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IS-7重戦車





●開発

1944年初期にドイツ軍が実戦化した新型重戦車ティーガーIIは、当時最高の威力を誇っていた71口径8.8cm戦車砲KwK43を装備し、最大装甲厚が砲塔で180mm、車体で150mmという文字通り世界最強の戦車であった。
当時のソ連軍の主力重戦車であったIS-2重戦車は、前作のティーガーI重戦車に対抗するために開発されたものであったため、このティーガーII重戦車に対しては分が悪いのは明白であった。

このためIS-2重戦車の開発を手掛けた第100キーロフ工場の第2特別設計局(SKB-2/主任技師Zh.Ya.コーチン)は、工場が疎開先のチェリャビンスクから故郷のレニングラード(現サンクトペテルブルク)に帰還した1945年になって、ティーガーII重戦車に対抗可能な新型重戦車の開発に着手した。
当初「オブイェークト260」と命名されたこの新型重戦車の設計は、G.N.モスクヴィン技師(N.F.シャシムリン技師とする資料もある)の手に委ねられた。

幸運なことに工場が故郷のレニングラードに戻ってきたおかげで、市内にあったソ連海軍の研究所で開発された艦艇用のコンポーネントをオブイェークト260に導入することが可能となった。
具体的には魚雷艇用の大出力ディーゼル・エンジンや、高い対装甲威力を持つ130mm艦艇砲などであった。
これらを戦車用に新規開発するのは時間的にもコスト的にも大きな負担であったが、艦艇用のものを流用すれば非常に安上がりで済んだのである。

完成したオブイェークト260の設計案は1946年2月12日付の第350-142決議において承認され、「IS-7」の呼称で製作が承認された。
この時点ですでに第2次世界大戦は終結しており、当初の開発目的であったティーガーII重戦車との交戦機会は失われていたものの、戦後のアメリカを中心とする西側諸国との対決に備えてIS-7重戦車の開発は続行されることになったのである。

IS重戦車シリーズは、ロシアの歴史上稀代の独裁者であるイォーシフ・スターリン首相の名を冠した栄誉ある重戦車であったため、その開発に携わる技術者たちは常に世界最強を目指さなければならないという強いプレッシャーに苛まれていた。
IS-7重戦車はシリーズの中でも特にそれが色濃く反映された戦車に仕上がっており、攻撃力、防御力、機動力の全ての面でカタログスペック的に最高のものを目指すことを第一義として設計されていた。

1948年初頭にはIS-7重戦車の試作第1号車が完成したが、試作車の生産数については資料によって1両説、4両説、7両説が存在し、正確な生産数は不明である。
ただ、IS-7重戦車は2種類の変速機が試作されて性能比較試験が行われていることから、試作車が2両以上製作されたことは間違いないと思われる。

IS-7重戦車は攻撃力、防御力、機動力の全ての面でティーガーII重戦車を凌駕する非常に強力な戦車であった。カタログスペック的には、1960年代に西側諸国が開発したM60戦車やチーフテン戦車などの戦後第2世代MBTにすら匹敵する存在であった。
しかしその反面、IS-7重戦車は戦闘重量68tと従来のソ連製戦車に比べて極端に重量が大きく、ソ連軍の戦車運用思想とは大きくかけ離れた存在となってしまった。

ソ連軍機甲総局(GBTU)は2つの理由から、IS-7重戦車の重量についてとても不適切であると考えていた。
まず過大な重量では限定された道路や鉄道網しか利用できず、また重量に耐えられる橋も少ないので用兵が困難になること。
さらに重い重量は製造・運用のどちらにおいても、潜在的に高コストとなってしまうこと。

またIS-7重戦車は最大速度での走行試験の際、過大な重量に鋼製転輪に内蔵している緩衝材のゴムが過熱して損傷し、足周りの故障やそれに起因する事故が絶えなかった。
結局1949年にIS-7重戦車は開発中止が決定され、現在は試作車1両がクビンカの装甲車・戦車科学技術研究所(NIIBT)付属博物館で余生を過ごしている。


●構造

IS-7重戦車は、以前にSKB-2が開発したIS-5重戦車(2代目)の基本レイアウトを受け継いでいたが、実質的には全く異なる新規設計の重戦車であり、ロシアの戦車開発史の中でも特筆すべき存在といえる。
主砲については、ソ連海軍の駆逐艦の主砲である50口径130mm艦艇砲B-13をベースに、ゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)の第92スターリン砲兵工場(主任技師V.G.グラービン)でさらなる改良を加えた54口径130mm戦車砲S-70(S-26とする資料もある)を採用していた。

この砲は電動により旋回・俯仰し、砲身先端には多孔式の砲口制退機が装着されていた。
弾頭重量33.4kgの徹甲弾を使用した場合、砲口初速900m/秒、射距離1,000mで230mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能で、ティーガーII重戦車の主砲を上回る対装甲威力を備えていた。
IS-7重戦車で特徴的なのは副武装の豊富さで、同軸機関銃兼標定銃として主砲防盾の上部と、車長向けの対空機関銃として14.5mm重機関銃KPVTを1挺ずつ装備していた。

さらに主砲防盾の左右にも同軸機関銃として7.62mm機関銃SGMTを1挺ずつ装備していた他、砲塔の左右側面後部と車体の左右側面後部にも、それぞれ車内からの遠隔操作によって射撃する7.62mm機関銃SGMTを収めた装甲ボックスを装着し、砲塔の機関銃は後方に、車体の機関銃は前方にそれぞれ射撃するという、全身ハリネズミのような強固な武装を備えていた。

ただし装甲ボックスに収めた7.62mm機関銃は固定式で照準の調整ができず、肉薄する敵歩兵を撃退するために弾丸をばらまく目的で使用されたためすぐに弾切れを起こした。
弾薬を再装填するにはわざわざ車外に出なければならないため、あまり実用性は高くなかったようである。
なお主砲の弾薬は分離装薬式となっていたが、その大重量故に装填手を2名必要としたので砲塔内には4名の乗員が収まることになった。

このためIS-7重戦車は従来のソ連製戦車に比べて砲塔が巨大になり、その影響で車体サイズも大型化してしまったが、装填手を2名としたことに加え機械式の装填補助装置を導入したことで、主砲の発射速度は6〜8発/分と口径の割にはかなり早かった。
主砲弾薬の搭載数は25〜30発といわれるが弾薬庫の配置は不明で、砲塔後部のバスル上部に弾丸が、下部に薬莢がそれぞれ6発ずつ収められていたことしか判明していない。

IS-7重戦車はこの重武装に加えて砲塔前面の装甲厚は210mm(250mmとする資料もある)、車体前面は上部150mm、下部100mmという強固な装甲とされ、優れた避弾経始と相まって装甲防御力についてもティーガーII重戦車を上回っていた。
しかしその結果として本車は戦闘重量68tに達するものと試算され、エンジンは従来の戦車用エンジンではパワー不足だったため、魚雷艇用のM-50T V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力1,050hp)が採用された。

IS-7重戦車の変速機は前進6段/後進1段と前進8段/後進1段の2種類が開発され、それぞれ試作車に搭載されて比較検討が行われた。
試作車による試験の詳細は明らかにされていないが、IS-7重戦車は路上最大速度59km/hという驚異的な速度を記録したという。

ただし、いかに1,050hpという大出力エンジンを搭載したとはいっても、68tという大きな戦闘重量と車体長7.4m、全幅3.4mという大柄な車体サイズを考えると、この数字の信憑性には疑問符が付く。
なお、IS-7重戦車の試験ではこの機関系に起因する問題が多発したというが、その詳細についてもやはり明らかにされていない。

機関室のレイアウトはIS-5重戦車(2代目)と同じだったが、冷却ファンが小型化されて左右それぞれ2基ずつの並列配置となり、機関室後部の形状が変化したことで排気グリルの形状も大きく変わった。
IS-7重戦車の履帯は鋳鋼製で、大重量を支えるために700mmという幅広のライブピン方式のものが採用されていた。

駆動方式は従来のソ連軍重戦車と同様にリアドライブ方式を採用しており、サスペンションも同様にトーションバー(捩り棒)方式を採用していたが、転輪は大直径の鋼製転輪が片側7個使用されており、上部支持輪は省かれていた。
これはIS-5重戦車(2代目)と同様、旧ドイツ軍のティーガー重戦車やフェルディナント重突撃砲などの足周りを参考にしたものと思われる。

確かに通常のゴム縁付き転輪に比べて、鋼製転輪は強度が高く大重量の車両に適していたが、ドイツ軍重戦車のような大直径の鋼製転輪はIS-7重戦車のような高速な車両には適しているとはいい難く、本車が走行系の不具合が多発した原因の1つとなった可能性が高い。


●派生型

いずれも机上の空論に終わったが、IS-7重戦車をベースとする派生型の開発計画が複数存在する。
それが火力支援型のオブイェークト261-1〜3と、駆逐戦車型のオブイェークト263であった。
いずれもIS-7重戦車の車体を流用したもので、オブイェークト261-1は固定戦闘室に47.2口径152mm加農砲Br-2を車載化したM-31を限定旋回式に搭載する計画であった。

この車両のユニークな点はIS-7重戦車の車体を逆にして前方に機関室を配し、車体後部を大きな戦闘室とするという旧ドイツ軍のフェルディナント重突撃砲と同様のレイアウトを採用していた点である。
ただしオブイェークト261-1の戦闘室はフェルディナントのような完全密閉式ではなく、後方はオープントップとなっていた。

一方オブイェークト261-2は、オブイェークト261-1と同じレイアウトを踏襲しながら車体後方の戦闘区画に長砲身の152mm加農砲M-48を限定旋回式に搭載し、オブイェークト261-1と同形態の固定戦闘室を配したスタイルにまとめられていた。
なおこのオブイェークト261-2は、後にオブイェークト262に改称されたという。

そしてオブイェークト261-3はやはりオブイェークト261-1/2と同じレイアウトを採用していたが、主砲は57口径180mm艦艇砲B-1-Pを車載化したMU-1に換装されて打撃力のさらなる強化が図られていた。
オブイェークト261-3は装甲も強化されており、装甲厚は戦闘室前面で215mm、車体前面で150mmという自走砲としては異例のものであった。

駆逐戦車型のオブイェークト263は、やはりオブイェークト261シリーズと同様にIS-7重戦車の車体を前後逆にして流用していたが、戦闘室は全高が下げられた完全密閉式の専用型に換わり、主砲はIS-7重戦車の54口径130mm戦車砲S-70の改修型であるS-70Aが搭載された。
車体と戦闘室前面の装甲厚は250mmで、側面も70mmという強固な装甲とされたが、当然ながら機動性能はIS-7重戦車よりも劣ったことは間違いないであろう。


<IS-7重戦車>

全長:    11.48m
車体長:   7.38m
全幅:    3.40m
全高:    2.48m
全備重量: 68.0t
乗員:    5名
エンジン:  M-50T 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 1,050hp/1,850rpm
最大速度: 55〜60km/h
航続距離: 300km
武装:    54口径130mmライフル砲S-70×1 (25〜30発)
        14.5mm重機関銃KPVT×2 (1,000発)
        7.62mm機関銃SGMT×6 (6,000発)
装甲厚:   20〜210mm


兵器諸元


<参考文献>

・「世界の戦車イラストレイテッド2 IS-2スターリン重戦車 1944〜1973」 スティーヴン・ザロガ 著  大日本絵画
・「パンツァー2019年3月号 IS-3と第二次大戦後のソ連重戦車」 古是三春 著  アルゴノート社
・「パンツァー2006年12月号 IS-7重戦車入門(1)」 佐藤慎ノ亮 著  アルゴノート社
・「パンツァー2007年1月号 IS-7重戦車入門(2)」 佐藤慎ノ亮 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2018年12月号 ソ連軍重戦車 T-10」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(下)」 古是三春 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年10月号 ソ連軍重戦車(3)」 古是三春 著  デルタ出版
・「ソ連・ロシア軍 装甲戦闘車両クロニクル」  ホビージャパン


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