Mk.I戦車
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リンカン・マシーン
リトル・ウィリー
ビッグ・ウィリー
Mk.I戦車
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+リンカン・マシーン
戦車のルーツといえるイギリス軍のMk.戦車いわゆる菱形戦車の開発のきっかけとなったのは、第1次世界大戦が勃発して間もなくドイツ軍、連合軍共に有効な攻撃を行えないままに例を見ない塹壕戦に突入したことにある。
互いが敵の塹壕に対して砲兵の援護を受けながら攻撃を行い、一進一退を繰り返す膠着状態に陥ってしまったことへの対処として戦車が生まれたのである。
そして戦車の生みの親となったのは、1914年にイギリスよりフランスに観戦武官として派遣されてきたアーネスト・スウィントン陸軍少佐であった。
彼は膠着した塹壕戦の実態を目の当たりにして装甲で身を守り、装備する火砲で敵をなぎ倒しつつ塹壕を突破し、その後から歩兵が突撃して勝利を収めるというヴィジョンを描き、前線で行動していたアメリカ製の装軌式牽引車ホルト・トラクターを見た時に彼の構想は形作られることとなった。
直ちに彼はこの意見をイギリス軍上層部に具申し反発はあったものの、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチル(後のイギリス首相)の肝入れにより海軍設営長官を長とする陸上戦艦委員会が設立され、1915年3月に装軌式陸上戦艦の開発がスタートすることになった。
そしてペドレイル、キレン・ストレイト、ブルロックなどの市販型装軌式車両が検討され、その結果ブルロックが試作車の原型として選ばれた。
そして1915年9月に登場したのが、このブルロックの車体を延長したものを使用した「リンカン・マシーン」と呼ばれる初の戦車であった。
この戦車を設計したのは、リンカンにあったWF(William Foster:ウィリアム・フォスター)社の社長ウィリアム・トリットン氏と、戦前の著名な自動車技師であったRNAS(Royal
Naval Air Service:イギリス海軍航空隊)のウォルター・ウィルソン海軍大尉の2名であった。
別名「トリットン・マシーン」と呼ばれたこの戦車は、陸上戦艦委員会の研究の結果誕生した初の戦車であった。
前述のように本車の設計はトリットンとウィルソンが共同で行い、アメリカから購入したブルロック装軌式車両をベースとして1915年8月12日に製作が開始された。
またこの戦車はほとんどの構成部品に既存の部品を使い、エンジンと変速・操向機はフォスター・ダイムラー牽引車のものを流用した。
ボイラー用鋼板を使用した車体には2ポンド(40mm)加農砲を装備した砲塔が搭載されるようになっていたが、実際にはダミー砲塔が搭載された。
操向は片方の履帯を停止させるか、車体後部に装着した操向用車輪を併用して行った。
履帯に故障が絶えなかったため、リンカン・マシーンの性能は低かった。
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+リトル・ウィリー
前述のように最初の試作車であるリンカン・マシーンは履帯に故障が絶えず性能が低かったため、このリンカン・マシーンを基に改良を施した第2次試作車「リトル・ウィリー」が製作された。
リトル・ウィリーは、イギリス戦争省から要求された幅1.5mの超壕力と高さ1.36mの超堤力を満たすように設計されていた(リンカン・マシーンの場合、超壕力は幅1.21mであったが超堤力は60cmに満たなかった)。
車体とエンジンはリンカン・マシーンと同じであったが履帯フレームは新しくなり、部品の多くが市販の汎用部品から専用のものに替えられ、履帯も新たに設計したものを使用することになった。
そして、バラタ製ゴムベルトが起動輪と噛み合うようになっていたフラット・ワイアー・ロープ型などの履帯が試みられたが試験の結果は芳しくなく、トリットンの設計した内側で噛み合うガイドの付いたリンクに鋳鋼板をリベット止めした履帯が採用された。
この履帯は性能が良く、その後のMk.VIII戦車へ至る第1次世界大戦中のイギリス軍戦車全てに採用されることになった。
本車はリンカン・マシーンと同様に車体後部に操向用車輪を装着していたが、ダミー砲塔は取り外された。
リトル・ウィリーは確かにリンカン・マシーンに比べると洗練された車両であったが、重心が高く不安定で履帯も塹壕を越えるには短か過ぎた。
この欠点はまだリトル・ウィリーが製造工程にある時に判明し、トリットンとウィルソンは次に装軌式陸上戦艦と同時に開発を進めていた装輪式陸上戦艦をベースに、リトル・ウィリーのコンセプトを盛り込んだ試作車「ビッグ・ウィリー」を設計した。
リトル・ウィリーは1915年12月上旬に完成したが、この時すでに次の試作車ビッグ・ウィリーの製作が開始されていた。
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+ビッグ・ウィリー
第3次試作車であるビッグ・ウィリーは車体周囲に履帯を配し、左右の履帯の速度を変更することで方向転換を行うという戦車の操向コンセプトを完成させた車両である。
ビッグ・ウィリーは車体の形状こそリンカン・マシーンやリトル・ウィリーと同じ長方形の箱型をしていたが、履帯が車体全体を覆うような新しい取り付け方式を採用した発展型戦車であった。
この履帯装備法によりもたらされた履帯の接地面積は直径18.3mの車輪に匹敵し、戦争省の要求した幅1.5mの超壕力と高さ1.36mの超堤力を満たすことができた。
超壕能力を増すために、車体後部には直径122cmの大径車輪が追加されていた。
旋回式砲塔は重心を下げるために搭載されず、砲は車体左右側面のスポンソン(張り出し砲座)に搭載された。
また当時イギリス陸軍には適当な砲が無かったため、海軍の6ポンド(57mm)艦艇砲が搭載された。
ビッグ・ウィリーの最初の走行試験は、1915年12月3日にイギリス陸軍将官や政府高官の前で行われた。
その結果戦争省は40両を発注し、発注数は後に100両に改められた。
なおビッグ・ウィリーは開発過程において「ウィルソン・マシーン」、「センチピード」(Centipede:ムカデ)、「マザー」(Mother:母)とも呼ばれていた。
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+Mk.I戦車
前述のように1915年12月3日からビッグ・ウィリーの走行試験が開始されたが、試験において本車の高い能力が確認されたため1916年2月に「Mk.I戦車」(Mk.I Tank)としてイギリス陸軍に制式採用され、40両(後に100両)の生産型が発注されていよいよ実用化まで達することとなった。
ドイツ軍に情報が漏れるのを防ぐため、当初Mk.I戦車は「WC」(Water Carrier:水運搬車)という秘匿呼称で呼ばれていた。
しかし、これではトイレを連想させてしまうために単に「タンク」(tank:水入れ)と呼ぶことにし、以後これが戦車の代名詞として用いられることとなった。
Mk.I戦車の車体は6〜10mm厚の装甲板をリベット止めして組み立てられ、戦闘重量は雄型で28.5tとなっていた。
車内は戦闘室や機関室が分かれておらず、8名の乗員はエンジンなどと同居していた。
30t近い車体重量に対し、搭載されたエンジンは出力105hpの直列6気筒液冷ガソリン・エンジンだったため、明らかにアンダーパワーで路上最大速度はわずか3.7マイル(5.95km)/hしか出せなかった。
しかし歩兵と共に進撃するにはこの速度でも充分だとして、あまり問題とはされなかったようである。
スウィントンにしてもイギリス陸軍にしても、敵の塹壕と鉄条網を乗り越えて歩兵の進撃路を開削する以上の役割を戦車に求めてはいなかったのである。
車体前部には操縦手用と車長用のキューポラが張り出し、車体左右側面の脱着可能なスポンソンには旋回角の小さな砲架に搭載された主武装が装備された。
車体後部に装着された車輪2輪は操舵を補助すると同時に、車体の全長を増やすことで超壕力を向上させる役目も担っていた。
しかしこの車輪は戦闘時に破損し易かったため、1916年11月以降は外されている。
これ以外にMk.I戦車の外見上の特徴には、車体上部に装着された木製または金属製の骨組みに金網を張った対手榴弾ガードがあった。
Mk.I戦車は40口径6ポンド戦車砲2門を搭載し敵の砲や要塞、防御施設を攻撃する「雄型」(male)と、ヴィッカーズ液冷重機関銃(口径7.7mm)4挺を装備して、雄型を敵の歩兵の攻撃から援護したり敵歩兵を掃討する「雌型」(female)の2種類が製作され、雌型のスポンソンは雄型のものに比べ若干大きかった。
副武装としては雄型が3〜4挺、雌型が1〜2挺のオチキスM1909空冷軽機関銃(口径7.7mm)を装備していた。
Mk.I戦車が最初に実戦に投入されたのは、ソンム会戦の最中の1916年9月15日である。
イギリス陸軍は50両のMk.I戦車を前線に集めることができたが、その内18両は進撃開始までに故障で停止し、残った32両は数両ずつ分散して突撃部隊の先頭に立った。
突撃そのものは成功し、Mk.I戦車は戦線に数kmの穴を開けることができたものの、戦局に与えた影響は軽微だった。
しかしドイツ軍はこの見慣れない兵器の出現にパニックに陥り、イギリス軍前線部隊では戦車の威力を確信して大量産を求めた。
その後Mk.II、Mk.III、Mk.IV、Mk.VといったMk.I戦車の改良型の菱形戦車が次々と開発され、総生産数は2,000両近く多くの派生型も製作されている。
Mk.I戦車は1916年7〜11月のソンム会戦、1917年4月のアラス戦、6月のメッシーヌ戦、7〜10月の第3次イープル会戦などに投入されたがMk.IV戦車の配備と共に第一線から退き、イギリス本国で訓練戦車として使用された他、一部の車両は無線戦車や補給戦車などの各種特殊車両に改修されている。
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<リンカン・マシーン>
全長: 8.077m
全幅:
全高:
全備重量: 14.0t
乗員: 4〜6名
エンジン: フォスター・ダイムラー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 105hp/1,000rpm
最大速度: 5.63km/h
航続距離:
武装:
装甲厚:
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<リトル・ウィリー>
全長: 8.077m
全幅:
全高:
全備重量: 14.0t
乗員: 4〜6名
エンジン: フォスター・ダイムラー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 105hp/1,000rpm
最大速度: 5.63km/h
航続距離:
武装:
装甲厚:
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<ビッグ・ウィリー>
全長: 9.906m
全幅: 4.191m
全高: 2.438m
全備重量: 28.5t
乗員: 8名
エンジン: フォスター・ダイムラー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 105hp/1,000rpm
最大速度: 5.95km/h
航続距離: 38.6km
武装: 40口径6ポンド戦車砲×2 (332発)
7.7mmオチキスM1909軽機関銃×4 (6,272発)
装甲厚: 6〜12mm
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<Mk.I戦車 雄型>
全長: 9.906m
全幅: 4.191m
全高: 2.438m
全備重量: 28.5t
乗員: 8名
エンジン: フォスター・ダイムラー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 105hp/1,000rpm
最大速度: 5.95km/h
航続距離: 38.6km
武装: 40口径6ポンド戦車砲×2 (332発)
7.7mmオチキスM1909軽機関銃×3〜4 (6,272発)
装甲厚: 6〜12mm
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<Mk.I戦車 雌型>
全長: 9.906m
全幅: 4.368m
全高: 2.438m
全備重量: 27.4t
乗員: 8名
エンジン: フォスター・ダイムラー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 105hp/1,000rpm
最大速度: 5.95km/h
航続距離: 38.6km
武装: 7.7mmヴィッカーズ重機関銃×4 (30,080発)
7.7mmオチキスM1909軽機関銃×1〜2
装甲厚: 6〜12mm
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<参考文献>
・「パンツァー1999年12月号 特集 20世紀における戦車発達史」 野木恵一/オイゲン・フラットフィールド 共著
アルゴノート社
・「パンツァー2014年10月号 第一次大戦の戦車総覧 初登場した地上戦の主役達」 荒木雅也 著 アルゴノー
ト社
・「パンツァー2010年11月号 陸戦に新時代をもたらした菱形戦車Mk.I〜VIII (1)」 箙公一 著 アルゴノート社
・「パンツァー2010年12月号 陸戦に新時代をもたらした菱形戦車Mk.I〜VIII (2)」 箙公一 著 アルゴノート社
・「パンツァー2009年1月号 鋼鉄の怪物 イギリスの菱型戦車インアクション」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「パンツァー2016年1月号 戦車100年史におけるマイルストーン」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2002年8月号 イギリス最初の戦車 リトル・ウィリー」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2002年9月号 最初の菱形戦車 ビッグ・ウィリー」 白石光 著 アルゴノート社
・「ウォーマシン・レポート12 M1戦車シリーズ」 アルゴノート社
・「グランドパワー2020年3月号 第1次大戦のイギリス軍戦車」 齋木伸生 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1)
第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画 ・「本当にあった! 特殊兵器大図鑑」 横山雅司 著 彩図社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
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