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+開発前史
1977年8月24日、ジミー・カーター大統領は大統領指示18号により、全世界規模で即応展開できる部隊の創設を下令した。 翌1978年、アメリカ陸軍の第82、第101空挺師団の2個師団と、海兵隊の1個師団に対して即応展開任務が指定されたものの、この時点では単なる書類上の規定に過ぎなかった。 しかし、翌1979年のイラン革命に伴うアメリカ大使館人質事件や、これに続く第2次石油危機を受けて、この種の部隊の必要性は一気にクローズアップされることとなった。 カーター大統領は1980年1月の一般教書演説で、湾岸地域での紛争に対して積極的に介入していくというカーター・ドクトリンを示し、その尖兵として「RDF」(Rapid Deployment Force:緊急展開軍、後のアメリカ中央軍)の創設が決定された。 このRDFにおいては軽装備の2個空挺師団と、重装備の第24歩兵師団と共に、空輸による戦略機動力と従来型歩兵師団の火力を両立した先進軽歩兵師団として、第9歩兵師団が指定されていた。 1980年代初頭よりアメリカ陸軍は、この先進軽歩兵師団やAOE軽歩兵師団のように、優れた戦略機動力を備えつつも一定レベルの火力を備えることを求められる部隊に対して、機甲火力を付与する計画を開始した。 なお当時アメリカ陸軍には、輸送機からの空中投下が可能なM551シェリダン空挺軽戦車が存在したが、同車をヴェトナム戦争に投入した結果、能力的に不充分であることが判明し、すでに旧式化していたこともあり、陸軍は1977年にM551空挺軽戦車の退役プロセスを開始していた。 M551空挺軽戦車の後継となる新型軽戦車は、当初「APAS」(Air-transportable Protected Assault/Anti-armor System:被空輸・防護・強襲/対戦車システム)の計画名で開発が進められた。 APASの具体的な要求としては、戦闘重量21〜22t、攻撃力は全てのAFVを撃破可能で、一定水準の装甲防御力を有し、被空輸性はC-130ハーキュリーズ中型輸送機による、LAPES(低高度パラシュート投下システム)の使用が可能というものであった。 その後、攻撃力の要求が「ソ連軍のT-72戦車を撃破できる火力の搭載」と明確化され、「MPG」(Mobile Protected Gun:機動防護砲)と計画名も改められた。 一方、アメリカ海兵隊も陸軍より2年早い1978年に、「MPWS」(Mobile Protected Weapons System:機動防護兵器システム)と呼ばれる新型軽戦車の研究を開始していた。 MPWSの開発要求は戦闘重量16t、攻撃力は可能な限り多くのAFVを破壊でき、装甲は最小限のものとされたのである。 これに反して被空輸性は、CH-53Eスーパー・スタリオン大型輸送ヘリコプターによる吊り下げ空輸が可能なことと明確になっていた。 しかし、この高い被空輸性の要求が開発全体の足枷となった。 1981年、アメリカ議会は陸軍のMPG計画と海兵隊のMPWS計画が類似兵器の開発、つまり予算の無駄遣いであるとして、計画の一元化を決定した。 一元化された計画は「MPGS」(Mobile Protected Gun System:機動防護砲システム)と呼称され、陸軍と海兵隊の共同軽戦車開発計画となったのである。 しかし、陸軍のMPGと海兵隊のMPWSの開発コンセプトは、強力な対AFV能力という点では一致していたのだが、開発が具体化してくると開発要求の根本的相違がはっきりしてきた。 海兵隊のMPWSは重量制限16t、搭載火砲が60mmあるいは75mm砲であったのに対し、陸軍のMPGの重量制限は22t、搭載火砲は90mmあるいは105mm砲(低圧)と、陸軍の方が大型・強力なものを望んでいたのである。 この違いは両者に要求された被空輸性の大小、つまり輸送手段のキャパシティーの違いにあったといえる。 陸軍はC-130輸送機、海兵隊はCH-53Eヘリコプターでの空輸を最低条件としていたのである。 時間と予算を浪費した挙句、同一目的の兵器システムにも関わらず、両軍の共同開発は流産となってしまった。 1984年になって、アメリカ陸軍はMPGSの代替計画として、「CLAWS」(Close Combat Light Armour Weapon System:近接戦闘軽装甲兵器システム)に取り掛かった。 このCLAWS計画は、確実に新型軽戦車の実用化を実現させるために、開発・調達費の低廉化が図られた。 既存のコンポーネントを可能な限り流用し、これに新テクノロジーによる改修を加えてグレードアップするわけである。 タイムリミットもはっきり、1989年に実戦配備できるようにと決められた。 要求仕様も、以下のように具体的に示された。 ・装軌式車両であること ・M1エイブラムズ戦車のFCS(射撃統制装置)を導入 ・M2ブラッドリー歩兵戦闘車並みの機動力 ・自動装填装置の装備 ・105mm戦車砲(高初速)の搭載 ・既存の砲弾と改良砲弾の両用性 ・NBC防御力 ・既存コンポーネントの最大限の活用 ・C-130中型輸送機による被空輸能力とLAPES ・制限重量内での最大限の装甲防御力 ・既存設備による兵站・訓練・修理への適合 ・M1戦車の乗員が簡単な訓練でCLAWSを運用できる操作性 ところが舌の根も乾かない翌1985年には、再びCLAWS計画は「AGS」(Armored Gun System:装甲砲システム)に呼称が変更された。 アメリカ陸軍はAGSをもって、空挺師団で運用されていたM551空挺軽戦車と、機甲騎兵連隊で運用されていたBGM-71 TOW対戦車ミサイル搭載型HMMWVを同時に代替する予定であった。 |
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+遠征戦車の開発
1987年にAGS試作車の要求仕様が国内外のメーカーに示されると、多くの候補車両がこの競争に名乗りを上げた。 話は前後するが1970年代後半、ミシガン州マスキーゴンのTVS社(Teledyne Vehicle Systems:テレダイン車両システム)は、様々な任務に使用できる機動性の高い軽量装軌式車両の設計について、複数の研究を行った。 1980〜81年にかけて社内試験が続けられて、1982年には詳細な設計案がまとめられ、TVS社はこれを「LFACS」(Light Future Armored Combat System:軽量未来装甲戦闘システム)と名付けた。 同社はLFACSを設計するにあたって、主要な仕様を以下のように定義していたが、奇しくも前述のCLAWS(後のAGS)計画の要求仕様と、LFACSの設計仕様は非常に共通点が多く、まさにアメリカ陸軍が望んでいた通りの車両を、TVS社が開発しようとしていたことが分かる。 ・C-130中型輸送機による被空輸能力とLAPES ・既存コンポーネントの最大限の活用 ・自動装填装置の装備 ・105mm戦車砲(高初速)の搭載 ・M60A3戦車と同等の精度を誇るFCSを導入 ・路外での高い機動性 ・生残性を高めるためにシルエットを低くする TVS社はLFACSの設計をベースとして、ミシガン州スターリングハイツのGDLS(General Dynamics Land Systems)社と共同で、新型軽戦車の試作車体と砲塔の製作に取り掛かった。 試作車体は1983年12月に完成し、砲塔は1984年半ばまでに完成した。 1984年10月には、ネヴァダ州の試験センターで機動性と信頼性の試験が行われ、1985年4月に車体と砲塔が一体化された。 この新型軽戦車は1カ月後の1985年5月、ケンタッキー州フォート・ノックスで開催されたアメリカ陸軍装甲会議で初めて発表された。 メーカー側は本車に「遠征戦車」(Expeditionary Tank)という呼称を与えたが、「テレダイン軽戦車」や、全ての乗員が車体内に配置される奇抜なスタイルに因んで、「スラマー」(Slammer:ムショ、ブタ箱)の別名でも呼ばれた。 1986年には、遠征戦車の射撃試験が成功裏に実施された。 遠征戦車は車体後部に、自動装填装置付きの105mmライフル砲を剥き出しで装備する背負い式砲塔を搭載し、3名の乗員が全て車体内に収容され、エンジンを車体前部右側の機関室に搭載するという、奇抜な設計の軽戦車であった。 車長と砲手は車体後部の戦闘室内に並んで配置され、操縦手は隔壁で戦闘室と仕切られた、車体前部左側の操縦室内に配置された。 なおAGS計画には遠征戦車の他にも、ルイジアナ州スライデルのキャディラック・ゲージ社製の「スティングレイ」(Stingray:アカエイ)軽戦車、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアのFMC社製の「CCV-L」(Close Combat Vehicle-Light:軽量近接戦闘車両)等、多くの国内メーカーの応募があった。 さらに海外からも、イギリスのアルヴィス社製のストーム105軽戦車、スウェーデンのヘグルンド車両製のCV90105TML軽戦車などが提案された。 そしてアメリカ陸軍によるトライアルの結果、1992年6月にFMC社のCCV-LがAGS計画の勝者に選ばれ、「XM8 AGS」の呼称が与えられた。 CCV-Lが勝利した理由は、最もバランス良くAGSの要求を実現していたからである。 突飛なハイテク技術は無かったが、自動装填装置の採用による乗員の3名化を実現し、最も能力的にレベルが高い車両であった。 しかもスティングレイ軽戦車を除けば、最も完成された試作車をトライアルに参加させていたのである。 続いて1995年10月に「M8 AGS」として制式化が行われ、LRIP(Low Initial Rate Production:低率初期生産型)の生産に入った。 M8軽戦車は、当時第82空挺師団の第3/第73機甲大隊のみで運用されていた、M551空挺軽戦車を置き換えることが予定されていた。 ところが1996年度の予算請求において、アメリカ国防省は1950年以来最低水準の予算の割り当てしか得られず、このためアメリカ陸軍は、幾つかの兵器開発計画の削減や縮小を余儀なくされた。 その中で、M8軽戦車は装甲防御力が不足しているという評価が不安視され、デニス・レイマー陸軍参謀総長の決断で調達中止が決定された。 第3/第73機甲大隊のM551空挺軽戦車は1997年に配備を解かれ、その後は少数が演習用のヴィスモッド(敵軍が使用する兵器に似せて改造された車両)として運用されたが、2004年に退役した。 M8軽戦車の調達が中止されたことで、アメリカ陸軍はこれに代わるM551空挺軽戦車の後継車両の調達を模索し始めたが、1999年にエリック・シンセキ陸軍参謀総長は、より軽量で輸送し易い部隊の構想を打ち出した。 アメリカ陸軍はシンセキの構想を実行するために、「IAV」(Interim Armored Vehicle:暫定装甲車両)計画を開始した。 このIAV計画は、C-130中型輸送機で空輸可能な軽量車両を用いて、兵員輸送、対戦車戦闘、指揮統制など様々な任務に用いるAFVをファミリー化することを目指しており、その中には、105mmライフル砲を装備する火力支援型「MGS」(Mobile Gun System:機動砲システム)も含まれていた。 これに対し、ヴァージニア州アーリントンのUDI社(United Defense Industries:防衛産業連合、1994年にFMC社から改組)は、M8軽戦車の改良型をMGSに採用することを提案した。 一方、カナダのジェネラル・モーターズ・オブ・カナダ(GMカナダ)社は、自社が開発したLAV-III 8×8型装甲車の改良型に、GDLS社製の「LPT」(Low-Profile Turret:低姿勢砲塔)を搭載した車両を、MGSの候補として提案した。 なおこのLPTは元々、TVS社が遠征戦車用に開発した自動装填装置付きの105mm砲塔システムである。 1992年にAGS採用競争に敗れた後、TVS社は遠征戦車とLPT砲塔システムを海外に積極的に売り込んだ。 しかし残念ながら、遠征戦車はどこからも受注を得られなかった。 一方LPT砲塔システムは、イギリス製のセンチュリオンMk.5戦車の車体に搭載してデモンストレイションが行われ、アメリカ製のM60戦車用の取り付けキットが設計された。 TVS社はアメリカ製のパットン戦車シリーズ、旧ソ連製のT-54/55/62戦車、フランス製のAMX-30戦車、センチュリオン戦車のアップグレード・パッケージの一部として、LPT砲塔システムを提案した。 その後、1996年にTVS社はGDLS社の親会社である、ヴァージニア州レストンのジェネラル・ダイナミクス社に吸収合併され、LPT砲塔システムの事業はGDLS社が引き継ぐことになり、前述のようにGMカナダ社のMGS候補車両に採用された。 そしてアメリカ陸軍は最終的に、GMカナダ社が提案したLAV-III装甲車改良型のファミリーを、IAV計画の勝者として採用することを決定し、「ストライカー」(Stryker)の呼称を与えると共に、LPTを搭載した火力支援型は「M1128 MGS」として制式化され、M8軽戦車改良型は落選した。 M1128 MGSは、2000年代の紛争地であるイラクやアフガニスタンでのPKO活動に派遣され、一定の成功を収めた。 しかしM1128 MGSは、装輪式車両であるため装甲強化および性能強化の余地が小さく、また防御力の不足、自動装填装置のコスト高等の理由から主力装備とはならなかった。 そこでアメリカ陸軍はM1128 MGSの後継として、軽量な装軌式車両に低反動化された105mmライフル砲を搭載するというコンセプトの戦闘車両、「MPF」(Mobile Protected Firepower:機動防護火力)の開発を計画した。 このMPF計画において、2005年にUDI社を吸収合併したイギリスのBAEシステムズ社は、再びM8軽戦車改良型(XM1302と改名)で挑み、GDLS社も遠征戦車のリベンジを果たすべく、オーストリア/スペイン共同開発のASCOD歩兵戦闘車をベースとする、新型軽戦車「グリフィンII」を提案した。 そして2022年3月に、BAEシステムズ社のコンプライアンス違反という意外な理由で、アメリカ陸軍はグリフィンII軽戦車をMPF計画の勝者に選定し、2023年6月にM10「ブッカー」として制式化される運びとなった。 なお、AGS計画で一旦勝利しながら採用を取り消され、その後MGS計画、MPF計画で続けて敗北するという不幸な運命を辿ったM8/XM1302軽戦車は、MPF計画のトライアル用に12両製作された試作車の内の1両が、ジョージア州コロンバスのフォート・ムーア敷地内の、アメリカ陸軍機甲騎兵コレクションの収蔵品として余生を送ることとなった。 一方、遠征戦車の試作車の運命については不明である。 2014年に投稿されたブログの写真によると、遠征戦車の試作車は車体のみが、マスキーゴンの旧TVS社工場の外に置かれていたという。 遠征戦車の砲塔の運命については定かでないが、LPT砲塔システムはGDLS社に事業が引き継がれていることから、試作車の砲塔は他の開発プログラムのテストに使用された可能性がある。 |
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+攻撃力
前述のように遠征戦車は、TVS社が本車用に開発した自動装填装置付きの105mm砲塔システム「LPT」を搭載していた。 LPT砲塔は通常の砲塔と異なり、操作を行う砲手と車長は砲塔リングより低い位置に配置され、主砲とそれを支える砲架のみが砲塔リングの上部に露出する構造になっていた。 このような構造を採用したことで、LPT砲塔は通常の砲塔に比べて前面投影面積が非常に小さく、被発見性や砲塔への被弾確率を低下させることに成功している。 砲手は防弾アルミ製の砲塔バスケット内の左側、車長は右側に配置され、バスケット内には破片防御用のスポール・ライナーが張り巡らされていた。 砲手席と車長席の中央には、主砲弾薬の自動装填装置が配置されていた。 この自動装填装置の装填システムは、砲塔バスケット内の回転式弾倉が一番上の砲弾を斜め上に持ち上げ、その砲弾をラマーが掴んで引き上げて、主砲の砲尾に装填するようになっていた。 主砲の射撃後は、砲塔後部バスルの後面と下面の中央部が自動的に開き、ここから空薬莢が車外に排出された。 この自動装填装置により、LPT砲塔は5〜6発/分の速度で主砲の射撃を行うことが可能になっていた。 遠征戦車の主砲弾薬搭載数は不明であるが、同じくLPT砲塔を搭載するM1128 MGSの場合、砲塔バスケット内の回転式弾倉に8発と、車体後部の回転式主砲弾薬庫に10発の、計18発の主砲弾薬が搭載される。 主砲弾薬は車体後部の主砲弾薬庫に人力で搭載し、主砲弾薬庫から回転式弾倉へは自動で給弾できた。 遠征戦車のLPT砲塔に装備された主砲は、西側諸国の戦後第2世代MBTの標準武装となった、イギリスの王立造兵廠製の51口径105mmライフル砲L7をベースに、ニューヨーク州のウォーターヴリート工廠が改良を施した、51口径105mmライフル砲M68A1(M1128 MGSに搭載されている最新のLPT砲塔では、改良型のM68A2に換装されている)である。 L7砲で、タングステン合金の弾芯を持つ最新のM1060A3 APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)を発射した場合、砲口初速1,560m/秒、射距離2,000mで460mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能とされており、戦後第3世代MBTにも対抗することができる。 主砲の先端には多孔式の砲口制退機が装着されており、射撃時の反動軽減に寄与していた。 またLPT砲塔は、主砲の駐退・復座機構にも工夫が凝らされており、射撃時の反動の低減が図られていた。 このため、LPT砲塔は装輪式装甲車や軽戦車にも搭載することが可能となっていた。 なお、遠征戦車がAGS計画の勝者となった場合、生産型では主砲をウォーターヴリート工廠製の、51口径105mm低反動ライフル砲M35に換装することが予定されていた。 M35砲は、FMC社のCCV-L用にL7砲をベースに、「EX35」の呼称で開発された低反動タイプの105mmライフル砲で、M68A1砲より射撃時の反動が小さいため、遠征戦車のような軽戦車への搭載に適していた。 遠征戦車の副武装としては、主砲と同軸に7.62mm機関銃が1挺装備されていたが、オプションとして、車長用キューポラにアームを介して取り付けられた武装ステイションに、7.62mmもしくは12.7mm機関銃、または40mm自動擲弾発射機を装備することが可能であった。 車長席の上部には周囲に多数のペリスコープを備え、上部に右開き式のハッチを備えたキューポラ、砲手席の上部には左開き式のハッチがそれぞれ設けられていた。 砲手用ハッチの前方に設けられた砲手用サイトは、昼間用の光学サイトおよび夜間用の第2世代FLIR(Forward Looking Infrared:赤外線前方監視装置)、レーザー測遠機で構成されており、対物ミラーの2軸が安定化されていて、機動中も良好な目標への追従性を持つ。 砲塔上面後部右側には、2軸が安定化された車長用の展望式サイトが設けられており、砲手が目標を照準中に車長が次の目標を捜索・照準する、ハンター・キラー的運用が可能となっていた。 砲塔の旋回と主砲の俯仰は電気駆動式となっており、車長が砲手にオーバーライドして主砲の指向・射撃を行うことも可能になっていた。 LPT砲塔は全周旋回が可能で、主砲の俯仰角は−8〜+18度となっていた。 |
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+防御力
遠征戦車は開発コストと時間の削減を図るため、アメリカ陸軍の主力IFV(歩兵戦闘車)である、M2ブラッドリーIFVのコンポーネントを多く流用しており、車内レイアウトが通常の戦車と大きく異なっていた。 通常は車体後部に配置される機関室は、M2 IFVと同様に車体前部右側に配され、車体前部左側は操縦室となっていた。 車体後部は、主砲とそれを支える砲架のみが砲塔リングの上部に露出する、奇抜な形状のLPT砲塔を搭載した戦闘室となっており、砲塔の操作を行う砲手と車長は、砲塔リングより低い位置の砲塔バスケット内に配置されていた。 砲手は防弾アルミ製の砲塔バスケット内の左側、車長は右側に配置され、バスケット内には破片防御用のスポール・ライナーが張り巡らされていた。 遠征戦車の車体は、被弾確率の低減と避弾経始の向上を図って、非常に低平なスタイルにデザインされており、さらに、前面投影面積の非常に小さいLPT砲塔と組み合わせたことで、さらなる被弾確率と被発見性の低減を実現していた。 本車は、AGS計画の候補車両の中で最も洗練された近未来的なデザインの車両であり、アメリカ陸軍関係者の注目を集めたが、デザインが奇抜過ぎて、実用性にやや問題点を抱えていたのも事実である。 遠征戦車の車体は、軽量化と防御力の強化を両立させるため、通常の戦車のように圧延防弾鋼板の溶接構造ではなく、様々な装甲材を組み合わせた複雑な構造になっていた。 本車の装甲材は圧延防弾鋼板、鋼鉄とセラミックの複合材、防弾アルミ板とケブラー、そしてセラミック増加装甲板で構成されており、車体前面は旧ソ連製の23mm機関砲弾の直撃、車体側面は旧ソ連製の14.5mm重機関銃弾の直撃に耐える防御力を備えていた。 また遠征戦車は、モジュール式の増加装甲板を装着することができるようになっており、被空輸時には軽量な基本装甲の状態で輸送機に搭載し、敵の脅威レベルが高い地域に到着してから増加装甲板をボルト止めして、防御力を強化することが可能であった。 また、本車は対戦車地雷に対する防御力を高めるため、車体底面に空間装甲を導入していた。 |
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+機動力
前述のように、遠征戦車は開発コストと時間の削減を図るため、M2 IFVから多くのコンポーネントが流用されていた。 特に、動力装置関係のコンポーネントが多く流用されており、手動バックアップ付きの電動砲塔駆動装置は、M2 IFV用に開発されたものを採用しており、エンジンと変速・操向機についても、M2 IFVと同じ組み合わせが用いられた。 具体的には、インディアナ州コロンバスのカミンズ発動機製の、VTA-903-T 4ストロークV型8気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(500hp/2,600rpm)と、コネティカット州フェアフィールドのジェネラル・エレクトリック社製の、HMPT-500油圧機械式自動変速・操向機(前進3段/後進1段)の組み合わせで、冷却装置等と共にパワーパックとして一体化されていた。 戦闘重量約23tのM2 IFVはこのパワーパックによって、路上最大速度41マイル(65.98km)/hの高い機動性能を発揮するが、より軽量(戦闘重量約21t)な遠征戦車は、路上最大速度45マイル(72.42km)/h〜50マイル(80.47km)/hという、装軌式車両としては最高クラスの機動性能を発揮できた。 これは、M2 IFVがサスペンションに安価なトーションバー(捩り棒)方式を採用していたのに対し、遠征戦車が油圧によって自由に車体を上下できる、高価な油気圧式サスペンションを採用したことも影響したと思われる。 M2 IFVと遠征戦車はサスペンション方式が異なるだけでなく、転輪のサイズも遠征戦車の方がやや大きく、その代わり転輪数はM2 IFVが片側6個なのに対し、遠征戦車は片側5個と1個少ない。 また、上部支持輪の数もM2 IFVが片側3個なのに対し、遠征戦車は1個少ない片側2個と推測されている。 一方、遠征戦車の航続距離については明らかにされていないが、M2 IFVやAGS計画で争ったCCV-L、スティングレイ軽戦車がいずれも路上で300マイル(483km)なので、遠征戦車も同程度ではないかと思われる。 |
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遠征戦車全長: 7.0m車体長: 全幅: 3.6m 全高: 2.8m 全備重量: 21.0t 乗員: 3名 エンジン: カミンズ VTA-903-T 4ストロークV型8気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 72.42〜80.47km/h 航続距離: 武装: 51口径105mmライフル砲M68A1×1 7.62mm機関銃M240×1 装甲厚: |
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参考文献・「パンツァー2010年1月号 最後の軽戦車スティングレイ AGS計画から輸出用へ」 柘植優介 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2025年1月号 M10ブッカー 開発経緯とその将来像」 宮永忠将 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2015年2月号 機動戦闘車 vs ストライカーMGS」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年4月号 復活が期待されるM8軽戦車」 武藤猛 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2001年8月号 アメリカのAGS試作車輌」 アルゴノート社 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版 |