E-100超重戦車
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+開発
E-100は、第2次世界大戦の長期化に対応してドイツ陸軍が戦車開発の標準化、規格化を推進しようとしたプロジェクト「Eシリーズ」の中から生まれた超重戦車である。
ちなみにEシリーズの”E”は、ドイツ語で「開発」を表す「Entwicklung」の頭文字を採ったものである。
ドイツ陸軍兵器局第6課はEシリーズの設計に当たって、次の点に注意するよう求めた。
当時戦車の戦闘力が高まるにつれ、より大口径の火砲を搭載し車体が大型化する傾向があったが、これは必然的に車体重量の増加をもたらし悪影響を及ぼしつつあった。
これを避けるためEシリーズは極力車体を大型化(すなわち重量の増加)すること無く、戦闘室容積を拡大することが求められた。
この結果、Eシリーズに採り入れられた設計上の工夫は次のようなものであった。
まず第1点は機関系をパワーパックとして小型一体化して、車体後部に配置するというものであった。
これは小型一体化することで機関室のスペースを縮小するだけでなく、車体後部の機関室から車体前部の変速・操向機に繋いでいた推進軸のスペースを節約することもできた。
またパワーパックを車体後部に置くことは、前面装甲板を強化することで生じる車体重量のアンバランスを改善する代償重量の役割を果たすことにもなった。
なお、使用するパワーパックについては小型一体化と共に製造および保守の容易さも求められ、Eシリーズの全車種に対して2種類のパワーパックで間に合わせることとされていた。
第2点は、サスペンションの外部搭載の試みであった。
当時のドイツ陸軍戦車は先進的なトーションバー(捩り棒)式サスペンションを採用していたが、このサスペンション方式は緩衝性能が優れている反面、トーションバーが車内下部を貫通しているため車内スペースが減少し、車体下面に脱出用ハッチが設けられないなどの問題があった。
このためEシリーズでは各車で装置の形状に若干の相違はあるものの、全て車体外側にサスペンションを取り付ける方法が採られることになった。
この他地雷に対する防御力も向上させることが求められ、車体下面装甲の強化が図られた。
また戦車の駆動方式は前輪駆動の方が、履帯が外れるトラブルが少ない等の優れた点があるにも関わらず、Eシリーズではパワーパックを車体後部に置いて後輪駆動としたが、これは地雷による被害に対して抗堪性を高める目的もあった。
Eシリーズではその他に装甲板、火力コントロールの安定化などの研究も行われた。
Eシリーズは1944年に生産されるドイツ陸軍戦車の後継として位置付けられており、戦闘重量10〜15t級のE-10駆逐戦車、25〜30t級のE-25駆逐戦車、パンター戦車の後継となる50t級のE-50戦車、ティーガーII戦車の後継となる75〜80t級のE-75戦車、そして130〜140t級のE-100戦車の5種類の開発が計画されたが、いすれも途中で開発が中止されたり試作車の製作途中で終戦を迎えている。
E-100戦車はEシリーズの中で最大クラスの車両であったが、意外なことに1945年5月の敗戦までにシリーズ中で最も試作車の製作が進んでいた。
E-100戦車の開発は、1943年6月30日に開始された。
開発契約はフランクフルトのアドラー製作所に与えられ、ヤェンシェック工学博士を中心に開発作業が進められた。
しかし1944年11月1日にアドルフ・ヒトラー総統が、E-100を含む当時計画されていた全ての超重戦車の開発を中止することを決定したため、E-100戦車の量産化を目標とした開発作業は取り止められ、試作車の製作だけがわずか3名のアドラー社の技師によって、ハウステンベックに置かれたヘンシェル社の工場で細々と続けられた。
しかし結局完成には至らず、製作途中のE-100戦車の試作車は1945年春に侵攻してきたアメリカ軍(おそらくコートニー・ホッジズ中将の率いる第1軍の先遣部隊と思われる)に接収された。
E-100戦車に関心を持ったアメリカ軍は試作車の製作作業の続行を命じ、1945年5月頃には機関系や転輪などを装着して車体のみが一応完成した。
しかし走行自体はできなかったようでこの時点でアメリカ軍は興味を失ってしまったのか、E-100戦車の試作車体をイギリス軍に提供してしまった。
E-100戦車を受け取ったイギリス軍は1945年6月にトレイラーに載せて海路イギリスに運び、ボーヴィントン戦車試験場で履帯の装着が行われた。
しかし、イギリス軍もまた本車への興味を失ってしまったようでその後の記録には登場せず、おそらくスクラップとなってしまったものと思われる。
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+構造
E-100戦車の車体形状はパンター戦車やティーガーII戦車と類似したものであったが、車体がそれ以上大型化することを防ぐため、パンター戦車やティーガーII戦車では適度な傾斜が与えられていた側面装甲板は垂直とされ、その分減少する耐弾性の向上を図って、車体側面には3分割された着脱式の装甲スカート(装甲厚は50〜60mm程度と思われる)が装着されるようになっていた。
車体の装甲厚は前面が200mm、側面が120mm、後面が150mmで、同時期にシュトゥットガルトのポルシェ社が開発を進めていた超重戦車マウスよりは若干劣るものの、充分過ぎるほどのものであった。
E-100戦車の車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室という一般的なものであった。
Eシリーズの設計指針とは異なり、E-100戦車は従来のドイツ陸軍戦車と同じく後部エンジン/前輪駆動方式を採用しており、車体内に推進軸が走っていた。
E-100戦車の試作車は、車体部分が途中まで製作されただけで砲塔については結局製作されず、試験時には同重量のダミー砲塔を搭載することとされた。
計画では、エッセンのクルップ社が開発したマウス戦車と同一の全周旋回式砲塔を搭載することになっており、武装は主砲として55口径12.8cm戦車砲KwK44を装備し、さらに副砲として36.5口径7.5cm戦車砲KwK44を主砲の右側に同軸装備するという重武装であった。
また最終的には主砲として38口径15cm戦車砲KwK44、または17.4cm戦車砲KwK44を装備することが考えられていた。
E-100戦車の弾薬搭載数は、12.8cm砲搭載型の場合マウス戦車と同じく12.8cm砲弾24発、7.5cm砲弾200発で、15cm砲用の弾薬はこれより少なくなるものと思われるが、正確な数字は出されていない。
E-100戦車の砲塔側面には、前後にクレーン装着用の固定具がそれぞれ上下に装着される予定で、これがマウス戦車の砲塔との相違点となっている。
このクレーンは装甲スカートの着脱に用いるもので、取り外した装甲スカートの装着具も兼ねていた。
E-100戦車のエンジンについてはE-50、E-75戦車と同様、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL234 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力800hp)が使用される予定であった。
変速機は新たに開発された同社製の「メキドロ」(Mekydro)半自動変速機(前進8段/後進4段)で、戦闘重量140tのE-100戦車を路上最大速度40km/hで走行させることが可能となっていたそうである。
しかし、実際はエンジンおよび変速機は試作車の製作時には間に合わなかったため、走行試験のためにティーガーII戦車に使用されたマイバッハ社製のHL230P30
V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力700hp)と、同社製の「オルファー」(Olvar)OG401216B半自動変速機(前進8段/後進4段)がとりあえず搭載されたという。
ティーガーII戦車と同じエンジンを搭載したこともあって、E-100戦車の機関室レイアウトはティーガーII戦車と酷似しており、エンジン点検用ハッチの左右には吸/排気グリルが設けられていた。
これは中央の円形グリルから外気を導入し、その前後に設けられた長方形のグリルから熱気を排出するもので、エンジンへの空気は点検用ハッチ中央に配された2個の装甲カバー付き吸気口から導入される。
この他車体後面の排気管や燃料注入カバー、冷却水注入カバー、吸気口カバーなどもティーガーII戦車に酷似していたが、潜水装備は最初から考慮されてはいなかった。
E-100戦車のサスペンションはアドラー社が新たに開発したもので、他のEシリーズと同様車内スペースに影響しないように車体側面に外装式に取り付けるよう設計されていた。
このサスペンションは車体側面中央部に前後に走る小型の構造材を設け、各転輪アームの前後に縦型コイル・スプリング(螺旋ばね)を収めたケースを縦に装着して、その上端を前述の構造材に取り付け、ケースの下端は転輪アームの下部前後に張り出した固定部に取り付けるという極めて簡単な構造であった。
各サスペンションアームには複列式の転輪が取り付けられ、片側8個の転輪がティーガーII戦車と同じくオーバーラップ式に配置されていた。
E-100戦車の転輪は直径900mmで、内部にゴムを収めた鋼製転輪であった。
第1、第2、第8転輪のサスペンションアームには、それぞれショック・アブソーバーが装着されていた。
E-100戦車の履帯は幅が1,020mmもある巨大なもので、この幅広履帯のおかげで接地圧を抑えることができた。
車体前部の起動輪と後部の誘導輪はいずれも外側部分を取り外すことができたが、これは鉄道輸送の際に貨車からはみ出さないように採られた措置で、加えて第2、第4、第6、第8転輪の外側部分も外した状態で、幅550mmの狭い鉄道輸送用履帯を装着して貨車に搭載するようになっていた。
車体側面の装甲スカートが着脱式となっていたのはこの鉄道輸送を考慮したためで、外された装甲スカートは鉄道輸送時には砲塔側面に装着するようになっていた。 結局E-100戦車はサスペンションが不足し、車内部品も不完全な試作車体のみが完成するに留まり、アメリカ軍がヘンシェル社のハウステンベック工場に到達した時には虚しくその残骸を晒していたに過ぎなかった。
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<E-100戦車>
全長: 10.27m
車体長: 8.69m
全幅: 4.48m
全高: 3.29m
全備重量: 140.0t
乗員: 6名
エンジン: マイバッハHL234 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 800hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 120km
武装: 38口径15cm戦車砲KwK44×1
36.5口径7.5cm戦車砲KwK44×1 (200発)
7.92mm機関銃MG42×1 (5,000発)
装甲厚: 40〜240mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2010年1月号 マウスとE100 ドイツ超重戦車始末記」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2024年10月号 ドイツの未成戦車・計画戦車」 宮永忠将 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍戦車」 アルゴノート社
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「ジャーマンタンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「特殊戦闘車両」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「グランドパワー2003年8月号 超重戦車マウス/E100」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年5月号 超重戦車マウス/E100」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版 ・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著 並木書房
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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