+概要
E-25駆逐戦車は重量25tクラスの戦闘車両で、偵察戦車、中駆逐戦車、重武器運搬車として運用される予定であった。
本車の開発は主に航空機の生産で名高いカールスルーエのアルグス社で行われ、設計責任者はヘルマン・クラウエ工学博士であった。
彼は第2次世界大戦を通じて、アルグス社で航空機の組み立てに関係する仕事をしていた。
アルグス社はまだその時点では戦車の本格的な生産能力は持っておらず、ティーガー戦車のブレーキユニットを生産している程度であった。
しかし戦車生産に備えて、ライニッケンドルフとベルリンにエンジンや車体組み立ての工場を建設中であった。
E-25駆逐戦車の車体デザインは、E-10駆逐戦車と同じくヘッツァー駆逐戦車に類似しており、車体上部に非常に低姿勢な密閉式の固定戦闘室を設け、計画当初はヘッツァー駆逐戦車と同じく、戦闘室前部にデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39を限定旋回式に装備することを予定していた。
その後、主砲はIV号戦車/70(V)と同じ同社製の70口径7.5cm対戦車砲PaK42に強化され、最終的には開発が進められていた対装甲目標用の10.5cm砲が装備されることになった。
副武装としては、戦闘室上面に2cm機関砲を装備する小型砲塔を搭載しており、対地・対空射撃が可能であった。
サスペンションはE-10駆逐戦車と同じく、転輪装着アームの基部にコイル・スプリング(螺旋ばね)を内蔵するという方式を採っており、片側5個の転輪がオーバーラップ式に取り付けられていた。
転輪、履帯などの走行装置には、パンター戦車のものを流用することとされていた。
エンジンは当初、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所が開発中のHL100 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力400hp)を搭載することが予定されていたが、HL100エンジンの開発は技術的な問題から中止され、燃料噴射装置を装備したアルグス社製の空冷ガソリン・エンジン(出力600hp)が用いられることになった。
しかしこのエンジンも開発に手間取っていたために、アルグス社では航空機用ガソリン・エンジンを400hpに減格したものを搭載する計画も立てられた。
E-25駆逐戦車は試作車5両が、1945年にベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトマルク履帯製作所)の工場で組み立てられる予定であったが、アルグス社製の空冷ガソリン・エンジンが間に合わなかったため、予定していた20hp/tの出力/重量比を発揮できる代替エンジンとして、パンター戦車と同じマイバッハ社製のHL230P30
V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力700hp)が搭載されることになった。
変速・操向機は前進8段/後進8段の遊星歯車式変速機と、流体式操向機が組み合わされ、後進も全速力で行うことが可能であった。
スペースの節約のため、変速・操向機は車体後部にエンジンと並列に配置されるように設計されていた。
E-25駆逐戦車の試作車の製作は1945年春頃に開始され、終戦時にはアルケット社の工場で試作車5両分の車体が組み立て中であったといわれる。
E-25駆逐戦車は重量区分的に見ると、ヘッツァー駆逐戦車の発展型として開発が進められた38D駆逐戦車と、大戦後半にドイツ陸軍の主力戦車となったパンター戦車の中間に位置する車両として開発され、IV号戦車の後継車両として用いられる計画であったが、試作車の完成を見ること無く、終戦と共にその存在は忘れ去られてしまった。
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