IS-1重戦車
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+概要
ソ連軍は、1943年1月に鹵獲したドイツ軍のティーガーI戦車を詳細に研究した結果、従来の76.2mm戦車砲搭載のT-34中戦車やKV-1重戦車では対抗するのが難しいという結論に達した。
これにより戦車工業人民委員部(NKTP)は1943年4月初め、Zh.Ya.コーチン技師を長とするチェリャビンスク・キーロフ工場の第2特別設計局(SKB-2)に対し、ティーガーI戦車より強力な主砲と装甲を有し、機動性にも優れる新型重戦車の早急な開発を命じた。
この要求に従ってSKB-2は1943年半ばまでに、51.6口径85mm戦車砲D-5Tを装備する試作重戦車オブイェークト237を完成させた。
このオブイェークト237の試作車は以前SKB-2が開発して試作の段階まで行きながら、ソ連軍に採用されること無く終わったKV-13試作重戦車(オブイェークト233)の鋳造車体をベースとして各部に改良を加えたものが用いられ、変速・操向機も新型のものを採用して機動性の向上が図られていた。
また砲塔も大型の鋳造製で、避弾経始が考慮されたものが新たに開発された。
主砲に採用された85mm戦車砲D-5Tは55.2口径85mm高射砲52K(M1939)を基に、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)の第9砲兵工場(1942年にウラル重機械工場(UZTM)から分離独立)のF.F.ペトロフ技師が設計したもので、弾薬は高射砲と共通のものを用いその弾道特性も全く同様のものであった。
この新型重戦車はイォーシフ・スターリン首相のイニシャルを採って「IS-85」と名付けられ、1943年7月31日にKV-85重戦車、ISU-152重突撃砲と共にモスクワのクレムリン宮殿でスターリンの前に展示された。
そして同年8月8日にはスターリンと共にV.モロトフ外務人民委員、L.ベリヤ内務人民委員、K.ヴォロシーロフ元帥らの側近、V.マールィシェフ戦車工業人民委員、フェドレンコソ連軍機甲総局総監ら列席の下、3車種の実用試験が行われた。
スターリンはこれら新型戦車がいたく気に入り、実用試験で信頼性を完全なものとした上で前線に1日も早く投入できるよう開発者たちに命じた。
1943年8月を通して行われた実用試験の中で、IS重戦車のパワートレイン並びにサスペンション関係に改善の余地があることが認められたが、同年9月4日付の最高司令部命令第4043号によりKV-85重戦車、IS-85重戦車、ISU-152重突撃砲の量産とソ連軍への装備開始が発令されることとなった。
IS-85重戦車の量産は1943年10月より始まったが、直後に同じ85mm戦車砲を装備するT-34-85中戦車が完成したため、より大柄なIS重戦車の主砲には85mm戦車砲では小さ過ぎると判断され、46.3口径122mm野戦加農砲A-19を基にペトロフ技師が設計した、43口径122mm戦車砲D-25Tに主砲を換装したIS-122重戦車が作られることになった。
これに伴い、IS-85重戦車の生産は1944年1月までに107両で打ち切られた。
そしてこれに代わって1943年12月から、IS-122重戦車の量産が始められた。
その後、機密保持の目的から呼称の単純化が決定され、IS-85重戦車は「IS-1」に、IS-122重戦車は「IS-2」へとそれぞれ改称されている。
IS-1重戦車が本当に実戦部隊に配備されたかは定かでなく、結局大部分のIS-1重戦車をIS-2に改修することが決定し、最終的に102両のIS-1重戦車が122mm戦車砲に換装されている。
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<IS-1重戦車>
全長: 8.56m
車体長: 6.77m
全幅: 3.07m
全高: 2.735m
全備重量: 44.16t
乗員: 4名
エンジン: V-2-IS 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 600hp/2,000rpm
最大速度: 37km/h
航続距離: 150km
武装: 51.6口径85mm戦車砲D-5T×1 (59発)
7.62mm機関銃DT×2 (2,520発)
装甲厚: 20〜120mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「世界の戦車イラストレイテッド2 IS-2スターリン重戦車 1944〜1973」 スティーヴン・ザロガ 著 大日本絵画
・「世界の戦車
1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「パンツァー2001年9月号 スターリン1&2重戦車」 古是三春 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2000年9月号 ソ連軍重戦車(2)」 古是三春 著 デルタ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「戦車名鑑
1939〜45」 コーエー
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