FCM(f) 7.5cm対戦車自走砲
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+概要
1940年5月10日に開始されたフランス侵攻作戦の勝利により、ドイツ軍は数多くのフランス軍戦車を入手し自走砲などに改造したが、ラ・セーヌ・シュル・メールのFCM社(Forges
et Chantiers de la Méditerranée:地中海造船・製鉄所)が開発したFCM36軽戦車もその1つであった。
FCM36軽戦車は車体と砲塔に全溶接構造を採用しており、エンジンもディーゼル・エンジンを採用するなど、当時のフランス軍戦車の中で最も先進的なコンセプトを持つ意欲的な戦車であったが、製造コストが高いために100両の少数生産に留まっていた。
1940年6月22日のフランス降伏後、生き残ったFCM36軽戦車を接収したドイツ軍は本車に「FCM(f)戦車 識別番号737(f)」の鹵獲兵器呼称を与え、フランスにおける国内防衛や警備といった二線級任務に使用していた。
しかし、慢性的な自走砲の不足に苦しんでいたドイツ軍はFCM(f)戦車を自走砲に改造することを計画し、まず1942年にベッカー特別生産本部(ドイツ陸軍兵器局パリ支局の工場の通称)に対し、8両のFCM(f)戦車をエッセンのクルップ社製の22口径10.5cm軽榴弾砲leFH16を搭載する自走榴弾砲に改造することを命じた。
完成したFCM(f)自走榴弾砲は、1942年10月31日付のK.St.N.(戦力定数指標)430により新編された特別編制装甲砲兵大隊の第1、第2中隊にそれぞれ4両ずつが配備された。
続いて1943~44年にかけて14両のFCM(f)戦車が、ベッカー特別生産本部でデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40を搭載する対戦車自走砲に改造された。
対戦車自走砲への改造要領であるが、まずFCM(f)戦車の砲塔を撤去し、操縦室後方から機関室隔壁までをオープントップとした上で、車内に架台を設けて7.5cm対戦車砲PaK40/1を搭載した。
さらに砲の周囲を10~20mm厚の装甲板で囲んで戦闘室が形成されたが、ベースとなった車体が小型であるため、戦闘室の側面装甲板を外側に張り出すことで内部スペースの拡大を図っていた。
先に改造された自走榴弾砲型も改造要領は全く同じであったが、自走榴弾砲型の防盾が1枚の装甲板で形成されていたのに対し、対戦車自走砲型の防盾は2枚の装甲板を用いて構成されていた。
完成したFCM(f)対戦車自走砲はフランス駐留の西部快速旅団に配備され、北フランスにおいて連合軍との戦闘に投入された。
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<FCM(f) 7.5cm対戦車自走砲>
全長: 4.77m
全幅: 2.14m
全高: 2.23m
全備重量: 12.2t
乗員: 4名
エンジン: ベルリエMDP 4ストローク直列4気筒液冷ディーゼル
最大出力: 91hp/1,550rpm
最大速度: 28km/h
航続距離: 200km
武装: 46口径7.5cm対戦車砲PaK40/1×1
7.92mm機関銃MG34×1
装甲厚: 10~40mm
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<参考文献>
・「パンツァー2010年12月号 ドイツ対戦車砲の主力 7.5cmPaK40 (1)」 稲田美秋 著 アルゴノート社
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年12月号 ドイツ軍捕獲戦闘車輌」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2022年10月号 ドイツ軍自走砲(6)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 フランス軍用車輌」 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「捕獲戦車」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
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