+概要
それまでのイギリス製装甲車は武装が貧弱で、威力偵察に用いるのが難しかったため、イギリス戦争省は1939年に2ポンド(40mm)戦車砲を装備し、威力偵察にも充分使用できる4×4型の装輪式装甲車の開発をBSA社(Birmingham
Small Arms:バーミンガム小火器製作所)に発注した。
これを受けて1939年4月から、BSA社の子会社であるコヴェントリーのダイムラー社で試作車の設計が開始され、同年末には試作車が完成してイギリス陸軍の試験に供された。
本車は、従来の装甲車で用いられていたシャシー+装甲ボディという構成を改めて、装甲板のセミモノコック・ボディを採用しており、駆動/走行系統についても、ダイムラー社が先に開発したダイムラー斥候車と同様の流体フライホイールを介した動力伝達機構、各車輪が独自の駆動軸を持つH型推進軸による4輪駆動方式、ダブルウイッシュボーン+コイル・スプリング(螺旋ばね)の懸架装置、4輪ディスク・ブレーキ等々、当時の最新技術が盛り込まれていた。
車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が戦闘室、車体後部が機関室となっていた。
戦闘室の形状はダイムラー斥候車と同様に算盤球状になっており、左右側面にはそれぞれ乗降用のドアが設けられていた。
戦闘室の上面には、A17軽巡航戦車(後のMk.VII軽戦車テトラーク)から流用された2名用の全周旋回式砲塔が搭載されており、砲塔防盾に50口径2ポンド戦車砲と7.92mmベサ機関銃を同軸装備していた。
この砲塔は、基本的にはテトラーク軽戦車の砲塔と同一の造りだったが、テトラーク軽戦車の砲塔がリベット接合構造だったのに対し、本車の砲塔は全溶接構造となっており、外観の一部やディテールが若干異なっていた。
砲塔内には右側に車長、左側に砲手が位置し、砲塔上面には後方にスライドして開く大型ハッチが設けられていた。
当初、試作車には変速機関係のトラブルがあったが改良を加えた結果、「ダイムラー装甲車」(Daimler Armoured Car)の呼称でイギリス陸軍に制式採用されることになり、1941年4月からダイムラー社で生産が開始された。
ダイムラー装甲車は各型合計で2,694両が生産され、1941年にイギリス本土の旧騎兵連隊に配備されたのを皮切りに、1942年には北アフリカに送られた。
その後イタリア、フランスでも使われ、一部の車両は太平洋戦線にも投入された。
第2次世界大戦中のイギリス製装甲車の中で最優秀と評されるダイムラー装甲車は、Mk.IとMk.IIの2型式が開発されているが細部の改良に留まっているので、両型は能力的には大きな違いは無い。
Mk.IIでは操縦室の上面に操縦手の脱出用ハッチが追加された他、ラジエイター・グリルの形状が変更され電気系統にも改良が加えられている。
また砲塔防盾部は、テトラーク軽戦車の改良型であるハリー・ホプキンズ軽戦車のものに変更された。
またMk.IIでは、戦闘室の左側面に予備タイヤを携行するのが標準化されたが、Mk.Iでも同様に予備タイヤを装着した車両が見られる。
ダイムラー装甲車の一部の車両は、2ポンド戦車砲の先端に「リトルジョン・アダプター」と呼ばれる筒状の装備を追加していた。
これは、軟金属製の張り出しを持つ専用砲弾を使ってアダプター部分で口径を絞り込み、砲弾に高初速を与えるもので、ドイツのヘルマン・ゲルリヒ工学博士が考案したゲルリヒ理論を応用した口径漸減砲の一種である。
リトルジョン・アダプターを装着することで、近距離における2ポンド戦車砲の装甲貫徹力を大きく向上させることができたが、砲身の寿命が短いなどの欠点もあった。
ダイムラー装甲車の派生型としては、砲塔を撤去した指揮車タイプが存在する。
また歩兵の近接火力支援にあたるため、主砲を25口径3インチ(76.2mm)榴弾砲に換装したCS(Close Support:近接支援)タイプも少数が生産されている。
第2次世界大戦終了後もダイムラー装甲車の内の一部はイギリス陸軍に留まり、1965年まで使用され続けた。
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