+概要
GPF 194mm自走加農砲は、第1次世界大戦中の1918年にル・クルーゾのシュナイダー社が開発した自走砲である。
本自走砲はアメリカ製の装軌式牽引車ホルト・トラクターと同系の足周りを持った車台上に、42.2口径194mm加農砲GPF(Grande Puissance
Filloux:大きな力 フィルー)を限定旋回式に搭載していた。
主砲の射界は俯仰角が0〜+37度、旋回角が55度となっていた。
本自走砲の主砲に採用された194mm加農砲GPFはフランス陸軍のルイ・フィルー大佐が設計したもので、榴弾(重量125kg)を用いた場合砲口初速725m/秒、最大射程20,800mとなっていた。
この砲は自動調整式の駐退機と、空気式の復座機を装備していた。
なお自走砲とはいうものの、実はこの車両は動力装置として電動モーターしか備えておらず、その電力は同じ足周りを用いた弾薬運搬車の搭載するガソリン・エンジンで駆動される発電機から供給されるようになっていた。
そのため自力では走行することができず、弾薬運搬車とケーブルで接続しながら電力を供給してもらって、路上で8km/hの速度で移動した。
GPF 194mm自走加農砲は1940年5月のドイツ軍のフランス侵攻時には第4軍に1個連隊24門が、同様な車台にシュナイダー社製の12口径280mm臼砲M1914を装備した1個連隊と共に配備されていたが、ドイツ軍の電撃作戦に対応できずほとんど全部が鹵獲されてしまった。
ドイツ軍も鹵獲した本自走砲の威力に注目し、イタリア戦線と共に東部戦線にも投入しレニングラード攻囲戦での砲撃に用いている。
レニングラード戦では1942〜44年の約2年間に渡って使用され、その大型榴弾はソ連軍に大きな損害を与えたといわれている。
しかし鈍重な本自走砲は他の旧式な大型砲と同様に、1944年1月のソ連軍の反撃時に鹵獲されてしまった。
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