コプジブニツェのタトラ社が新たに開発した出力280hpの空冷ディーゼル・エンジンを採用し、路上最大速度64km/hというアウト・ウニオン社製試作車を上回る機動性能を発揮した。
またBMM社のケッチェンは、装甲厚や収容兵員数でもアウト・ウニオン社の車両を上回っていたといわれており、量産化が実現しなかったのが惜しまれる。
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<ケッチェン装甲兵員輸送車(アウト・ウニオン社製試作車)>
全長: 4.22m
全幅: 2.34m
全高: 1.45m
全備重量:
乗員: 2名
兵員: 8名
エンジン: マイバッハHL50P 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 200hp/4,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離:
武装: 7.92mm機関銃MG34×1
装甲厚: 15~20mm
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<参考文献>
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ドイツ試作/計画戦闘車輌」 箙浩一/後藤仁 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(3) 装軌/半装軌式戦闘車輌:1918~2000」 デルタ出版
・「ジャーマンタンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
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