+概要
第2次世界大戦終了後間もない1946年1月、イギリス戦争省は当時の主力装甲車であったダイムラーMk.II装甲車や、AEC Mk.III装甲車などの4輪装甲車の後継として、新型の6輪装甲車を開発することを決めた。
開発に際してはシャシーを共通化した偵察装甲車型、装甲兵員輸送車型、装甲指揮車型などを並行して開発することとされ、ファミリーの基本型である偵察装甲車型には、「FV601」(Fighting
Vehicle 601:戦闘車両601型)の戦闘車両番号が与えられた。
戦争省の要求仕様ではFV601は乗員4名で、リトルジョン・アダプターを装着した50口径2ポンド(40mm)戦車砲を装備する全周旋回式砲塔を搭載することとされた。
まずイギリス陸軍の研究組織で基礎開発を行い、1947年に本格的な開発と生産を担当する会社としてコヴェントリーのアルヴィス社が選定され、「FV601(A)」と呼ばれる試作車2両が発注された。
試作車は1953年に完成し、続いて1955年に主砲を新開発の76.2mm低圧戦車砲に換装し、砲塔などに手を加えた先行生産型のFV601(B)がマンチェスターのクロスレイ自動車で6両製作され、これがFV601(C)「サラディン」(Saladin:サラセンの王で十字軍をさんざん悩ませたことで知られる)として制式採用された。
サラディン戦闘偵察車の生産は1956年からアルヴィス社で開始され、1972年までに1,177両が生産された。
サラディン戦闘偵察車の車体デザインは、大戦中のイギリス陸軍装甲車のものをそのまま踏襲していた。
車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室というオーソドックスなものである。
乗員は3名で車体前部中央に操縦手が位置し、戦闘室上部の2名用大型砲塔の右側に車長兼装填手、左側に砲手が位置した。
車体後部の機関室は戦闘室と防火隔壁で分離され、操縦手が操作する自動消火装置が備えられていた。
NBC防護システムや暗視装置は装備されていない。
エンジンは、ダービーのロールズ・ロイス社製のB80 Mk.6A 直列8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力170hp)を搭載しており、本車に路上最大速度72km/h、路上航続距離400kmの機動性能を与えていた。
エンジンの吸気は機関室上面の装甲カバーで覆われた6個の吸気口によって行われ、排気は車体上面最後部にある金網付きのグリルから排出された。
サスペンションはトーションバー(捩り棒)式の完全独立懸架で、12.00×20の大型タイヤは6輪全てが駆動し、前部と中央部の4輪により操向が行われた。
主武装として、王立造兵廠が開発した28.3口径76.2mm低圧戦車砲L5A1を砲塔防盾に装備しており、当時の装甲車としては高い火力性能を有していた。
また副武装として、主砲の左側にアメリカのブラウニング火器製作所製の7.62mm機関銃L3A3を同軸に装備していた他、砲塔上面の車長用ハッチ前部にも対空用として7.62mm機関銃L3A3を装備していた。
さらに、砲塔の左右側面前部に発煙弾発射機を各6基ずつ装備していた。
携行弾数は76.2mm砲弾が42発、7.62mm機関銃弾が2,750発である。
サラディン戦闘偵察車は非常に完成度が高く、イギリス陸軍のみならずヨルダンやポルトガルなど11力国の陸軍で採用され、インドネシアやスーダンでは現在も使用が続けられている。
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