+概要
イギリス戦争省は1938年に、戦車部隊に先んじて進撃路の偵察・警戒を行う、装輪式の偵察用装甲車の開発要求を出し、これに基づいてコヴェントリーのアルヴィス社、BSA社(Birmingham
Small Arms:バーミンガム小火器製作所)、カウリーのモリス自動車の3社が試作車を製作した。
BSA社の試作車は、子会社であるコヴェントリーのダイムラー社によって設計されたが、試験の結果、BSA社の試作車がイギリス陸軍に採用されることとなった。
この車両はダイムラー社で生産されることになり、「ダイムラー斥候車」(Daimler Scout Car)の呼称で1939年から生産に入った。
本車は前線部隊では、「ディンゴ」(Dingo:オーストラリアで野生化した赤茶色の毛がふさふさした犬)の愛称で親しまれた。
ダイムラー斥候車は全長3.175m、全幅1.715m、全高1.499m、ホイールベース1.98mという極めてコンパクトな車両ながら、コイル・スプリング(螺旋ばね)を使ったウイッシュボーン式懸架装置、スムーズな変速を可能とする流体フライホイール採用の動力伝達機構、ディファレンシャルボックスから4輪それぞれに独立した推進軸を配したH型の駆動系統等々、内容的には先進的で贅沢な機構が盛り込まれていた。
車体後部の機関室には、ダイムラー社製の直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力56hp、排気量2.52リットル)が搭載されており、路上最大速度55マイル(88.51km)/h、路上航続距離200マイル(322km)という高い機動性能を発揮できた。
乗員は操縦手と車長の2名で、車内容積を増やすために算盤球状の断面とされた戦闘室内の右側に操縦手、左側に車長が位置した。
戦闘室の前面には、それぞれに装甲シャッター付きの視察窓が設けられており、車長用視察窓の右側の装甲板は、取り外して射撃ポートとして使えるようになっていた。
車長はこの射撃ポートを使って、必要に応じて自衛用に搭載されたエンフィールドロックのRSAF(Royal Small Arms Factory:王立小火器工廠)製の、7.7mmブレン軽機関銃を射撃することができた。
このブレン軽機関銃の弾薬750発の他、車内には個人火器である小銃1挺(弾薬50発)、手榴弾36個に加え、No.90無線機セットが搭載されていた。
戦闘室の上面は2段折り畳み式の装甲カバーで覆われていたが、ほとんど偵察任務に使用されなくなった最終型のMk.IIIでは簡易化されて、キャンバストップに改められた。
ダイムラー斥候車はいかにも華奢な外観には似合わず、車体前面で30mmと初期の巡航戦車並の装甲厚を有しており、戦闘重量は6,272ポンド(2.845t)となっていた。
第2次世界大戦中に6,626両生産されたダイムラー斥候車にはMk.I、IB、II、IIW/T、IIIの各サブタイプが存在するが、いずれも部分的な改修に留まっており大きな変化は無い。
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