+概要
1940年5〜6月のフランス戦において、フランス軍と共にドイツ軍を迎え撃ったBEF(British Expeditionary Force:イギリス海外派遣軍)は惨敗し、ダンケルクの港から命からがら本国に脱出する結果となり、多数の装甲車両を失った。
このためイギリス陸軍は、本国防衛のためにも早急な装甲車両の再装備化を迫られ、その一環として、「軽装甲車」(Light Armoured Car)なる偵察用の4輪装甲車が発注されることとなった。
そして、イギリス戦争省が提示した軽装甲車の要求仕様に基づき、キャンリーのスタンダード・モーター社と共に開発に参加したのが、ルーツ・グループの傘下企業であるコヴェントリーのハンバー社で、自社製の大型乗用車である「スーパー・スナイプ」(Super
Snipe)をベースに、装甲ボディを架装した簡易な4輪装甲車を製作した。
試作車を用いた試験の結果が良好だったため、この車両は「ハンバー軽装甲車」(Humber Light Armoured Car)としてイギリス陸軍に制式採用され、1940年7月に1,200両の発注を受けた。
「ハンベレット」(Humberette)、もしくは「アイアンサイド」(Ironside:強者)と呼ばれたハンバー軽装甲車は、戦車と火砲を備える重装甲車によって第一線機甲部隊の装備が整えられるようになると、その配備先が1941年1月に新設された偵察軍団(主に歩兵師団に装甲偵察部隊を供給する)に変更となり、呼称も「軽偵察車」(Light
Reconnaissance Car)と改められた。
最初の生産型であるハンバーMk.I軽偵察車は乗員室の上面がオープントップで、武装は乗員室前面左側に、エンフィールドロックのRSAF(Royal
Small Arms Factory:王立小火器工廠)製の65.5口径14mmボーイズ対戦車銃を1挺装備しているのみであった。
そして1941年中に乗員室の上面を密閉して、RSAF製の7.7mmブレン軽機関銃1挺を装備する1名用の全周旋回式銃塔を搭載した2番目の生産型Mk.IIに発展し、さらに1941年末には、同じスーパー・スナイプのシャシーを流用しながら、それまでの2輪駆動から4輪駆動へと不整地走行能力を向上させた3番目の生産型Mk.IIIの誕生を見た。
このMk.IIIと、乗員室の左右に視察窓を増やすなどの改修を加えたMk.IIIAがハンバー軽偵察車の主力車種となって、1940〜43年にかけてシリーズ合計で約3,600両が生産され、偵察軍団を中心にイギリス空軍でも多数が使用された。
第2次世界大戦中期以降は、各種部隊の指揮車両として終戦まで使用されている。
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