IS-5重戦車
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オブイェークト248重戦車
オブイェークト730重戦車
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ロシアの戦車開発史上、「IS-5」という呼称が与えられた重戦車は現在のところ3種類存在したことが確認されている。
これらは混同されることも多いので、以下にそれぞれの詳細について記述する。
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+IS-5重戦車その1(オブイェークト248)
Zh.Ya.コーチン技師を長とする、チェリャビンスク・キーロフ工場の第2特別設計局(SKB-2)によって開発された新型重戦車IS-85(オブイェークト237)は、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)の第9砲兵工場(1942年にウラル重機械工場(UZTM)から分離独立)のF.F.ペトロフ技師が、55.2口径85mm高射砲52K(M1939)を基に設計した51.6口径85mm戦車砲D-5Tを主砲に採用しており、1943年10月より量産が開始された。
しかし、直後に同じ85mm戦車砲を装備するT-34-85中戦車が完成したため、より大柄なIS重戦車の主砲には85mm戦車砲D-5Tでは小さ過ぎると判断され、より強力な砲に換装されることになった。
新しい主砲には、ソ連海軍の100mm艦艇砲B-34をベースに開発された56口径100mm戦車砲S-34と、46.3口径122mm野戦加農砲A-19を戦車砲に改造したものが候補に上がり、S-34を装備する試作車「IS-100」(オブイェークト248)と、A-19を装備する試作車「IS-122」(オブイェークト240)が製作されて試験に供された。
その結果、装甲貫徹力については100mm戦車砲S-34の方が優れていたものの、この砲は開発されたばかりで早期の生産開始が困難であり、一方122mm加農砲A-19の方は、ほとんど改造を加えること無く85mm戦車砲D-5Tの砲架に搭載することができるという利点もあったため、結局122mm加農砲A-19を装備するIS-122重戦車がソ連軍に制式採用されることになった。
その後、機密保持の目的から呼称の単純化が決定され、IS-85重戦車は「IS-1」に、IS-122重戦車は「IS-2」に、そしてIS-100重戦車は「IS-5」へとそれぞれ改称されている。
このオブイェークト248が、3種類存在するIS-5重戦車で最初に「IS-5」の呼称が与えられた車両である。
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+IS-5重戦車その2(開発番号不詳)
1944年初め、SKB-2の主任技師コーチンはIS-2重戦車の量産が軌道に乗ったことを踏まえ、引き続く後継重戦車の開発を配下のSKB-2の技師たちに命じた。
当初「オブイェークト701」と命名された新型重戦車プランは、複数のチームが別々の企画で進めることになった。
一方、配下の技師たちが新型重戦車の設計にあたっている裏で、SKB-2の親玉であるコーチン技師自身も新機軸を盛り込んだ重戦車開発の模索を開始していた。
1944年前半に彼自身がデザインし、第100試作工場(チェリャビンスク・キーロフ工場の試作車製作部門)にモックアップを作らせたものに「IS-5」(開発番号不詳)というプランがある。
これがいわゆる、2番目のIS-5重戦車である。
このIS-5重戦車は端的にいうなら、IS-2重戦車にドイツ軍のパンター戦車のデザインを採り入れてリファインしたような姿をしており、大直径転輪を採用して上部支持輪を省いていた点も同じだった。
また機関室上面のグリルの形状がパンター戦車に酷似しており、コーチン技師が1943年7〜8月のクールスク戦以来、鹵獲されたドイツ軍の新型戦車を熱心に研究していたことが分かる。
結局IS-5重戦車自体はモックアップの製作のみに終わったが、後にこの車両にハイブリッド方式の機関系を組み込んだものが「IS-6」(オブイェークト253)として製作されることになった。
IS-6重戦車の試作車は1944年10月に完成したが、同車に採用されたハイブリッド式機関系はエンジンで発電機を駆動することで電力を発生させ、その電力を電気式モーターに伝えることで左右の起動輪をそれぞれ独立して駆動するというものであった。
しかし、IS-6重戦車は試験初日に発電機が走行時の過熱に耐えられずに爆発事故を起こし、その後も機関系のトラブルが絶えなかったため結局制式化されずに終わった。
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+IS-5重戦車その3(オブイェークト730)
1948年末、ソ連軍機甲総局(GBTU)はIS-3、IS-4の後継となる新型重戦車についての指針を発令した。
その第一の要請は、戦闘重量が50tを超過しないことであった。
この要請を受けたSKB-2は1949年2月からコーチン技師の主導の下、新たな重戦車プラン「IS-5」(オブイェークト730)の企画の進行を開始した。
このオブイェークト730が、いわゆる3番目のIS-5重戦車である。
しかし、今回のプランの具現化にあたってはコーチンは大胆な新機軸の採用を試みることは無く、登場時に「理想の重戦車」と将星たちから称賛されたIS-3重戦車をベースに、その間の試作戦車などで採用を図った新機構のエッセンスを少しずつ採り入れるような設計を行った。
まず機動性能面の改善についてはIS-4重戦車の経験を活かし、V-12 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力700hp)の改良型を搭載することとし、そのために車体長を同様に延長して片側7個の転輪が配置された。
一方、ラジエイターへの冷却送風機構としてエンジン排気のエネルギーを駆動させるブースターを新機軸として採用し、エンジン出力の費消と重量の増大を防いだ。
これが機構面で意外な成功を収め、良好な機動性能(最初の試作車で路上最大速度43km/h)を得ることができた。
車体の基本デザインは、避弾経始の極致として世界を驚かせたIS-3重戦車のものをほぼそのまま踏襲し、足周りは履帯、転輪や起動輪などを含め全体をIS-4重戦車から継承した。
また武装も122mm戦車砲と12.7mm重機関銃の組み合わせで、これもIS-4重戦車のスタイルを踏襲したものであったが122mm戦車砲はやや改良したタイプ(D-25TA)で、装甲貫徹力が従来のBR-471B
APCBC(風帽付被帽徹甲弾)よりも高いBR-472 APCBCを採用していた。
チェリャビンスク・キーロフ工場では1949年中にIS-5重戦車の増加試作車を10両製作し、1950年5月にはクビンカの装甲車・戦車科学技術研究所(NIIBT)の試験場において国家試験が実施され、これを経てIS-5重戦車の量産入りが決定された。
しかし、実際の量産開始はそれからさらにずれ込むこととなった。
というのは、本車に搭載される予定のV-12-5 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンについて、実用上も生産設備の整備上も問題があると指摘され(本エンジンの生産と供給は、他の戦車生産との兼ね合いからトルクメン共和国のマールィ市に建設された工場が担当することになっていたが、技術基盤の面で困難に直面したようである)、エンジンの安定供給の目処がなかなか立たなかったのである。
この状況は1952年12月まで続き、その間コーチン技師らは作業停滞の責任を被らされるのを避けるためIS-9、IS-10などの新たな重戦車プランの策定を行っていたようである。
また前述のように、「IS-5」という呼称を与えられた重戦車がすでに2種類存在したことから、これらとの混同を避けるために番号の整理が行われ、オブイェークト730には新たに「IS-8」という呼称が与えられることになった。
そうした間に、全ての事情を激変させる状況の変化が生じた。
1953年3月5日、ロシアの歴史上稀代の独裁者であったI.V.スターリン共産党書記長が死去したのである。
スターリンの死後、ソ連共産党・政府指導部内では急速に非スターリン化の流れが広まり、スターリンの寵児であったG.M.マレンコフからわずか9日で共産党書記長の座を奪取した改革者N.S.フルシチョフが、1956年のソ連共産党第20回党大会で歴史的なスターリン批判報告を行うに至った。
このような非スターリン化の流れを受けて、スターリン重戦車シリーズの最新型「IS-8重戦車」として制式化される予定であったオブイェークト730は、1953年11月28日に「T-10重戦車」としてソ連軍に制式採用されることが決まった。
1953〜66年にかけて生産されたT-10重戦車シリーズは総生産数が約8,000両を数え、史上最後に量産されかつ最も大量生産された重戦車となったのである。
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<IS-5重戦車(オブイェークト248)>
全長: 9.60m
車体長: 6.77m
全幅: 3.07m
全高: 2.735m
全備重量: 45.32t
乗員: 4名
エンジン: V-2-IS 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 600hp/2,000rpm
最大速度: 37km/h
航続距離: 150km
武装: 56口径100mm戦車砲S-34×1 (36発)
7.62mm機関銃DT×2
装甲厚: 20〜160mm
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<IS-5重戦車(オブイェークト730)>
全長: 9.88m
車体長: 7.04m
全幅: 3.38m
全高: 2.46m
全備重量: 50.0t
乗員: 4名
エンジン: V-12-5 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 700hp/2,000rpm
最大速度: 42km/h
航続距離: 250km
武装: 43口径122mm戦車砲D-25TA×1 (30発)
12.7mm重機関銃DShK×2 (1,000発)
装甲厚: 16〜200mm
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<参考文献>
・「世界の戦車イラストレイテッド2 IS-2スターリン重戦車 1944〜1973」 スティーヴン・ザロガ 著 大日本絵画 ・「パンツァー2010年11月号 ソ連生まれの最後の怪物 T-10」 小野山康弘 著 アルゴノート社
・「パンツァー2007年3月号 甦った”汎用戦車” IS-8 (1)」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2007年4月号 甦った”汎用戦車” IS-8 (2)」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2018年12月号 ソ連軍重戦車 T-10」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著 ガリレオ出版 ・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(下)」 古是三春 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2000年9月号 ソ連軍重戦車(2)」 古是三春 著 デルタ出版 ・「グランドパワー2000年10月号 ソ連軍重戦車(3)」 古是三春 著 デルタ出版
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