+概要
第1次世界大戦中にドイツ陸軍が開発を進めていた戦闘車両の中で最も野心的なものが、「Kヴァーゲン」と呼ばれる超重戦車であった。
全長13m、戦闘重量は148tというから、第2次世界大戦も含めて世界で一、二を争う巨大重戦車であったことが分かる。
Kヴァーゲン重戦車はA7V委員会の依頼で1917年12月に開発が発注された巨大突破用戦車で、1919年には実用化することが要求されていた。
本車の設計を担当したのは、A7V突撃戦車と同じヨーゼフ・フォルマー技師であった。
Kヴァーゲン重戦車の形態は、巨大な装甲箱の下部に2本の履帯が覗いているといった感じであった。
A7V突撃戦車と違って履帯は車体全体の高さを持っており、この辺りはイギリス陸軍の菱形戦車シリーズの影響が見受けられる。
ただし菱形戦車のように上部の履帯は露出しておらず、装甲でカバーされていた。
装甲厚は最大30mmで、A7V突撃戦車と変わらない。
武装は菱形戦車と同じく車体の左右側面にスポンソン(張り出し砲座)を設けて搭載するようになっており、左右のスポンソンには前後に向けて各々7.7cm加農砲(計4門)が装備されていた。
また副武装の7.92mm液冷重機関銃MG08は、車体各部に合計7挺が取り付けられていた。
主砲弾薬は800発、機関銃弾は21,000発も搭載された。
これらを扱うため乗員は全部で22名にもなっており、本車はまさに陸上戦艦というべきものであった。
なおKヴァーゲン重戦車はあまりに大き過ぎるため、鉄道輸送時には4分割して輸送できるようになっていた。
エンジンは、出力650hpのダイムラー自動車製航空機用ガソリン・エンジンが2基搭載された。
大出力エンジンのため、クラッチは電磁クラッチが使用された。
路上最大速度は、7.5km/hの発揮が見込まれていた。
履帯はローラー式で、大重量を支えるためかなり幅広であった。
ただ本車は全長が長い一方で左右の履帯の間隔が狭いので、操縦性や安定性に難があったと思われる。
Kヴァーゲン重戦車の製作作業は資材欠乏などのため予定通りには進まず、1918年11月の第1次世界大戦終結時には2両が製作途中で残されたに留まった。
そしてこの2両も、1919年に連合軍占領統制委員会によって破壊されてしまった。
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