チーフテン駆逐戦車 |
+開発
イギリス陸軍の戦後第2世代MBT(主力戦車)であるFV4201チーフテン戦車には、FV4204 ARV(戦車回収車)、FV4205 AVLB(装甲架橋車両)など幾つかの派生型が存在するが、その中でも変わり種的な存在がこのチーフテン駆逐戦車である。 本車はチーフテン戦車の車体を流用して、ヤークトパンターやヘッツァーなどの第2次世界大戦時のドイツ軍の駆逐戦車を参考に開発された対戦車車両であり、開発時期を考えるとやや時代錯誤な感がある。 チーフテン駆逐戦車の開発は、ロンドン西方のサリー州チョーバムにあるFVRDE(Fighting Vehicles Research and Development Establishment:戦闘車両開発研究所)によって1971年から開始され、CTR(概念試験装備)なる呼称で型式不明のチーフテン戦車をベースに改造車が1両製作された。 本車は旧ドイツ軍の駆逐戦車と同じく車台の前方に完全密閉式の固定戦闘室を設け、戦闘室の前面に主砲を限定旋回式に装備していた。 主砲にはチーフテン戦車と同じく王立造兵廠製の55口径120mm戦車砲L11が採用され、戦闘室前面装甲板は避弾経始を考慮して良好な傾斜角が与えられていたが、戦闘室側面装甲板は車台の側面装甲板をそのまま上に延長していた関係で、通常の駆逐戦車と異なり上に行くほど外側に広がる逆方向の傾斜が付けられており、そのため戦闘室前面装甲板は上部が広い台形の形状になっていたのがユニークである。 なお、通常は駆逐戦車の戦闘室は車体と同じく防弾鋼板で構成されるが、チーフテン駆逐戦車の場合は試作車であったためか、防御力よりも加工のし易さを優先して戦闘室がアルミ板で構成されていた。 本車は車体上部に固定戦闘室を設けた関係で、フェンダー上と機関室側面の雑具箱も戦車型とは異なる独自のものに変更され、足周りと機関室のみにチーフテン戦車の面影を残しているだけであった。 戦闘室の内部には車長と操縦手、装填手の3名が配され、車長が砲手を兼任するため乗員数が戦車型に比べて1名減らされていた。 これはチーフテン駆逐戦車が開発された目的の1つに、戦車型よりも乗員数を減らしてマンパワーを節約することがあったからであるが、旧ドイツ軍の駆逐戦車はヘッツァーのような小柄な車両でも車長の他に専用の砲手が搭乗するようになっており、それに比べると本車はさらにコンセプトが時代遅れに感じられる。 しかしチーフテン駆逐戦車は、ソ連を頂点とするWTO(ワルシャワ条約機構)軍の圧倒的な機甲戦力に対抗するには、貴重な戦車乗員を節約できる駆逐戦車タイプの戦闘車両が有効ではないかという試行錯誤の結果誕生した車両であるため、一概に責めるわけにもいかない。 チーフテン駆逐戦車の変速・操向機は、戦車型に採用されたTN12半自動変速・操向機をベースに油圧式操向機に改良が加えられ、変速機自体も全自動モードが追加された。 またチーフテン駆逐戦車は車台前面装甲板に、チーフテン戦車の発展型として当時開発が進められていたチャレンジャー戦車向けに開発された、「チョーバム・アーマー」と呼ばれる西側最初の実用複合装甲を導入する予定であった。 しかし結局、本車の製作までにチョーバム・アーマーが完成しなかったため、チーフテン駆逐戦車には代わりに車台前面に5tに及ぶ鉛板のダミー・ウェイトが装着され、完成時には実物と交換することが予定された。 完成したチーフテン駆逐戦車の試作車は、ウーリッジのロタンダで各種試験に供された。 そして戦闘能力は戦車型を上回ることは無いと判断されたが、反面変速・操向機の改良はオリジナルのチーフテン戦車よりも操作性がはるかに優れているとの評価が下されている。 しかし、そうはいってもこのような時代錯誤的な車両が採用されるはずも無く、結局チーフテン駆逐戦車計画は中止された。 そして、試験中の走行距離はわずか240マイル(386km)に過ぎなかったという。 しかし、チーフテン駆逐戦車において導入された改良型の全自動変速・操向機はその後チャレンジャー戦車で結実することになり、その意味では貴重なデータを提供したことになる。 そしてこの試作車はスクラップとはならず、現在ボーヴィントン戦車博物館の展示品として余生を過ごしている。 |
+構造
前述のようにチーフテン駆逐戦車はチーフテン戦車から砲塔を撤去し、代わりに車台の前方に完全密閉式の固定戦闘室を設け、戦闘室の前面に主砲を限定旋回式に装備していた。 これは旧ドイツ軍の駆逐戦車のレイアウトと同様であるが、旧ドイツ軍の駆逐戦車が旋回砲塔を捨てる代償として改造ベースとなった戦車より強力な主砲を搭載していたのに対し、チーフテン駆逐戦車の場合は戦車型と同じ主砲を採用していた。 これはチーフテン駆逐戦車の開発目的がより強力な主砲の搭載ではなく、戦車型よりも乗員数を減らしてマンパワーを節約し、製造に掛かるコストも低減させることを主眼に置いていたためである。 WTO軍の圧倒的な機甲戦力を迎え撃つには、乗員と製造コストの節約ができ、なおかつ戦車型と同等の戦闘力を持つ駆逐戦車タイプの車両が有効ではないかという発想から生まれた産物が本車であった。 チーフテン駆逐戦車の戦闘室内の乗員配置は車長が前部左側、操縦手が主砲を挟んで右側に配され、操縦手の後方に装填手が位置した。 なお、後方への走行に際しては装填手が操縦手に代わって行うようになっており、後方にも操縦装置と視察装置を備えるというまるで旧ドイツ軍の重装輪装甲車のような機構が採用されていた。 また攻撃面に関しても、車長と操縦手のどちら側でも射撃を含めて主砲の操作を可能な機構を採っていた。 本車の主砲に採用されたのは、チーフテン戦車と同じ王立造兵廠製の55口径120mm戦車砲L11である。 L11は、砲腔内に刻まれた螺旋状の溝(ライフリング)で砲弾に回転を与えて弾道を安定させるライフル砲であった。 従来の戦車が装備していた戦車砲はほとんどがライフル砲であったが、ソ連が1960年代初期に開発したT-62中戦車は世界で初めて滑腔砲を装備する生産型戦車となった。 その後西側も、西ドイツのレオパルト2戦車やアメリカのM1エイブラムズ戦車が120mm滑腔砲を装備し、さらにソ連もこれに対抗する形で125mm滑腔砲を装備するT-64戦車やT-72戦車を開発した。 こうして現在では戦車の主砲は完全に滑腔砲が主流になっているが、イギリスはチーフテン戦車の後継のチャレンジャー戦車にも同様に120mm戦車砲L11を搭載し、最新鋭のチャレンジャー2戦車にも依然として120mmライフル砲を採用し続けている。 このようにL11は世界の戦車砲の潮流からは外れた存在となってしまったが、もう1つの特徴として本砲は砲弾と装薬が別になったいわゆる分離弾方式を採用していたことが挙げられる。 これは装填手の負担を減らすための措置で、ソ連のIS重戦車シリーズが装備していた122mm戦車砲も同様に分離弾方式を採用していたが、西側の戦車砲で分離弾方式を採用したのはイギリスのみである。 120mm戦車砲L11の使用弾種は当初APDS(装弾筒付徹甲弾、型式不明)とL31 HESH(粘着榴弾)、L34煙幕弾であったが、後にL15 APDS、L23 APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)、L20演習弾も追加されている。 装甲貫徹力などは明らかにされていないがL15 APDSは弾頭重量10.35kg、装薬重量9.04kg、砲口初速1,370m/秒、L20演習弾は弾頭重量5.81kg、装薬重量5.77kg、砲口初速1,370m/秒、L31 HESHは弾頭重量17.08kg、装薬重量3.03kg、砲口初速670m/秒、L34煙幕弾は弾頭重量17.35kg、装薬重量3.03kgという数字が判明している。 120mm戦車砲L11はAPDSを使用した場合、最大4,000mの距離で当時WTO軍の主力MBTとなっていたT-55、T-62中戦車を撃破することができたといわれるので、チーフテン駆逐戦車は当時としては充分な攻撃力を備えていたといえるであろう。 チーフテン駆逐戦車のエンジンは、改造元のチーフテン戦車が搭載していたレイランド自動車製のL60 垂直対向6気筒多燃料液冷ディーゼル・エンジンがそのまま用いられた。 一方変速・操向機については、チーフテン戦車に搭載されていたSCG社(Self-Changing Gears:自動変速ギア会社)製のTN12半自動変速・操向機を、DBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)の手で改良したものが採用された。 この改良型変速・操向機は油圧式操向機に改良が加えられ、変速機自体も全自動モードが追加されていた。 これらの改良は、操縦手の負担軽減を目的としたものであろう。 チーフテン駆逐戦車の走行装置は戦車型のものがそのまま用いられたが、転輪のトラベル長を少なくするためにそれぞれのサスペンション・ユニットから中央のスプリングが外されて、2本構成に改められた。 さらに最終減速機のギア比も変更され、これらの改良の結果チーフテン駆逐戦車は機動力が大幅に改善され、路上最大速度はチーフテン戦車の27マイル(43.45km)/hから40マイル(64.37km)/hに向上したという。 |
<参考文献> ・「グランドパワー2016年7月号 チャレンジャー主力戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2014年10月号 チーフテン主力戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 |