+概要
1944年初め、チェリャビンスク・キーロフ工場第2特別設計局(SKB-2)の主任技師Zh.Ya.コーチンは、IS-2重戦車の量産が軌道に乗ったことを踏まえ、引き続く後継重戦車の開発を配下のSKB-2の技師たちに命じた。
当初「オブイェークト701」と命名された新型重戦車プランは、複数のチームが別々の企画で進めることになった。
その内の1つが、M.F.バルジ技師のチームが進めた「キーロヴェツ1」である。
キーロヴェツ1の基本構想は1944年夏にはまとまり、SKB-2で集団的検討に付された。
バルジ技師が本車の設計にあたって何よりも念頭に置いたのは、限られた重量や装甲厚の限界の中で、最大効率で防御力を発揮し得る砲塔と車体のデザインであった。
バルジ技師はまず、被弾確率があらゆる角度で最も高い砲塔のデザインについて、角度の深い円錐形にすることにした。
また、砲塔上面に突き出た形の車長用キューポラについては廃止することとし、代わりに旋回式の視察ペリスコープ・マウントを採用した。
また、車体前面と共に斜め方向からの被弾確率が高い車体側面上部については、下側に切れ込む形の傾斜装甲を採り入れ全高を2.45mまで抑えた。
装甲厚は砲塔下部全周囲が220mm、砲塔上部と車体前面が110mmで、車体側面でも90mmもあったが、全体的にコンパクトにまとめられたデザインのおかげで戦闘重量はIS-2重戦車と同じ46tに収まった。
1944年8月12日、T-34-85中戦車によって撃破されたドイツ軍の新型戦車ティーガーIIを調査したソ連軍は、ティーガーI戦車登場以来のショックを受けることになった。
取り急ぎこのティーガーII戦車に対処するための対策が練られ、現行のIS-2重戦車と共通のコンポーネントを多用するキーロヴェツ1が、SKB-2が企画中の新型重戦車プランの中では最も早期に完成が期待できるものと見なされ、政府から直ちに開発作業を進めるよう裁可された。
SKB-2のN.L.ドゥホフ技師とA.S.イェルモラエフ技師は、バルジ技師のデザインを採り入れた試作重戦車「オブイェークト703」を1944年10月31日に完成させている。
完成したオブイェークト703重戦車は、主砲こそIS-2重戦車と同じ43口径122mm戦車砲D-25Tを採用していたが、砲塔、車体、サスペンション共に全く新たに設計されたものが用いられ、非常に洗練されたスタイルに仕上げられていた。
避弾経始の向上を図って車体側面、後面共に適度な傾斜角が与えられており、特に車体側面は、成形炸薬弾などから身を守るために外壁と内壁の間に空間を設けた空間装甲を採用していた。
ドイツ軍戦車の増加装甲にも空間装甲の思想が盛り込まれていたものもあったが、ここまで大胆に用いた車両は他に例を見なかった。
砲塔は極端に背の低い鋳造製のものが用いられ、その円錐形をした独特の形状は以後のソ連の戦車開発において多くの影響を残している。
このオブイェークト703重戦車は早速工場の試験場に送られ、性能調査が実施されている。
性能調査の結果、良好であると判断されたオブイェークト703重戦車はその後ソ連軍に制式採用され、呼称も「IS-3」と改められた。
1945年初めからIS-3重戦車の生産開始までに改良点を明確にするため、クビンカ兵器試験場において国家試験が実施された。
この試験はおよそ1945年4月頃まで継続され、車体前面装甲形状の変更を中心に幾つかの改修が必要であると結論付けた。
IS-3重戦車の車体前面は、試作車では圧延鋼板2枚を上下部分で組み合わせて溶接したものであったが、クビンカでの試験を経て、さらに避弾経始を改善するため前面上部の装甲板を2枚組みにし、車体前端部が三角錐の頂点になるようなデザインに変更されることになった。
これがシベリア産の川カマスの頭に形状が似ていたため、「シチュチー・ノス」(川カマスの鼻)と呼ばれるようになり、後にはIS-3重戦車を指すのに単に「シチュカ」(川カマス)と称されるようになることに繋がった。
そして早くも1945年5月には部隊への引き渡しが始まったが、5月9日のドイツ降伏までに完成したIS-3重戦車はわずかに29両に過ぎなかった。
これらの生産車は結局実戦に参加する機会は訪れず、1945年9月7日にベルリンで行われた連合軍の対独戦勝記念パレードによってその姿を明らかにすることとなった。
この戦勝パレードで公開されたIS-3重戦車は西側の軍事関係者に多大なショックを与えており、その後の戦車開発に長い影を落とすこととなる。
またこのパレードに参加したため、対日戦に参加する機会も失われてしまっている。
IS-3重戦車は1945年中に1,711両が生産され、一時量産が中止されたものの1948年に生産が再開され、1952年までに2,311両が完成した。
その後ハンガリー動乱や、供与されたエジプト軍とイスラエル軍との間の戦闘に投入され、砲火の洗礼を受けることになるが、これがソ連製重戦車が砲火を交えた最後のケースとなる。
その後、IS-3重戦車は近代化改修(1960年より順次実施。操縦手用暗視装置やサイドスカートの追加、T-55中戦車と共用のV-55 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力580hp)への換装等)を経て、1970年代いっぱいまではソ連軍の第一線装備に留まり、部隊配備から外された後も1993年頃までは予備装備として保持されていたという。
|