+概要
FCM36軽戦車誕生のきっかけとなったのは、1932~33年にかけてブローニュ・ビヤンクールのルノー社で試作されたルノー6t戦車の開発で、この6t戦車の設計を基に発展したものがFCM36軽戦車である。
ラ・セーヌ・シュル・メールのFCM社(Forges et Chantiers de la Méditerranée:地中海造船・製鉄所)は、以前より6t戦車の設計データをベースにした歩兵支援用軽戦車の開発を開始しており、1935年4月には試作車を完成させていた。
後に「FCM36軽戦車」(Char léger Modèle 1936 FCM)として制式化されたこの戦車は、他のフランス戦車とは一線を画する様々な先進技術が盛り込まれていた。
それまでのフランス戦車の車体は防弾鋼板のリベット接合構造が主流であり、FCM36軽戦車と同時期に開発されたルノーR35軽戦車やオチキスH35軽戦車では、生産効率を向上させるために新たに防弾鋼の鋳造構造が採用された。
これに対しFCM36軽戦車の車体は防弾鋼板の全溶接構造になっており、当時のフランス戦車の中では最も進歩した工法を採用していた。
しかし溶接工法はこの当時では高い技術力を必要としたため、FCM36軽戦車以外に全溶接構造の戦車は製造されず、以後のフランス戦車は鋳造構造が主流となった。
また当時のフランス戦車はガソリン・エンジンが標準であったが、FCM36軽戦車はフランス戦車として初めてディーゼル・エンジンを採用していた。
本車に搭載されたヴェニシューのM.ベルリエ自動車製のMDP 直列4気筒液冷ディーゼル・エンジンは、イギリスのリカード社製ディーゼル・エンジンのライセンス生産品であり排気量8,400cc、出力91hp/1,550rpmとなっていた。
ディーゼル・エンジンはガソリン・エンジンに比べて燃費が良く、火災の危険性も低いというメリットがあったが、FCM36軽戦車以外のフランス戦車には採用されなかった。
駆動力は前進5段/後進1段の機械式変速機、クラッチ・ブレーキ式操向機を経て、フランジ止めされた最終減速機へと伝達された。
砲塔はAPX社(Atelier de Construction de Puteaux:ピュトー工廠)で製作された1名用のAPX型であったが、原型の砲塔が鋳造製であったのに対し、FCM36軽戦車に搭載された砲塔は車体と同様に溶接工法で組み立てられていた。
基本的には、ルノーR35軽戦車やオチキスH35軽戦車に搭載されたAPX-R砲塔と同じ内容のものであったが、車長用キューポラが固定式になった点と、防盾が外装式に変更された点が原型と異なっていた。
搭載された武装は原型と全く同じでAPX社製の21口径37mm戦車砲SA18と、MAC社(Manufacture d'armes de Châtellerault:シャテルロー造兵廠)製の7.5mm機関銃M1931を砲塔防盾に同軸装備していた。
また初期生産車の砲塔にはAPX-R砲塔の初期型と同じ双眼鏡式視察装置が採用されていたが、APX-R砲塔の視察装置がドイツ軍車両が装備したようなクラッペ方式に変更されたのに伴い、FCM36軽戦車の砲塔にも同様の変更が行われている。
弾薬搭載数は37mm砲弾が102発、7.5mm機関銃弾が3,000発となっていた。
FCM36軽戦車の装甲厚は車体が前面40mm、側/後面20mm、上面15mm、下面13mm、砲塔が前/側/後面40mm、上面15mmとなっていた。
サスペンションはルノーB1重戦車によく似た方式のものが採用されており、直径220mm、幅130mmの転輪2個をボギーで連結して2本のコイル・スプリングで懸架するようになっており、ボギーは片側4組が配されていた。
またサスペンションを防護するために20mm厚の装甲カバーが装着され、この装甲カバーと履帯の接触を避けるために、車体前部に配された誘導輪と第1転輪の間に履帯支持用の補助輪が設けられていた。
履帯は乾式履帯が採用されており、幅270mm、長さ75mmの履板が片側137個用いられていた。
FCM36軽戦車は1936年6月5日にフランス陸軍に制式採用されており、すぐに100両の発注が出されているが、FCM社が提示した見積価格が高価であったため追加発注は実施されず、生産は100両のみで打ち切られた。
最後の生産車がフランス陸軍に引き渡されたのは1939年3月13日のことであったが、同年5月にセダン近郊でFCM36軽戦車を装備する第4および第7軽戦車大隊が編制されている。
1940年5月10日に開始されたドイツ軍のフランス侵攻において、第4軽戦車大隊は第205歩兵連隊、第7軽戦車大隊は第213歩兵連隊を支援してセダン方面の戦闘に投入された。
同年6月22日のフランス降伏後、生き残ったFCM36軽戦車は他のフランス軍戦車と同様にドイツ軍に接収され、「FCM(f)戦車 識別番号737(f)」の鹵獲兵器呼称が与えられて、フランスにおける国内防衛や警備といった二線級任務に使用された。
この内の8両は1942年にパリのベッカー特別生産本部において、すでに旧式化していたドイツのクルップ社製の22口径10.5cm軽榴弾砲leFH16を搭載する自走榴弾砲に改造された。
続いて1943年には14両のFCM(f)戦車がベッカー特別生産本部において、ドイツのラインメタル・ボルジヒ社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40/1を搭載する対戦車自走砲に改造されている。
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