+概要
コヴェントリーのダイムラー社によって開発・生産されたダイムラー斥候車は配備先で好評価を受け、次第にその配備の要求が増えてきたが、ダイムラー社の生産能力では要求数に応じるのが不可能だったため、イギリス戦争省は国内大手自動車メーカーのルーツ・グループにも、斥候車の生産に参入するよう打診した。
ただし、ダイムラー斥候車の生産をそっくり請け負わせるのではなく、「斥候車」(Scout Car)の要件に適うならば、多少の変更は構わないという内容になっていた。
そこでルーツ・グループの設計陣は、グループ傘下企業であるコヴェントリーのハンバー社製の大型汎用車「ボックス」の足周りや動力装置を流用した、同クラスの斥候車を開発することとした。
4輪駆動のボックスならば路外走破性能も優秀で、しかも開発期間を大幅に短縮できるメリットがあったというわけである。
もっとも、シャシーに関してはボックスのものをそっくり用いるのではなく、斥候車用に形状が見直された。
具体的には、シャシー中央部を外側に向けて張り出した点と、前方にかけて補強用フレームを内側に追加した点が異なっていた。
その理由は車高を抑えつつ、ダイムラー斥候車より1名多い3名の乗員を収容できるスペースを確保しなければならなかったためである。
また、フロント・エンジンであったボックスのシャシーはリア・エンジン用に改められ、出力85hp、排気量4,088ccの直列6気筒液冷ガソリン・エンジンが搭載された。
変速・操向機は4速で、2速のトランスファーが付いていた。
サスペンションはリーフ・スプリングを使ったオーソドックスなもので、後輪は通常の縦置きだったが、前輪は横置きに配置したリーフ・スプリングを車体中央部で固定し、左右のスプリングが独立して作動するようになっていた。
全長3.81m、全幅1.88m、全高2.01m、ホイールベース2.31mというサイズの車体には、無線手(後方左側)、車長(前方左側)、操縦手(前方右側)の3名を収容し、充分な車内空間を確保するために乗員室を車幅いっぱいまで取り、形状もダイムラー斥候車と同様に算盤球状の断面を持たせていた。
また3名の乗員を効率よく収めるため、本車は乗員室左側が大きく張り出した、左右非対称の複雑なデザインとなっていた。
ただし装甲厚に関しては、ダイムラー斥候車の最大30mmから本車は最大20mmに低下していた。
これは、斥候車に求められる役割が次第に変化していったためで、指揮車両として使用されることが多くなったためより軽便さが求められるようになり、後発のハンバー斥候車は防御力を犠牲にして軽量化を図ったのである。
本車は固有の武装として乗員室上面に、エンフィールドロックのRSAF(Royal Small Arms Factory:王立小火器工廠)製の7.7mmブレン軽機関銃を1挺装備していたが、ユニークなのはその発射装置だった。
機関銃架には射手を防護する防盾が設けられていなかったが、これは機関銃の操作を車内から行うためで、左右に伸びた発射バーが発射装置となっていた。
戦闘の際には無線手が起倒式の座席を倒し、変速・操向機のカバーの上に跨って射撃バーを操作した。
ただし弾倉を撃ち尽くした場合は、車外に出て弾倉の交換をしなければならなかった。
後に火力強化のために、本車の武装は連装の7.7mmヴィッカーズK機関銃へと換装されている。
なおハンバー斥候車を鹵獲したドイツ軍は、これを参考にしてIII号突撃砲やヘッツァー駆逐戦車用の車内操作式機関銃発射装置を開発している。
1942年から生産に入ったハンバー斥候車は、1945年の終戦までに4,300両が発注されたが、このうち約4,100両がイギリス陸軍に納入された。
他のイギリス製装甲車と異なり、本車は退役後にはヨーロッパ諸国にしか売却されなかった。
なお、ハンバー斥候車には変速・操向機がダブルクラッチ方式のMk.Iと、変速・操向機をシンクロクラッチ方式に変更した改良型のMk.IIの2種類の型式が存在した。
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