G-13駆逐戦車
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+開発
1945年5月8日にドイツが降伏したことで、第2次世界大戦におけるヨーロッパの戦いは終結し、ドイツの支配下にあった各国はそれぞれ独立することになった。
1939年にドイツに併合されたチェコはドイツ降伏後にスロヴァキアと再統合され、チェコスロヴァキア共和国(第三共和国)として再出発することになった。
同国はドイツ軍のためではあるが、大戦中も積極的に38(t)戦車やその派生型であるマルダーIII対戦車自走砲、ヘッツァー駆逐戦車などの各種AFVの開発・生産を続けており、車種こそ限定されるものの豊富な資材が放置され残されており、工場施設もそのまま手元に残されていた。
このため戦後チェコスロヴァキアは外貨獲得の手段として、積極的に海外に対しヘッツァー駆逐戦車の売り込みを行った。
この売り込み先はヨーロッパ各国を始めとしてイスラエルやエジプト、シリアといった中東諸国、インドにまで及んだが、唯一ヘッツァーの購入を決めた国がスイスであった。
スイスとチェコスロヴァキアの関係は決して古いものではないが、スイス陸軍は1930年代末にプラハのČKD社(Českomoravská Kolben-Daněk)から24両のLTH軽戦車を購入して、「Pz.39」(Panzer 39:39式戦車)の呼称で装備していた。
また大戦終了後間もなく、スイス陸軍はフランス陸軍からヘッツァーを1両研究用として引き渡しを受けており、この車両を試験した結果Pz.39戦車と極めて酷似していることが判明し(両車ともČKD社が設計を担当しており、足周りや機関系がほぼ同一なので当然ではあるが)、さらにスイスの地勢上からも大口径火砲を備えながら、車体がコンパクトにまとめられているというヘッツァーの特徴がマッチしていたことも選定に大きく働いたものと思われる。
まずスイス国防省は1945年末に、ヘッツァーを200~300両購入することを考えているとČKD社とプルゼニのシュコダ製作所に告げ、翌年の春から本格的な打ち合わせに入った。
そして1946年2月28日、スイス国防省とシュコダ社との間で「G-13」の呼称で試作車の製作契約が締結され、その試作車は同社が旧ドイツ軍向けに製作したヘッツァーの車体(車体製造番号323815)から改造され、7月初めにスイスの関係者を招いて走行デモンストレイションが実施された。
続いて8月15日には第1生産ロット8両のG-13駆逐戦車の生産契約が結ばれ、以後段階的に発注が続けられ、最終的にその生産数は158両を数えている。
この第1生産ロットは旧ドイツ軍向けに製作されたヘッツァーの車体が流用されたが、続く第2生産ロットからは全て新規生産車とされ、1950年2月16日にはG-13駆逐戦車の最終生産車がシュコダ社の工場からロールアウトした。
スイス陸軍はG-13駆逐戦車を第21~第23戦車大隊に配備し、各大隊は大隊本部と3個中隊で編制されていた。
その後スイス陸軍は1955年からイギリスよりセンチュリオン中戦車の導入を開始し、これに代わる形でG-13駆逐戦車は徐々に退役していった。
しかしG-13駆逐戦車は旧式化したにも関わらず長く運用が続けられ、最後の車両がセンチュリオン中戦車に更新されて姿を消したのは1972年のことであった。
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+構造
スイス陸軍向けのG-13駆逐戦車は、チェコスロヴァキア陸軍のために開発されたヘッツァー駆逐戦車の戦後再生産型であるST-I駆逐戦車と同様に、旧ドイツ軍向けに生産されたヘッツァーの最後期生産車と基本的には同一だったが、主砲がヘッツァーやIV号駆逐戦車に装備されたドイツ・デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39から、III号突撃砲F型以降やIV号突撃砲に搭載された同社製の48口径7.5cm突撃加農砲StuK40に換装されていた点が大きく異なっていた。
PaK39とStuK40はいずれも、ラインメタル社製の牽引式対戦車砲である46口径7.5cm対戦車砲PaK40を車載用に改修したもので、砲弾は同じものを使用し威力もほぼ同等であった。
両砲とも弾種は装甲目標用のAPCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾)、APCR(硬芯徹甲弾)、HEAT(対戦車榴弾)および非装甲目標用のHE(榴弾)が用意されていた。
ちなみに弾頭重量6.8kgのPz.Gr.39 APCBC-HEを使用した場合、両砲とも砲口初速750m/秒、射距離1,000mで85mm、1,500mで74mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能であった。
G-13駆逐戦車の主砲が換装された理由はチェコの資料でも明らかにはされていないが、シュコダ社では大戦中に旧ドイツ軍のAFV向けにStuK40の生産を行っていたので、その設備などをそのまま流用したためと思われる。
なおPaK39とStuK40は砲架の構造が大幅に異なっており、StuK40が車体床面に砲架を搭載していたのに対し、PaK39は戦闘室前面装甲板にカルダン枠と呼ばれる砲架を固定していた。
しかしいずれも牽引式のPaK40を原型としているため砲自体の構造は両砲ともよく似ており、StuK40をカルダン枠砲架に搭載するのは比較的容易であった。
PaK39もStuK40も生産当初は、砲身先端部に射撃時の反動を低減するための砲口制退機が装着されていたが、先に生産が開始されたIV号駆逐戦車の戦訓により、ヘッツァーでは最初からPaK39の砲口制退機が廃止されたのに対し、StuK40を装備したIII号突撃砲やIV号突撃砲は最後まで砲口制退機を装着したまま生産されたため、G-13駆逐戦車用のStuK40も砲口制退機を装着したまま生産されることになった。
ヘッツァー系列の車両で主砲に砲口制退機を装着しているのはG-13駆逐戦車だけなので、これは大きな識別点となっている。
さらに主砲の変更に併せて、それまで戦闘室の左後部に位置していた装填手が右側の車長と位置を入れ替え、主砲弾薬の装填作業を行い易くしているのもG-13駆逐戦車の特徴である。
この乗員配置はIII号突撃砲など同種の旧ドイツ軍AFVの標準的なものであるが、ヘッツァーで乗員配置が変更された理由の1つとして、砲口制退機の廃止で主砲の後座長が増えたことが挙げられているため、G-13駆逐戦車が砲口制退機を装着したのは乗員配置の改善が目的だったとも考えられる。
なお、G-13駆逐戦車ではヘッツァーで戦闘室上部に設けられていた副武装の車内操作式機関銃が廃止されたが、本車ではその部分に装甲カバー付きの旋回式視察ブロックを新設して車長の視界向上を図っていた。
またG-13駆逐戦車では、ヘッツァーで左側の前部フェンダーの直後に設けられていた防空型前照灯(ノテックライト)が廃止され、代わりに右側の前部フェンダーの直後に大型の前照灯(ボッシュライト)が装備された。
ノテックライトが撤去された跡には、ガード板を備える小型ライトが装着された。
戦闘室の右側面には前部に予備転輪1個、その後ろに縦に予備履帯7枚を装着しており、反対の左側面にはそれぞれ縦に7枚ずつの予備履帯を3カ所に備えていた。
車体後面の左側に野戦電話を収容するボックスが新設され、その上部に600m長のケーブルを巻き付けたリールを備えていたのもG-13駆逐戦車の特徴である。
一部の車両では戦闘室上面左後部の車長用ハッチの右後方に対空機関銃架を新設して、ベルン武器製作所製の7.5mm機関銃MG38を装備したものもあった。
G-13駆逐戦車のアンテナは戦闘室の左右に装備されるのが標準で、無線機もスイス製のSE-202(出力30W)に改められていた。
第22、第23戦車大隊に所属する車両の内86両は、1952~54年にかけて元々搭載していたプラハのプラガ社製のAC2800 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力160hp)から、アーボンのザウラー社製のCH2DRM V型8気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力150hp)に換装された。
このディーゼル・エンジン搭載車では機関室のレイアウトが一部変更されているので、外観からガソリン・エンジン搭載車と識別することが可能である。
なお、G-13駆逐戦車の当初の完成車はスイス陸軍からの要求でマットブラックに塗られて引き渡されたが、その後ミディアムグレイに塗り替えられ、さらにその後ミディアムグリーンに再塗装されて、これがG-13駆逐戦車の最終的な塗装となった。
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<G-13駆逐戦車 初期型>
全長: 6.27m
車体長: 4.85m
全幅: 2.65m
全高: 2.17m
全備重量: 16.0t
乗員: 4名
エンジン: プラガAC2800 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 160hp/2,800rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 180km
武装: 48口径7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (46発)
7.5mm機関銃MG38×1 (600発)
装甲厚: 8~60mm
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<G-13駆逐戦車 後期型>
全長: 6.27m
車体長: 4.85m
全幅: 2.65m
全高: 2.17m
全備重量: 16.0t
乗員: 4名
エンジン: ザウラーCH2DRM 4ストロークV型8気筒液冷ディーゼル
最大出力: 150hp/2,000rpm
最大速度: 42km/h
航続距離: 200km
武装: 48口径7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (46発)
7.5mm機関銃MG38×1 (600発)
装甲厚: 8~60mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2001年11月号 駆逐戦車ヘッツァー(2) ヘッツァーのバリエーション」 箙浩一 著 デルタ出版
・「パンツァー2000年11月号 駆逐戦車ヘッツァー その開発と構造」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年12月号 ヘッツァー駆逐戦車の派生型」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年8月号 ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 久米幸雄 著 アルゴノート社
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