+LVA計画
アメリカ海兵隊は第2次世界大戦以前から水陸両用作戦の研究を進め、第2次大戦中には強襲上陸を行うための水陸両用車両を数多く開発している。
第2次大戦中は無装甲の装軌式水陸両用車から始まり、火砲や車両を搭載できる揚陸車両、朝鮮戦争時代には陸上での作戦能力を高めた大型のLVTP5が開発された。
そしてヴェトナム戦争期には車体を小型化し、上陸後の生存性を向上させたLVTP7が導入されて今日に至っている。
LVTP7(1984年にAAV7に改称)は、沖合でドック型揚陸艦から発進して水上を航行、上陸後は障害を突破しつつ、収容した25名の海兵隊員を装甲防護し、敵前に殺到する。
これが、アメリカ海兵隊の上陸作戦におけるLVTP7の運用である。
しかし難点もある。
LVTP7は水上での航続距離100kmと一定の性能が確保されている一方、水上での推進力は2基のウォーター・ジェットもしくは履帯を駆動させることで得ていたので、水上航行速度は14km/hと非常に遅く、実用上では4km程度の沖合から揚陸艦を発進していた。
これでは海上を低速航行中のところを、対戦車ミサイルや火砲で破壊される可能性が高い。
そしてLVTP7の搭載火力は12.7mm重機関銃のみで、降車戦闘の支援には限界があった。
水上から地上の敵火力拠点を掃討し、上陸後には敵AFVの脅威に対処できるといった能力は持ち合わせていなかった。
そこでアメリカ海兵隊は、1973年に「LVA」(Landing Vehicle Assault:上陸用強襲車両)計画を立ち上げ、1975年には仮試作要求を出した。
海兵隊では水平線を超える45km先から母艦を発進、45〜65km/hの高速で航行し、最小時間で海岸へ到達、高度な火力システムにより水上陸上共に脅威に対処可能な能力をLVA計画に求めていた。
最大の課題は、いかにして高速を発揮するかであった。
LVA計画に参加したのはテキサス州フォートワースのベル・エアロスペース社、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアのFMC社、そしてワシントン州ベルビューのパッカー社の3社であった。
ベル社は実績を固めていたエアクッション艇技術を応用し、水上航行時は車体下部のエアクッションを用い、上陸後は履帯により走行する方式を提案した。
これに対してFMC社が提案したのは、プレーニング方式(滑水方式)であった。
これは、一定以上の速度で水上を航行すると船体が揚力により浮揚し、抵抗が最小限となる高速艇の構造を応用したもので、車体両端に鋼板を張り出して滑水に適した形状とし、上陸後はやはり履帯により機動する案であった。
一方パッカー社の案は、一種の水中翼による高速の発揮を目指しており、上陸時には水中翼を車内に収納し、やはり履帯にて機動するという方式だった。
高速の発揮には、従来のLVTP7とは比べ物にならない強力なエンジンが必要とされ、当時アメリカ陸軍が開発を進めていたXM1戦車(後のM1エイブラムズ戦車)が搭載する、ペンシルヴェニア州ウィリアムズポートのライカミング発動機製のAGT-1500ガスタービン・エンジン、西ドイツ陸軍が開発を進めていたレオパルト2戦車が搭載する同国のMTU社製のMB873Ka-501ディーゼル・エンジン、ノースカロライナ州デイビッドソンのカーティス・ライト社製の新型ロータリー・エンジンが候補として検討されていた。
しかし1981年までに試作車を開発し、1980年代に実用化することを目標としたLVA計画は研究段階での課題と、ソ連軍のアフガニスタン侵攻などによる米ソの緊張に突き当たった。
この結果、とりあえず既存のLVTP7に近代化改修を施して就役寿命の延長を図ると共に、M1戦車やM2ブラッドリー歩兵戦闘車などの新型AFVの部隊配備が優先されることになり、まだ開発途上にあったLVA計画は中断を余儀なくされた。
そして増加装甲による防御力向上、12.7mm重機関銃と40mm自動擲弾発射機を同軸装備する新型砲塔の搭載、重量増加に対応するエンジンの近代化などの、「RAM/RS」(Reliability,
Availability, Maintainability/Rebuild to Standard:信頼性、有効性、整備性、標準復帰)と呼ばれる改修を施したAAV7
RAM/RSが製作され、今日に至るまでアメリカ海兵隊の主力装備として運用されている。
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+AAAV計画と車体構造
1991年末のソ連崩壊に伴う東西冷戦終結後、本格的な上陸戦闘は発生せず、AAV7も主としてアメリカ海兵隊のAPC(装甲兵員輸送車)として多用されている。
これは1991年の湾岸戦争や2003年のイラク戦争等において、上陸作戦を必要としない部隊展開手段の選択、また強襲上陸が多大な人的損耗を強いることから避けられた結果である。
一方で湾岸戦争では、アメリカ海兵隊の両用戦部隊が海上で陽動を行い、イラク軍部隊の行動を制限することができ、その潜在能力を発揮できた。
強襲上陸能力は意義がある一方、現代戦では携帯式火器の長射程化や高性能化、砲兵精度の向上等によりAAV7の性能では限界を来していた。
そこでアメリカ海兵隊は再び、AAV7の後継車両を「AAAV」(Advanced Amphibious Assault Vehicle:先進的水陸両用強襲車両)の計画名で開発することを企画した。
海兵隊の新しい水陸両用車両としては、LVA計画中断後も1988年から技術研究が実施されており、1990年よりこの計画にFMC社と、ミシガン州スターリングハイツのGDLS(ジェネラル・ダイナミクス・ランドシステムズ)社が参加した。
AAAVの開発コンセプトは、滑水船体型式の採用による水上高速航行の実現が主眼であった。
滑水状態として水の抵抗を最小限とするには一定以上の速力が必要なため、最大限強力なエンジンが求められた。
この時点でのAAAVの火力は25mm機関砲の搭載を計画し、装甲防御力はAAV7の2倍を付与するという構想であった。
AAAVの開発が本格的に始動したのは1996年で、試作案の評価ではGDLS社案が技術的実現性や運用性能面で優れていると判断された。
AAAVの試作作業は1999年に完了し、車両のロールアウトを迎えた。
試作車は兵員輸送型が2両、指揮・通信型が1両製作され、2001年まで試験に供された。
AAAVは海上高速航行と陸上機動力の向上を主眼として開発され、同時に水上航走時の高速航行を発揮する上で必要なサスペンション・システムと、陸上戦闘における不整地突破能力をいかに両立させるかに重点を置き試験が実施された。
AAAVの第1次試作車は、出力2,600hpの強力なエンジンを搭載することで水上最大速度47km/hを発揮できた。
この試作車の重量は32t、AAV7の重量は24tなので大幅に重量が増加しているが、強力なエンジンを搭載した成果である。
この時点で2006年までにAAAVの量産体制を確立し、1,013両を調達する計画が立てられた。
ちなみに、AAV7の総生産数は1,398両である。
AAAVの量産体制を確立するための第1段階として、まず「AAAV-SDD」と呼ばれるシステム開発実証車が製作された。
本車は自重28.7t、戦闘重量34.5t、全長10.57〜9.27m(水上航行時・陸上機動時)、全幅4.45〜3.63m、全高2.80〜3.32m、乗員は3名で兵員室内に完全装備の兵員17名を収容、搭載燃料1,226リットルで航続距離は陸上523km、水上120kmであった。
速力は地上72.4km/h、水上46.3km/h、3mの波高でも運用が可能で、推進方式は陸上では履帯、水上ではウォーター・ジェットを用いるようになっていた。
兵員輸送型AAAVの武装は、ヴァージニア州アーリントンのATK(アライアント・テックシステムズ)社製の80.3口径30mm機関砲Mk.44ブッシュマスターIIと、ベルギーのFNハースタル社製の7.62mm機関銃M240を、密閉式の全周旋回式砲塔に同軸装備していた。
兵員輸送型AAAVの砲塔はMk.44としてシステム化され、砲安定装置により垂直・水平の2軸が安定化されているため走行間射撃が可能で、30mm機関砲の最大射程は3,000mあり、M1戦車と同等のFCS(射撃統制装置)により全天候で2,000m先の目標を制圧できた。
弾薬搭載数は30mm機関砲弾が395発、7.62mm機関銃弾が1,400発となっていた。
30mm機関砲弾は戦後第2世代MBTの前面装甲を貫徹可能なAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)と、陣地制圧や火力支援に使用するHE(榴弾)、航空機に対処するHETF(時限信管付榴弾)を搭載し、連射性能は250発/分を誇る。
一方、指揮・通信型AAAVは兵員輸送型と異なり砲塔が搭載されず、代わりに強力な情報統制機能を有していた。
そして上級指揮官1名、幕僚7名が乗車し、その他に高度な指揮情報端末7基、無線機11基が搭載されていた。
情報端末はネットワーク化され、無線機は統合戦術無線システムとリンクし、大隊・連隊本部の機能を発揮できた。
AAAVは車体を滑水状態とすることで高速水上航行を実現していたが、そのために車体形状を船型とすることで抵抗を最小限としていた。
通常状態から水上航行状態(船型)への転換は水深5.5m以上、速力10ノット(18.5km/h)以内で行われ、車内操作により駆動系を引き上げ、車体底部の鋼板を左右に180度開いて履帯の底部を覆う。
続いて車体前部の波切り板を前に倒し、波切り板の両側を左右に伸ばして履帯前部の露出部分を塞ぐことで、水上航行状態へのコンバートを完了する。
AAAV(兵員輸送型)の車内レイアウトは、車体前部に操縦手席、陸上用変速・操向機、搭乗部隊指揮官席が配置され、車体中央部前寄りに砲塔が搭載され、砲塔バスケット内に車長と砲手が位置した。
車体中央部から後部にかけて巨大なエンジンが設置されており、その両端には縦一列に左右各3名計6名分の兵員用座席が配置されていた。
車体後部は兵員室となっていたが、両端は水上航行用のウォーター・ジェットが位置していたので、中央の狭い空間に10名の兵員が向かい合わせに着席した。
AAAVはとにかく強力なエンジンを必要としたため、第1次世界大戦時のイギリス軍の菱形戦車のように、車体中央部に巨大なエンジンが配置されるという、現代のAFVとしては特異な車内レイアウトになっていた。
搭載エンジンは、MTU社(Motoren und Turbinen Union:発動機およびタービン連合企業)製のMT883Ka-523 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(重量2,722kg)で、出力2,600hpを発揮した。
なお陸上機動時は出力を大幅に絞り、燃費を向上させるようになっていた。
エンジン周辺には下部に陸上機動用、直前部に水上航行用の変速・操向機を配置し、下部に履帯とウォーター・ジェットを搭載した。
しかし、この車内レイアウトは上陸後の降車戦闘に課題を残した。
左右各58cmのウォーター・ジェット噴出口が乗降用ドアの容積を圧迫し、ドアは最小限完全武装の海兵隊員1名が降車可能な大きさしか確保できなかった。
しかし、アメリカ西海岸のペンドルトン海兵基地を中心に行われた水上航行試験では、AAAVは計画通り異例の高速水上航行能力を発揮し、技術的成果を得た。
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+EFV計画とその終焉
AAAVとして試験が進められていたシステム開発実証車SDDの成果を基に、次の段階として2003年に技術試作車が製作された。
技術試作車は10両製作されたが、同時に計画名も「AAAV」から「EFV」(Expeditionary Fighting Vehicle:遠征戦闘車両)へと改称された。
技術試作車の基本構造はSDDと同様だったが細部に変更があり、戦闘重量34.5t、全長10.67〜9.27m(水上航行時・陸上機動時)、全幅4.45〜3.66m、全高2.80〜3.28mとなった。
その結果、所要の水上速力を発揮するためにエンジン出力も2,703hpへと強化された。
またEFVはC4I能力が充実しており、データリンクにより戦場管理情報、GPSによる位置情報を車長や指揮官に表示し、UHF衛星通信用、VHF、UHF多機能各アンテナを搭載していた。
車体の装甲材質には、防御力と軽量性を兼ね合わせた2519-TSY87防弾アルミ板を採用し、外装式セラミック追加装甲、車内にケブラー防護材を装着して防御力を高め、耐弾試験では14.5mm重機関銃の直撃や砲弾の破片に耐える防御力を発揮した。
だがイラク戦争の後、この防御力では不充分であるとの声が上がった。
そのため、第3次試作車では防御力の強化を軸とし、車体下面に追加装甲を装着可能とした。
これはIED(即席爆発装置)の爆発から乗員を防護するもので、イラクにおけるAAV7の被害から追加されたものである。
また爆風対策に車体下部をV字型とする要望も出されたが、これ以上の変更はさらなる設計変更が必要となり、開発コストの高騰に繋がる。
他方で、安易な増加装甲は車体の浮力を削いでしまい、水上航行能力に支障をきたす。
この防御力の強化と性能の維持という両立が難しい問題の解決を目指して、第3次試作車が7両製作されて各種試験に供された。
EFV計画は2007年に実戦配備を開始することを念頭に作業が進められたが、2003年にイラク戦争が勃発したことで戦費捻出のためEFVの開発費が圧迫され、加えて前述のような技術的問題が発生し、第一線配備は予定より大きく遅れることとなった。
その後、EFVの配備開始は2015年に予定が大きく修正されたが、開発の長期化に伴うコストの高騰により、EFVの調達予定価格は1両当たり1,700万ドルに達する見込みとなった。
このため、EFVの調達予定数は計画当初の1,013両から573両に大きく削減されることとなり、この調達数の減少によって1両当たりの単価はさらに高騰することが予想された。
アメリカ海兵隊の内部からは、EFVは優先度の低い水上運用能力を重視したことが高騰の原因として、水上速力を低下させてでもコスト低減と車内容積の確保を行うべきとの声が上がった。
このため、EFVは基本設計の変更を行うことまで検討される事態となったが、ついに2011年に計画は終焉を迎えることとなった。
当時のオバマ政権の国防長官であったロバート・M・ゲイツの判断により、EFVは開発・調達に掛かるコストがあまりにも高過ぎるとして、軍事費削減のため開発を中止することが通告されたのである。
この決定を受けてアメリカ海兵隊は、保有するAAV7の就役寿命の延長を図る改修計画の検討に着手すると共に、EFVの代替となるより安価な次世代型水陸両用車両「MPC」(Marine
Personnel Carrier:海兵隊兵員輸送車)の研究を開始することとなった。
ところが同時期、国防省主導でアメリカ陸軍用として「ACV」(Amphibious Combat Vehicle:水陸両用戦闘車両)開発計画が動いていた。
MPCとACVは良く似た車両であったが、ACVの方は廉価版EFVといった要求性能であった。
海兵隊と陸軍で似たような車両を要求していれば、またゲイツ長官に目を付けられる恐れがある。
しかし海兵隊としては、水陸両用車両という花形装備の主導権を陸軍に渡したくなかった。
そこで海兵隊は一旦MPC計画を取り下げ、2014年に「ACV1.1」と看板を付け替えて陸軍のACV計画を乗っ取り、MPC計画の存続を図った。
アメリカ海兵隊のACV1.1計画には、イギリスのBAEシステムズ社とイタリアのイヴェコ社の合同チームと、ヴァージニア州レストンのSAIC社(Science
Applications International Corporation:国際科学アプリケーション)と、シンガポールのSTK社(Singapore
Technologies Kinetics:シンガポール動力学技術)の合同チームの2者が応募した。
前者は、イヴェコ社が開発した8×8型装輪式装甲車「スーパーAV」の能力強化型をACV1.1として提案し、後者も、STK社製の8×8型装輪式装甲車「テレックス」の能力強化型である「テレックス2」を提案した。
2015年11月に海兵隊はこの2チームの試作車をACV1.1の最終候補として認定し、各チームとの間でそれぞれ2016年末までに16両の試作車を製作する契約を締結した。
前者の試作車は2016年12月13日、後者の試作車は2017年2月21日にアメリカ国防省に納入され、海兵隊による性能評価試験に供された。
その結果2018年に、BAE・イヴェコチームの試作車がACV1.1として仮採用されることとなり、同年6月にはアメリカ海兵隊への制式採用が決定し、2020年10月に18両納入されたのを皮切りとして、2023年までに204両を調達することが予定されている。
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