+概要
第2次世界大戦突入後、多種多様な装輪式装甲車を運用してきたイギリス陸軍であったが、戦争省は1943年になってこの効率的でない状態を改めるべく、新たに「標準型装甲車」とも呼べる車両を開発することを計画した。
この標準型装甲車の開発は、コヴェントリーのハンバー社を中心とするルーツ・グループ各社の共同開発という形で作業が進められることとなった。
サスペンションおよび変速・操向機には、定評あるコヴェントリーのダイムラー社(BSA社(Birmingham Small Arms:バーミンガム小火器製作所)の子会社で、ダイムラー装甲車の開発・生産元)のシステムが選ばれた。
動力伝達装置はルーツ・グループ傘下企業であるルートンのコマー社が担当し、エンジンにはアメリカのハーキュリーズ社製のRXLD 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力175hp、排気量9,144cc)が採用され、これに前進5段/後進5段の流体フライホイール付き変速・操向機が組み合わされた。
ダイムラー装甲車と同様に後進時の副操縦機構も備えられ、砲塔バスケット直後の車内左側に専用シートが配置された。
標準型装甲車の車体は、小振りだった従来の装輪式装甲車に比べて大型化され、最大装甲厚14mmの圧延防弾鋼板で構成されていた。
乗員は車長、操縦手、砲手、装填手の4名で、操縦手を除く3名が収まる全周旋回式砲塔には主武装として、ウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社製の50口径2ポンド(40mm)戦車砲が装備され、これと同軸に副武装としてBSA社製の7.92mmベサ機関銃が備えられていた。
2ポンド砲弾は80発、ベサ機関銃用の7.92mm弾は3,375発が搭載された。
またこの他に、砲塔上面に対空用の7.7mmヴィッカーズK連装機関銃、乗員の携行火器として、エンフィールドロックのRSAF(Royal Small Arms Factory:王立小火器工廠)製の9mmステン短機関銃が携行され、砲塔の左右側面計4カ所にはガンポートが用意されていた。
砲塔上面のハッチは左右に分割されており、右側のハッチは2つ折りにして後方へ、左側のハッチはペリスコープごと後方へ開くようになっていた。
標準型装甲車の試作車は1944年に完成し、試験の結果が良好であったため、「コヴェントリー装甲車」(Coventry Armoured Car)としてイギリス陸軍に制式採用された。
ルーツ・グループは戦争省より1,700両の発注を受けて、1944年6月からコヴェントリー装甲車の量産に入ったが、第2次世界大戦の終結によりその大部分はキャンセルされ、完成したのは220両程度であったものと思われる。
また、砲塔を大型化して主武装を王立造兵廠製の36.5口径75mm戦車砲に強化し、砲塔内乗員を2名に減らしたコヴェントリーMk.II装甲車も開発されたが、大戦終結により試作のみに終わっている。
量産されたコヴェントリーMk.I装甲車も、結局イギリス陸軍に配備されることは無かったが、フランスに送られた車両の内の35両ほどが、1946年に勃発したインドシナ戦争で実戦投入されている。
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