+概要
イギリス陸軍は1942年秋以降、レンドリースによってアメリカから受領したM4中戦車シリーズを機甲部隊の主力戦車として使用していたが、戦場からの報告でM4中戦車の主砲である旧式野砲を小改良した75mm戦車砲M3では、ティーガー戦車やパンター戦車などのドイツ陸軍の新型戦車に対して威力不足であることが分かり、イギリス陸軍は強力な17ポンド戦車砲を搭載する新型巡航戦車を「A34」の開発番号で開発することを決定した。
このA34巡航戦車の開発は、当時セントー巡航戦車とクロムウェル巡航戦車を生産していたレイランド自動車が担当することになった。
当時すでに、クロムウェル巡航戦車の車体を拡大して17ポンド戦車砲を無理矢理搭載したチャレンジャー巡航戦車の開発が進められていたが、同車は車高が高く機動性にも問題があった。
当時ウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社は、58.3口径長の17ポンド戦車砲を軽量化・短砲身化した77mm戦車砲HV(High
Velocity:高速)を自主開発していた。
試作砲の射撃試験は、1943年初めに行われている。
この砲は50口径長で装甲貫徹力はわずかに17ポンド戦車砲を下回るが、弾頭は17ポンド戦車砲と共通、薬莢は3インチ高射砲と共通であった。
APCBC(風帽付被帽徹甲弾)を用いた場合砲口初速785m/秒、射距離1,000mで110mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹できた。
さらに新型のAPDS(装弾筒付徹甲弾)を用いた場合には砲口初速1,120m/秒、射距離1,000mで165mm厚のRHAを貫徹できた。
この値は、ドイツ陸軍のパンター戦車の主砲である70口径7.5cm戦車砲KwK42とほぼ互角である。
77mm戦車砲HVの実際の口径は17ポンド戦車砲と同じ3インチ(76.2mm)であったが、当時イギリス陸軍はM4中戦車シリーズの主砲である75mm戦車砲M3、76.2mm戦車砲M1、M10対戦車自走砲の主砲である3インチ戦車砲M7など同じような口径の戦車砲をすでに使っており、後方兵站の混乱を避けるために実際の口径と異なる呼称が与えられたのである。
17ポンド級戦車砲を搭載する新型巡航戦車A34の開発は、1943年2月から開始された。
1943年9月には、最初の木製モックアップが完成している。
A34巡航戦車の主砲にはチャレンジャー巡航戦車と同じ17ポンド戦車砲、ヴィッカーズ社が開発した77mm戦車砲HV、アメリカ製の76.2mm戦車砲M1が候補に挙げられたが車体の改造、特に車幅の拡大を最小で済ませるためにヴィッカーズ社の77mm戦車砲HVが選ばれた。
A34巡航戦車の車体は基本的にはクロムウェル巡航戦車と同一であったが、砲塔リング径が原型の57インチ(1,448mm)から64インチ(1,626mm)へと拡大された。
砲塔の制御装置は電動式で、チャーチル歩兵戦車用の発展型であった。
車体・砲塔共に、圧延防弾鋼板の溶接構造となっていた。
副武装としては、車体前部および主砲同軸に7.92mmベサ機関銃が各1挺ずつ装備された。
エンジンは、ダービーのロールズ・ロイス社製の「ミーティア」(Meteor:流星)Mk.III V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力600hp)が搭載された。
1944年2月にはA34巡航戦車の試作車が試験を開始しているが、その間にサスペンションの強化や、クロムウェル巡航戦車では装着されていなかった上部支持輪の追加等が実施されている。
履帯は、新型の18インチ(457mm)幅履帯が採用された。
全ての手直しを終えた段階で、A34巡航戦車は原型となったクロムウェル巡航戦車の60%以上の部分が新たに設計し直されており、事実上ほぼ新規設計といっても差し支えない状態であった。
A34巡航戦車の生産型は、1944年9月よりイギリス陸軍への引き渡しが開始された。
同時に制式化も行われ、「コメット」(Comet:彗星)という愛称が与えられている。
1945年1月には、第11機甲師団の戦車連隊にM4中戦車に代わって配備された。
この師団は全てコメット巡航戦車で編制される予定であったが、1944年12月〜1945年1月のドイツ軍のアルデンヌ攻勢により改編が遅れ、ついに終戦まで実現しなかった。
コメット巡航戦車が実戦に投入されたのは1945年3月のライン川渡河作戦以降であったため、対戦車戦闘はほとんど経験していない。
本車は信頼性が高く高速であり、主砲の77mm戦車砲HVは射撃精度が高かった。
コメット巡航戦車の生産は第2次世界大戦後も継続され、合計で約900両が完成している。
主砲である77mm戦車砲HVは1945年9月までに360門が完成していることから、終戦までに生産されたコメット巡航戦車は360両を若干下回る台数と思われる。
1943年8月から開発が始まった後継のA41巡航戦車は終戦時はまだ試作段階で、戦後に「センチュリオン」(Centurion:古代ローマ軍の百人隊長)として制式化された。
このセンチュリオン戦車からそれまでの「巡航戦車」(Cruiser Tank)という車種呼称に代えて、「中戦車」(Medium Tank)という呼称が用いられるようになったため、コメットはイギリス陸軍最後の巡航戦車となった。
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