+概要
第1次世界大戦において世界に先駆けて菱形戦車を実戦投入したイギリス陸軍は、続いて菱形戦車の車体を流用して兵員50名または補給物資10tを輸送する装軌式の装甲輸送車両の開発を計画した。
世界初の装甲兵員輸送車ともいうべきこの車両の開発は1917年9月に開始されたが、開発期間を短縮するためにMk.V戦車の車体をベースにして開発を進めることになった。
当時イギリスとアメリカが菱形戦車シリーズの最新型を「Mk.VIII戦車」の名称で共同開発していたため、この新型輸送車両にはそれに続く「Mk.IX戦車」の名称が与えられた。
名称こそ戦車となっていたものの、Mk.IX戦車は輸送専用の車両として設計されたため武装は自衛用の機関銃1挺しか装備しておらず、戦闘に用いることは考慮されていなかった。
1918年6月にエルスウィックのアームストロング・ホイットワース社の手によってMk.IX戦車の試作第1号車が製作されたが、従来の菱形戦車シリーズでは車体中央部にあった変速機は車体後部のエンジン前方に移され、そのスペースに1.07m×1.65mの貨物/兵員室が確保されていた。
貨物/兵員の出入りをスムーズに行えるよう、車体の左右側面には縦長楕円形の大型ドアが各2枚ずつ設けられていた。
エンジン、変速機と遊星歯車機構はMk.V戦車と同じものが使用され、武装は車体前方に設けられた操縦室の前面にボールマウント式銃架を介して、7.7mmオチキスM1914重機関銃を1挺装備しているのみであった。
武装がほとんど無いためMk.IX戦車の固有の乗員は車長と操縦要員3名の計4名と、従来の菱形戦車シリーズに比べて大幅に減らされていた。
ただしMk.IX戦車は貨物/兵員室の左右側面に各7カ所ずつガンポートを備えており、搭乗兵員が携行火器を用いて車外を射撃することができるようになっていた。
このような部分は、現代の歩兵戦闘車のコンセプトを先取りしていたともいえる。
Mk.IX戦車の装甲厚は主要部分で10mmとなっており、ドイツ軍が小銃/機関銃に使用する鋼製弾芯のSmK徹甲弾に射距離200mで抗堪できるよう考慮されていた。
イギリス陸軍は戦訓から装甲防御力を備えた輸送車両の必要性を認識していたため、Mk.IX戦車以外にもこうした車両の開発を行っていたが、大戦後期には第一線を退いたMk.I、Mk.II、Mk.IV戦車の一部や砲牽引車の多くが輸送車両に改装されて使用されるようになり、新規に輸送専用の車両を生産する必要性が減少したため開発は下火となっていった。
Mk.IX戦車は当初200両が発注されたが、1918年11月の第1次世界大戦終結時に完成していたのはたったの3両だけで、結局製作されたのは総計23両であった。
この車両は搭載能力を向上させるためベースとなったMk.V戦車に比べて車体が延長されており、全長は10m近くに達していた。
車体が巨大なため武装をほとんど搭載していないにも関わらず、貨物未搭載の状態で重量はMk.IV戦車と同じ27tあった。
このためMk.IX戦車はエンジンがパワー不足で、貨物未搭載でも路上最大速度は3.35マイル(5.39km)/hに過ぎず、兵士たちから「The
Pig」(うすのろ、駄馬、鉄屑などの意味がある)というあだ名で呼ばれていた。
1919年にはMk.IX戦車の操縦室を大幅に嵩上げして操縦手を高い位置に配置し、車体に円筒形のフロート(元海軍の「キャメルス」)と改造を施した排気管を取り付けた水陸両用試験車「ダック」(Duck:アヒル)が製作された。
水上での推進力は車体後部のモーターから得ており、履帯の一部には折り畳み式水掻きあるいはフラップが装着された。
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