FV4030/4チャレンジャー1戦車 |
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+開発
イギリス国防省は1970年代後期に、イギリス陸軍の当時の主力MBTであったチーフテン戦車の後継車両を「MBT-80」(80年代型主力戦車)の呼称で開発することを計画し、1977年10月12日にGSR3572(施行3572)としてMBT-80の開発要求を出し、これは同年12月1日に承認された。 そして1978年12月1日付で、サリー州チョーバムに置かれたMVEE(軍用車両工学技術施設)の要求仕様762により、MBT-80の基本仕様が公布された。 そして1979年9月に、当時ダービーのロールズ・ロイス社で開発が進められていたCV12 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,500hp)と、ハダースフィールドのDBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)製のTN37自動変速機(前進4段/後進3段)、そして油気圧式サスペンションの装備が通達され、開発はMVEEとレーザー工業の手で進められることも決定された。 主砲は、チーフテン戦車が装備する王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5の改良型EXP-28M1(資料によってはM13Aとも)、もしくはRARDE(王立武装開発研究所)において新規開発される110mm滑腔砲のいずれかを搭載し、車体と砲塔の前面にはイギリスが西側で初めて実用化に成功した「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲を導入するが、可能な限りアルミニウム装甲を多用して戦闘重量の軽減を図ることが求められ、戦闘重量の上限は60tとされた。 また展望式で、車長の操作により左右各90度の旋回半径を備える熱映像式照準機が砲塔上面右側に配され、砲塔内の右前方に配された砲手席の直上にも、展望式で安定装置付きのレーザー照準機が、それぞれグラスゴーのバー&ストラウド工業(現タレス光電子工学)により開発されることになった。 さらに詳細は不明だが、全天候下での使用が可能なFCS(射撃統制システム)も新たに開発されることとされた。 MBT-80は当初の計画では1983年10月に試作第1号車を完成させ、1985年までに試作車8両を揃え、1987年よりチーフテン戦車からの転換訓練を開始するというスケジュールが立てられた。 その第1段階として、1970年代末期に走行試験に供されるATR(試験リグ自動車)2両が製作発注された。 第1号車ATR-1はチーフテン戦車のコンポーネントを流用し、第2号車ATR-2はイラン向けのFV4030のコンポーネントを流用して、両車とも車台前面を圧延防弾鋼板、車台後面を圧延防弾アルミ板で構成していた。 ATR-2は1979年6月に完成しているので、ATR-1は同年春頃には完成したのであろう。 ちなみにFV4030は、イラン向けに開発されたチーフテン戦車の一連の改良型に与えられた開発番号で、1970年代初めにイランから発注されたチーフテン戦車の小改良型がFV4030/1、続いて1974年初めにイランが、チーフテン戦車により大規模な改良を施した新型MBTとして発注した「シール・イラン」(Shir Iran:イランの獅子)戦車の内、シール1戦車にFV4030/2、シール2戦車にFV4030/3の開発番号が与えられた。 ATR-2のベース車体がこの3つの内どれなのかははっきりしないが、車体前面の形状やサスペンションの特徴などからFV4030/3ではないかと推測される。 またこの2両のATRに搭載するために、形状は全く異なるがチーフテン戦車と同様に、前部が防弾鋼の鋳造製、その後方が圧延防弾鋼板製の砲塔2基が製作され、ATR-1の砲塔には120mmライフル砲が装備されたが、ATR-2の砲塔には110mm滑腔砲の試作品が装備されたものと思われる。 ATR-2の車体はFV4030に準じていたものの、砲塔の形状はチーフテンともFV4030とも似ても似つかない背の高い不格好なスタイルにまとめられ、その完成度はお世辞にも高いとはいい難かった。 120mmライフル砲が分離薬莢式の砲弾を採用していたのに対し、新開発の110mm滑腔砲は通常の薬莢一体式の砲弾を採用していた。 これは、より口径の小さい一体式砲弾を用いることで砲塔内の弾薬収納スペースを節約しようというもので、それにより砲塔の高さを減じ、車長と装填手の作業スペースを増やす狙いがあった。 しかしMVEEから提出されたMBT-80の報告書には、110mm滑腔砲に対して「こんな砲は好きになれない」という記述があったという。 このように計画が進められたMBT-80ではあったが、本格的な開発に着手した1978年の時点でその開発費は1億2,700万ポンドを超えると試算されており、この高額な開発費が問題視されていた。 そんな折、1978年9月にイランでイスラム革命が勃発し、翌79年1月にモハンマド・レザー・パフラヴィー国王はアメリカに亡命し、4月1日にイラン王国は「イラン・イスラム共和国」と国名を変え、その前月の3月にはイギリス政府に対してシール・イラン戦車購入のキャンセルを通告した。 すでに前払いで購入代金は支払われていたので、イギリス政府は何も困ることは無かったが、シール1戦車とシール2戦車合わせて1,500両近くの戦車生産の仕事が失われたことは、王立造兵廠のリーズ工場とノッティンガム工場の合計2,009名の従業員と、その他関連企業の約8,000名の従業員の雇用にとって深刻な問題であった。 そこでイギリス政府は、シール・イラン戦車の海外への売り込みを図った。 そしてシール1戦車については、「ハリド」(Khalid:剣)の呼称でヨルダンが購入することになり、しかもイラン向けに当初発注されていた125両に加えて、149両が追加発注されるというおまけまで付いた。 一方シール2戦車(FV4030/3)については、イギリス国防省は1979年9月5日付でGSR3574を交付して、FV4030/3をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを決定した。 FV4030/3は細部は異なるもののMBT-80と基本仕様が似通っており、MBT-80に比べるとやや性能的には劣っていたものの、次期MBTとして採用するのに大きな問題は無かった。 しかも、すでに購入代金を前払いでイランから入手していたため、完成までに高額な開発費を必要とするMBT-80の開発をこのまま続けるよりも、FV4030/3をベースに多少手直しをした方がコスト面では圧倒的に得であり、また王立造兵廠やその他関連企業の雇用も確保できて一石二鳥であった。 こうしてMBT-80計画は、ATRの製作のみでキャンセルされることとなったのである。 先のGSR3574に続いて1980年7月半ば、国防省はFV4030/3に一部変更を加えたものをFV4030/4「チャレンジャー」(Challenger:挑戦者)としてイギリス陸軍の次期MBTとして制式採用し、243両を調達すると表明した。 そして1980年10月に試作車4両を発注し、その期日は明らかではないがさらに3両が追加された。 この7両の試作車には06SP36、06SP38〜06SP43の車両登録番号が与えられ、1982年に全車が完成してMVEEとボーヴィントンのATDU(機甲試験・開発ユニット)により試験に供された。 またシール2戦車に導入され、当初は様々な問題が報告されたTN37自動変速・操向機だが、その後改良が進められ、試作車の製作を担当した王立造兵廠は1981年末に、試作車による走行距離は合わせて170,000kmを記録したと公表している。 また1981年末には試作車1両を用いて戦場を想定した試験場において、36時間の継続試験が「チャレンジャー・トロフィー演習」の呼称で実施されている。 さらに1983年と85年には、サウジアラビアとエジプトにチャレンジャー戦車の試作車を持ち込んで公開試験が実施されたが、結局この売り込みは実ること無く終わっている。 |
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+型式分類
このような紆余曲折を経ながらも、チャレンジャー戦車は1983年2月1日に最初の生産型(第2号車、車両登録番号:33KA92)が王立造兵廠のリーズ工場からロールアウトし、その8日後には第1号車(車両登録番号:33KA91)が続いたが、最初に完成した4両は先行生産型として分類されている。 そして同年3月16日に、リーズ工場においてイギリス陸軍への引き渡しセレモニーが実施された。 また試作車7両の内6両は、9KC35〜9KC40に車両登録番号を改めて訓練に供されているが、残る1両(06SP41)はイギリス陸軍による試験終了後に参考用としてアメリカに送られて、アメリカ陸軍による試験に供された。 その後、この車両はケンタッキー州ルイビルのフォート・ノックスにあったパットン騎兵・機甲博物館に長らく展示されていたが、2011年頃にジョージア州コロンバスのフォート・ベニングに設けられた国立機甲・騎兵博物館に移され、現在は同博物館の展示品として余生を送っている。 ●チャレンジャーMk.1 最初の生産型であるチャレンジャーMk.1は基本的には試作車と同仕様であったが、照準機材の中核を成すTOGS(熱映像視察・砲手照準機)が生産開始時までに間に合わなかったため、未装備の状態でひとまず完成させ後日の改修で装備することとされた。 このためMk.1は生産時には、後の生産型と異なり砲塔の右側面装甲板にTOGSを装備するための段差が設けられておらず、この部分が確認できれば以後の生産型との識別は容易い。 ただし後日改修によりTOGSを装備したので、改修後は車両登録番号以外で識別することは不可能である。 Mk.1は第1生産ロットとして1983年までに9両(車両登録番号:33KA91〜33KA99)が完成し、続いて1983年7月〜1985年1月にかけて第2生産ロット100両(34KA00〜34KA99)が完成した(合計109両)。 なお車両登録番号は、最初の数字2桁とアルファベット2文字が生産ロットの区分となっている。 ●チャレンジャーMk.2 2番目の生産型であるチャレンジャーMk.2は、生産時より砲塔右前部にTOGSを装備したことでこの部分の形状が大きく変化したのに加え、砲塔前面左側に支柱と金網を組み合わせた雑具ラックが新設されているのが特徴である。 ただし、完成後にMk.1も順次このTOGSとラックの装備改修を実施して呼称をMk.2と改めているので、改修後のスタイルも両型で同一となり、その識別は車両登録番号を確認する必要がある。 Mk.2は1985年1月〜1986年1月にかけて第3生産ロットとして100両(35KA00〜35KA99)が完成し、さらに1986年11月までに第4生産ロット55両(36KA00〜36KA54)が完成した(合計155両)。 そして第4生産ロットと第5生産ロットの間に、試作車6両の車両登録番号を94KC35〜94KC40に改める形で配している。 ●チャレンジャーMk.3 最終生産型となったチャレンジャーMk.3は、戦闘室内に収められた主砲用装薬の収容庫をそれまでの樹脂製から防御力強化の一助として鋼板製に改めたもので、外観は全く変化していないため車両登録番号からしか型式は判読できない。 Mk.3は1986年12月から第5生産ロットとして1987年3月までに20両(78KF80〜78KF99)が完成し、以後1987年3月〜1988年7月にかけて第6生産ロットとして60両(79KF00〜79KF59)、1988年9月〜1989年1月にかけて第6生産ロット22両(64KG78〜64KG99)、そして1989年1月から最終ロットである第7生産ロットとして1990年1月までに54両(65KG00〜65KG53)が完成しており、このMk.3がシリーズの最多生産型となった(合計156両)。 なお生産中の1986年7月に、ウェストミンスターのヴィッカーズ社は王立造兵廠を約1,100万ポンドで買収したと公表し、王立造兵廠のリーズ工場を中核として新たにヴィッカーズ・ディフェンス・システムズ(VDS)社が設立され、それまで王立造兵廠の手で行われていたチャレンジャー戦車の生産はVDS社が引き継ぐことになった。 VDS社はニューカッスル・アポン・タインに総額1,400万ポンドで新たな工場を建設し、王立造兵廠から引き継いだリーズ工場と共にニューカッスル工場でもチャレンジャー戦車の生産を開始した。 VDS社のリーズ工場から最初のチャレンジャー戦車がロールアウトしたのは1987年末のことであり、Mk.3の大半はVDS社製ということになる。 また、ヴィッカーズ社に買収された後も王立造兵廠の呼称は依然として残されていたが、2004年にその老舗の名前も消え去っている。 その後、1991年1月から開始された湾岸戦争への派遣のため、チャレンジャーMk.2に対してMk.3で導入された鋼板製の装薬庫への改修が実施され、その呼称もMk.3と改められたので、最終的には420両の全ての生産型チャレンジャー戦車がMk.3として同一仕様となっている。 |
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+カナダ陸軍トロフィー演習と湾岸戦争地上戦
イギリス陸軍に配備されたチャレンジャー戦車にとって初の各国統合演習となったのが、1987年に実施されたカナダ陸軍トロフィー(CAT)である。 このCAT演習は、カナダ政府の肝入りで1963年から開始されたNATO各国軍の戦車による実弾射撃競技会で、優勝チームにはカナダがその名の通りトロフィーを贈与するしきたりとなっていた。 CATは1968年まで西ドイツで毎年開催されていたが、以後は隔年開催となり1991年まで継続して実施された。 1985年にチーフテン戦車で参加したイギリスは、1987年のCATには配備されて間もない新鋭戦車チャレンジャーを装備する王立軽騎兵連隊のB中隊を投入したのだが、肝心かなめのIFCSとTOGSには問題が多く、しかも主砲弾薬が分離薬莢式のため装填速度は遅く、加えて砲塔内の乗員配置は人間工学的に難があるということで、CAT '87に参加したアメリカのM1A1戦車、西ドイツとベルギー、オランダのレオパルト2戦車、そして戦後第2世代MBTであるカナダのレオパルトC1戦車にまで大きく水を開けられて、最下位という失態を演じてしまった。 このためイギリスの新聞では酷評され、チャレンジャー戦車の導入を即刻中止して、M1戦車かレオパルト2戦車の購入に切り替えるべしとまでいわれるようになってしまった。 しかも運が悪いことに、当時イギリスは各国に対し積極的にチャレンジャー戦車の売り込みを図っていたが、このCAT '87での不振ぶりは購入を思い留まらせるのに充分だったようでいずれも採用は見送られ、後述のように昔から関係の深いヨルダンにタダ同然の安値でようやく引き取ってもらえたという有様であった。 こうして一気に評価がガタ落ちになってしまったチャレンジャー戦車であったが、1991年1月に開始された湾岸戦争ではその悪評を覆す目覚ましい活躍を見せた。 1990年8月2日に突如イラク軍がクウェートに侵攻したのを受けて、アメリカは西側各国に協力を要請し多国籍軍が結成され、まずアメリカ軍が8月からサウジアラビアへの展開を開始し、続いてイギリスなども軍の派遣を決め「砂漠の盾作戦」の呼称で、多国籍軍が順次サウジアラビアに展開した。 そして11月29日の国連による武力行使権の承認を受け、1991年1月17日からまず航空攻撃を開始し、ここに湾岸戦争が勃発したのである。 アメリカに続いてサッチャー政権下のイギリスも軍の派遣を決定したが、この派遣計画は当初極秘裏に進められ、チャレンジャー戦車を装備して西ドイツに展開していた第1機甲師団傘下の第4、第7機甲旅団がサウジアラビアへの派遣部隊として選ばれ、1990年9月14日にサウジアラビア派遣を公式に通達した。 この際に「グランビー作戦」なる呼称も発表され、以後この作戦名は戦闘終了まで用いられることになる。 当時、第7機甲旅団には王立スコットランド竜騎兵連隊と王立アイルランド軽騎兵連隊が、それぞれ57両のチャレンジャー戦車を主力として配備されていたが、このうち装薬庫をそれまでの樹脂製から鋼板製に改めて耐弾性を強化した最新型のチャレンジャーMk.3は24両しかなく、残る90両はMk.2であった。 このため、これら90両のチャレンジャーMk.2は装薬庫を鋼板製に改修することが決定され、イギリス本国で製作された改修キットが西ドイツに送られて、交換作業が進められた。 さらにその編制も、連隊本部に戦車1両を追加した58型連隊編制に改めている。 なおこの装薬庫の改修に際しては、1,079万ポンドを必要としたという。 一方、第4機甲旅団は当時傘下に57型連隊編制のライフガーズ連隊と、43型連隊編制の第14、第20国王所有軽騎兵連隊を主力としており、戦車の装備数は100両で第7機甲旅団よりも若干少ないが、派遣の決定によりいずれも58型連隊編制に改められた。 ただし、他の部隊から補充分が充填された第14、第20国王所有軽騎兵連隊の場合は、58両に満たない52両が配備された。 サウジアラビアに派遣されたチャレンジャー戦車には、グランビー作戦の実施前に様々な戦闘能力強化策として各種改修キットが導入された。 グランビー作戦に投入されたチャレンジャー戦車の最大の特徴は、車体前面と側面に増加装甲を装着したことである。 この増加装甲は、サウジアラビア派遣前にあたる1990年10月23日にVDS社と製作契約が結ばれたものだが派遣時にはまだ完成しておらず、チャレンジャー戦車がサウジアラビアに展開した後、改修キットとVDS社の技術者が同国のアル・ジャネイルに派遣され、デザートステイションと称される改修デポにおいて1991年2月初めから装着作業が実施された。 この増加装甲は、チャレンジャー戦車の複合装甲であるチョーバム・アーマーが別名「ドーチェスター・アーマー」と呼ばれていることを受けて「ドーチェスター1アーマー」と称されており、まず車体上部前面に配された複合装甲部分に圧延防弾鋼板を用いた装甲板をボルト止めした上で、車体前面上下に縦に3枚が配された仕切り板で分けられた固定基部をボルトで固定し、さらに下部には仕切り板の内側に横に鋼板を配して、上方と下方の固定基部にそれぞれ上下2段、左右2列のERA(爆発反応装甲)ブロックが収められた。 一方車体側面には、まずサイドスカートを取り外してからその固定支柱にコの字形の鋼製レールをボルトで止め、側面に設けられているスカートの固定レールとの間に、中央部7個の複合装甲を用いた中空の装甲箱を装着し、さらにその前、後方に圧延防弾鋼板を用いた中空の装甲箱が装着され、最後部はオリジナルのサイドスカートとされた。 また当初ERAが間に合わなかったようで、側面の増加装甲のみを装着した車両が結構確認できる。 なおこのドーチェスター1アーマーの装着には、前面のERAが319万ポンドで側面は966万ポンドを要したという。 加えて、攻撃力強化の一助として導入されたDU(劣化ウラン)の弾芯を用いるL26 APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)は、CHARM(チーフテン/チャレンジャー武装計画)により「ジェリコ2」なるコード名で開発が進められたものであり、それまでのL23 APFSDSが用いていたL8装薬に換えてL14装薬が用いられた。 L26 APFSDSの装甲貫徹力は公表されていないものの、大きく向上したことは間違いないだろう。 「Gデイ」と呼ばれる1991年2月24日に湾岸戦争地上戦が開始されたが、イギリス陸軍のチャレンジャー装備部隊が実際に行動を起こしたのは翌25日のことであった。 イギリス軍のグランビー作戦において、チャレンジャー戦車は200両近いイラク軍戦車と交戦し、時には被弾したが複合装甲と増加装甲のおかげで敵弾を全て弾き返し、強力な120mmライフル砲でイラク軍戦車部隊を壊滅状態に追い込む活躍を見せた。 グランビー作戦に投入されたチャレンジャー戦車はL26 APFSDSを12発、L23 APFSDSを20発、L37 HESH(粘着榴弾)を16発標準で搭載していたが、新型のL26 APFSDSは複合装甲を備えるT-72M1戦車にしか使用しないよう通達が出されていた。 しかし実際には、王立スコットランド竜騎兵連隊C中隊の所属車1両が装填手のミスにより、L26 APFSDS 2発をT-55中戦車に対して射撃しこれを撃破している。 グランビー作戦におけるL26 APFSDSの使用例はこの2発だけで、同作戦におけるチャレンジャー戦車の使用砲弾はL23 APFSDSが約800発、L37 HESHが1,000発以上とされている。 対戦車戦闘でもHESHを積極的に使用するのは、いかにもHESHの母国であるイギリスらしいといえよう。 なお、グランビー作戦におけるチャレンジャー戦車の射撃対象は54%が戦車、22%がその他AFV、そして残りは輸送トラックなどの非装甲目標に対する射撃だったという。 |
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+チャレンジャー2戦車の就役と退役後のチャレンジャー1戦車
1980年代半ばのイギリス陸軍は、チャレンジャー戦車を旧式化したチーフテン戦車と並行して運用していたが、仮想敵であったソ連軍が125mm滑腔砲を装備し複合装甲を備えるT-64、T-72戦車を毎年3,000両前後という大量生産を進めていると推測されたため、イギリス国防省は陸軍が保有するMBTの能力向上の必要性を認識するようになった。 そこで国防省が企画したMBTの能力向上プランが、CHIP/CHARM計画である。 CHIP(チーフテン/チャレンジャー改良計画)は、チーフテン/チャレンジャー戦車の欠点とされていたFCSと人間工学的な配慮を欠いた砲塔内レイアウト、そして各機材の近代化を中核とする改良計画で、一方CHARM(チーフテン/チャレンジャー武装計画)は、チーフテン/チャレンジャー戦車が装備する120mmライフル砲の改良を目的としていた。 またこの流れと時を同じくして、国防省の装備方針委員会は旧式化したチーフテン戦車の後継として、西ドイツのレオパルト2戦車やアメリカのM1A1戦車などの海外製第3世代MBTを導入することを提言した。 その背景にはこれらの戦車がいずれも120mm滑腔砲を搭載し、NATO内での弾薬供給がイギリス独自の120mmライフル砲よりもはるかに容易いという利点もあったものと思われる。 しかし国防省内には、技術継承や国内の雇用面などを考慮して海外製MBTの導入に否定的な人物も存在した。 装備局長であったサー・リチャード・ヴィンセント将軍は、1986年11月にVDS社のニューカッスル工場を訪れて、同社が輸出向けに開発したヴィッカーズMk.7戦車の砲塔を、改良型チャレンジャー戦車の車体と組み合わせた新型MBTをイギリス陸軍向けに開発するよう提言した。 そしてVDS社はこの提言に従って、新型MBT「チャレンジャー2」の開発を自社資金で開始した。 1987年3月30日にVDS社はチャレンジャー2戦車の基本案を提出し、国防省では既存のチーフテン/チャレンジャー戦車にCHIP/CHARM改修を実施して就役寿命を延長するか、チャレンジャー2戦車を新規生産するかを巡って検討が重ねられた。 そして最終的に1988年12月、国防省はチャレンジャー2戦車をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを承認し、試作車9両の製作契約が結ばれた。 また、この契約と時を同じくして前述した海外からの戦車導入提言に従い、チーフテンMk.10戦車とチャレンジャー戦車、M1A1戦車、ヴィッカーズMk.7/2戦車、レオパルト2A4戦車による性能比較試験が実施された。 その詳細は明らかにはされていないが、多分に政治的な駆け引きとコスト面での問題があったものと思われ、最終的に国防省はチャレンジャー2戦車をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することになる。 1989年8月にはチャレンジャー2戦車の設計が完了し、1990年2月から試作車の製作が開始された。 この内7両はVDS社のリーズ工場、2両はニューカッスル工場で作業が進められ、加えてさらに1基の砲塔がリーズ工場で製作された。 そして9月30日までには9両の試作車全てが完成し、10月から走行試験や射撃試験などが開始され、年末まで継続して続けられた。 試作車による試験は滞りなく完了したようで、1991年6月に国防省はチャレンジャー2戦車のイギリス陸軍への制式採用を決定し、127両のチャレンジャー2戦車とその操縦訓練戦車(CDTT)13両の調達契約を5億2,000万ポンドで締結した。 最終的に386両が発注されたチャレンジャー2戦車は1994年7月からイギリス陸軍への引き渡しが開始され、2002年4月までに全車の引き渡しを完了している。 チャレンジャー2戦車386両とCDTT 22両(9両が追加発注された)の調達に掛かった総費用は、23億ポンドといわれている。 なおチャレンジャー2戦車の制式化に伴い、従来のチャレンジャー戦車は”1”の接尾記号を付けて「チャレンジャー1」と呼ばれることになった。 チャレンジャー2戦車は当初、チーフテン戦車やチャレンジャー1戦車と並行して運用が行われたが、間もなくチーフテン戦車は全車が退役し、さらに国防省は東西冷戦の終結や政府の財政難などの理由で、チャレンジャー1戦車をイギリス陸軍から順次退役させることを1998年7月25日付で通達した。 チャレンジャー1戦車の退役は同年から開始され、2000年代初めにはイギリス陸軍から姿を消した。 しかし、400両以上生産されたチャレンジャー1戦車はスクラップにするにも巨額な支出を必要とするため、イギリス政府は1999年3月からハリド戦車の購入実績のあるヨルダンに対して、余剰となったチャレンジャー1戦車の猛烈な売り込みを開始した。 これは信じられないような底値で売却が提言され、一説によると288両のチャレンジャー1戦車を単価1ポンドを上限にしたといわれる。 そしてヨルダンはこの要求を飲み、「アル=フセイン」(Al-Hussein:現ヨルダン国王の名前に因む)の呼称を与えてさらに2002年10月に114両のチャレンジャー1戦車を追加発注したが、この追加分は何と無料にされたという。 こうしてヨルダンは、タダ同然の安値で合計402両もの戦後第3世代MBTを入手したのである。 なおヨルダンはチャレンジャー1戦車402両と共に、チャレンジャー1訓練戦車(CDTT)15両とチャレンジャー1修理・回収車(CHARRV)6両も導入したが、これらの価格は明らかにされていない。 なお、現ヨルダン国王であるアブドゥッラー2世・ビン・アル=フセインは、王太子時代にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校に留学していた時は機甲科を専攻し、在学中にチャレンジャー1戦車の操縦だけでなく指揮運用まで学んでいる。 このことが、ヨルダン政府によるチャレンジャー1戦車の導入に少なからず影響を与えたのではないかと推測されている。 |
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+車台の構造
前作のチーフテン戦車では防弾鋼の鋳造製の前部に、圧延防弾鋼板を溶接した箱型の車台が形成されたが、チャレンジャー戦車では鋳造部分を廃してより単純な溶接構造の箱型車台にまとめられた。 そして、イギリス製の生産型MBTとしては初めて車台前面に「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲が導入された(ちなみに、西側初のチョーバム・アーマー導入MBTはアメリカのM1エイブラムズ戦車である)。 またチャレンジャー戦車の車台下面は、チーフテン戦車と同様に地雷の爆風対処として緩いV字形とされ、車台側面も上方に向かって傾斜したスタイルが踏襲されている。 肝心の装甲厚については、他国の戦後第3世代MBTと同様に一切公表されていない。 しかし伝統的に重装甲に固執するイギリス戦車ということと、複合装甲はある程度の厚さを必要とすることから考えて、車台の装甲厚は前面150mm以上、側/後面50mm以上の可能性が高い。 ちなみに通常装甲であるチーフテン戦車の車台前面装甲厚は190mmと、チャレンジャー戦車の車台前面装甲厚を上回るが、チャレンジャー戦車の車台前面は複合装甲であるため、装甲厚が薄くても特にHEAT(対戦車榴弾)や対戦車ミサイルなどの成形炸薬弾(モンロー/ノイマン効果を利用した化学エネルギー(CE)弾)に対しては、非常に高い防御力を発揮すると推測される。 チャレンジャー戦車に導入されたチョーバム・アーマーは、RARDEのギルバート・ハーヴェイ工学博士を長とするグループが1960年代初めに開発に着手した複合装甲で、その研究の中から1963年にまとめられたのが、異なる素材を圧延防弾鋼板の中に挟み込んで装甲板を形成するというものであった。 この研究は非公開が前提の機密特許を取得したが、その後も継続して研究が進められ、1966年初め頃に複合装甲の試作品が完成し、4月20日から47回、翌67年5月からは70回の射撃試験に供された。 そして1969年にチーフテン戦車にこの新型複合装甲を追加装着するプランと、最初から複合装甲を備える新型MBTの開発プランが策定された。 この新型複合装甲は当初、開発者の名を採って「ハーヴェイ・アーマー」と呼ばれていたが、この頃になるとRARDEの所在する地名に因んで「チョーバム・アーマー」と呼ばれるようになり、1969年8月にイギリス国防省が成形炸薬弾を無効化する新型装甲板を「チョーバム・アーマー」の名で公表したことで広く知れ渡ることになった。 なおイギリス陸軍においては、新型AFVの実用化に欠かせない各種の研究を実施するATDUがドーセット州のボーヴィントンに設けられていることから、同州の州都ドーチェスターに因んで「ドーチェスター・アーマー」と呼称している。 チョーバム・アーマー/ドーチェスター・アーマーは圧延防弾鋼板の空間装甲の内部に、金属製のマトリックスに格納されたハニカム構造のセラミック板を多数敷き詰めた構造になっているといわれている。 セラミックはユゴニオ弾性限界が非常に大きく、HEATや対戦車ミサイルの成形炸薬弾頭が発生させる超高圧・高熱のジェット噴流に対して非常に高い防御力を発揮する。 またセラミック自体が極めて固い物質であるため、徹甲弾などの運動エネルギー(KE)弾に対しても通常の装甲板より高い防御力を発揮する。 ドイツのレオパルト2戦車や日本の90式戦車などが採用しているタイプの複合装甲の場合、ハニカム構造のセラミック板を圧縮応力を加えた状態でチタン合金のマトリックスで拘束しているが、それに比べるとチョーバム・アーマーはKE弾が命中した際にセラミック板が割れ易く、KE弾に対する防御力は劣るといわれる。 しかし拘束セラミックタイプの複合装甲は製造コストが高いため、チョーバム・アーマーのような非拘束セラミックタイプの複合装甲はコスト面では有利である。 チャレンジャー戦車の車内レイアウトは前方から順に中央に操縦手を配した操縦室、全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、そして防火壁で仕切られた機関室という、チーフテン戦車と全く同じ配置になっているが、これはチャレンジャー戦車の原型となったイラン向けのシール2戦車が、開発期間を短縮するためにチーフテン戦車の基本設計をそのまま流用していたためである。 車体最前部の操縦室の中央には、チーフテン戦車と同じく後方に体を傾けたリクライニング方式で操縦手が着座する操縦手席が設けられている。 操縦装置はチーフテン戦車と同じく、2本の操向レバーを操作する古臭い方式が踏襲されている。 他の西側第3世代MBTは乗用車と同様にハンドルで操作できるようになっているものが多く、初心者でも操縦し易くなっているが、それに比べるとレバー方式のチャレンジャー戦車は操縦が難しいと思われる。 なおチーフテン戦車では、操縦手席の下方に投棄式の脱出用ハッチが備えられていたが、チャレンジャー戦車では廃止されたようである。 操縦手の頭上には専用のハッチが設けられているが、このハッチは一旦上方に持ち上げてから前方に回転させて開くようになっており、このためペリスコープ左右から前方に伸ばされている隔壁の右側部分の一部を湾曲することで、ハッチ回転基部を収めている。 操縦室の上方には前方の視界を得るNo.36 Mk.1ペリスコープが装着され、前面には雨天時への対処としてワイパー2本と洗浄液噴射装置が取り付けられ、夜間には装甲車両映像増感(AVII)受像式暗視ペリスコープL12A1に換装することで視界を確保している。 また操縦手の座席には前後および上下位置の調節機構が用意され、ハッチを開いて頭部を車外に出し、直接周囲を見ながら操縦することも可能である。 なお、操縦室の内壁にはベージュ色のスポールライナー(内張り)が張り巡らされているので一見分からないが、大戦以降の戦車としては珍しく内壁と床板は銀色に塗装されている。 ただしイギリス陸軍では、一般的な「スポールライナー」ではなく「スプラッシュ・カーテンズ」と称している。 また操縦室内には、誘導輪を前後に移動することで履帯の緊張度を調節する油圧機構の操作レバーを備えている。 機関室の後面を兼ねる車台後面装甲板は、大戦時のパンター戦車やティーガーII戦車などの旧ドイツ軍戦車を彷彿させる大きく後方に傾斜したスタイルが採られており、その上方中央部に主砲のトラヴェリング・クランプが装着され、その左右に燃料缶ラック、ラックの下方に牽引用のAフレームバーが、その下に予備履帯が上下に2枚ずつ取り付けられ、その外側にはフック掛けが配されている。 また下部には牽引ビームを備え、袖板部分にあたる後端には泥除けが装着され、その直上に3基の尾灯を収めた収容箱が設けられている。 |
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+上部車体の構造
チャレンジャー戦車の上部車体は、他の戦後第3世代MBTと比べるとかなり凝った構成を採っている。 前部内側と側面が複合装甲、機関室後端までを圧延装甲板としてそれぞれを溶接し、側面端は車台に溶接された袖板と溶接されている。 そして砲塔リングの前方には上方にペリスコープの、下方に操縦室の開口部を備えた装甲板が溶接され、この開口部前方は車台前端まで装甲板で塞がれているが、この部分には複合装甲が用いられていると思われる。 そしてペリスコープの開口部左右に装甲板が立てられ、この装甲板と車体側面装甲板の間に前後、左右方向に金属製のフレームが溶接され、このフレームに上面装甲板をボルト止めすることで、操縦室前面部分だけが一段下がった独特の形状にまとめられた。 また、最前部の内側のみ複合装甲が用いられている。 つまり、この山形部分は空間装甲なのである。 また前部の複合装甲板は断面が見えないように、上から薄い金属板を被せるなど何らかの処理がなされているものと考えられる。 そして山形部分の装甲板は、砲塔リング部分まで延ばされてリング周囲に設けられた前部装甲板に溶接され、加えて後部装甲板にも機関室後面まで延びる装甲板が溶接され、車体側面も空間装甲としている。 なお山形部分の装甲は、金属フレームに装甲板をボルト止めするということとこの独特な構成から、イギリス陸軍では「化粧装甲」とも呼ばれているらしい。 そしてこの袖板上面にあたる中空部分にはゴム製の燃料タンクが収められ、左右合わせて燃料1,797リットルが収容されている。 なおこのタンク配置に伴い、その上面部分には前後方向合わせてそれぞれ4カ所の燃料注入口と、ヒンジ機構を備えた蓋が設けられている。 また車体側面は前方部分のみ複合装甲とされ、後方の圧延装甲板と溶接した上でその接合部には矩形の鋼板が溶接され、さらに側面の前部左右は三角形に切り取られ、消火器の消火ハンドルを収めている。 防火壁後方にあたる機関室の上面左右には、長方形で内部に5枚の仕切り板を配した排気口が設けられているが、これは生産中に上下高が拡大され仕切り板も4枚となった新型に換わっている。 操縦室の後方には砲塔リングが設けられているが、リング周囲には履帯の上方に配された袖板と車台上面装甲板、そして防火壁に接する形で12枚の装甲板が溶接され、これも空間装甲として機能している。 上部車体の左右前部には前照灯が配され、その後方に消火器と起倒式のバックミラーが装着されている。 さらに車台前面装甲板の後方部には跳弾板が取り付けられて、複合装甲の断面を隠している。 また上部車体の左右側面には、牽引用のワイアーが装着されている。 |
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+機関室の構造
チャレンジャー戦車のエンジンは、ロールズ・ロイス社が開発した「コンドー」(Condor:コンドル)CV12-1200TCA No.3 Mk.4A V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジンが採用されている。 CV12エンジンは、アメリカのギャレット・エアリサーチ社(現ハネウェル・エアロスペース社)製のターボ過給機2基を装着しており、1,200hp/2,300rpmの出力を発揮する。 CV12エンジンは、チーフテン戦車シリーズに採用されたレイランド自動車製のL60 垂直対向6気筒多燃料液冷ディーゼル・エンジン(出力750hp)に代わる、イギリス陸軍MBT用の新型エンジンとして開発が進められたものであり、当初は1,500hpの出力を発揮することを目指していたが、実際には1,200hpを発揮するのが精一杯だったため、ひとまず1,200hp級のエンジンとして完成させる方針に切り替えられた。 しかし結局CV12エンジンの出力は1,200hpで頭打ちになり、チャレンジャー戦車は予定された機動力を発揮できず、路上最大速度56km/hと戦後第3世代MBTの中ではかなりの鈍足である。 このあたりがイギリスのエンジン開発技術の限界であり、その後もCV12エンジンを上回る出力の戦車用エンジンを国内開発できなかったため、続くチャレンジャー2戦車でも引き続きCV12エンジンが採用されることとなった。 なお、CV12エンジンの生産を行っていたシュルーズベリーのロールズ・ロイス・ディーゼル社が、1984年にピーターボロのパーキンス発動機に吸収合併されたため、現在はパーキンス発動機がCV12エンジンの生産とアフターサービスを手掛けている。 エンジンの後端には、全自動変速機と油圧式の操向機が一体化されたDBE社製のTN37 Mk.2全自動変速・操向機が装着されている。 変速・操向機の上面には中央に2基のオイルクーラーを配し、その外側にラジエイターを置いて、後方には3枚の冷却ファンを設けて一体式としたパワーパック形式が採られている。 そしてこの冷却ファン部分を境として機関室上面前方に空気吸入グリルが、後方に排出グリルが配されている。 さらに、防火壁直後にあたる機関室右上面にはエンジンへの空気吸入グリルが設けられ、その左側にはエアクリーナーが収められ、整備を考慮して上面に開閉式の点検用パネルが配されている。 TN37全自動変速・操向機は前進4段/後進3段で、その上限速度は前進が1速13km/h、2速22km/h、3速34km/h、4速56km/hで、同様に後進は1速14km/h、2速22km/h、3速36km/hである。 チーフテン戦車と異なり、左右の履帯を逆に駆動させてその場で旋回する超信地旋回を行うことが可能だが、通常の旋回に際してはギア比でその旋回半径は異なり、1速での旋回半径は6.8mだが、これが4速になると28.7mとかなり大きくなる。 変速・操向機の左右にはブレーキと最終減速機が装着され、駆動軸からの速度を4.875:1に減速して起動輪に動力を伝達する。 もちろんこの部分もパワーパックとして一体化されており、エンジンなどと共に簡単に取り外すことができる。 またエンジンの左側には補助エンジンとして、生産当初コヴェントリー・クライマックス社製のH30 No.4 Mk.18H 2ストローク垂直対向3気筒液冷ディーゼル・エンジン(23hp/2,000rpm)が収められていた。 H30補助エンジンは前作のチーフテン戦車から引き継いだもので、これによりチャレンジャー戦車はCV12エンジンを駆動すること無く車内への電力供給を可能としている。 生産中の1999年から補助エンジンは、パーキンス社製の4.108 4ストローク直列4気筒液冷ディーゼル・エンジン(45hp/3,600rpm)に換わったが、以前の生産車に対しても改修キットが製作され、部隊の手で交換作業が進められた。 なお、イギリス陸軍では当初補助エンジンをGUE(発電ユニット・エンジン)と呼称していたが、後にAPU(補助動力ユニット)に呼称が改められている。 補助エンジンはパワーパックとは分離して直接機関室の床に固定されているので、一緒に取り出すことはできない。 その電力発生量は最大350Aで、操縦室内に収められた12Vのバッテリー4基と、砲塔内の24Vのバッテリー2基に電力を供給するが、直接各種電気機材にも電力を送ることが可能である。 なお、新型の4.108補助エンジンを生産時から装備したチャレンジャー戦車は、最初に女王所有軽騎兵連隊(QOH)に対して引き渡されている。 |
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+足周りの構造
チャレンジャー戦車の転輪配置はチーフテン戦車と同様で、前方に誘導輪、後方に起動輪を配し、片側6個の転輪と片側3個の上部支持輪で構成されているが、サスペンション方式はチーフテン戦車が、コイル・スプリングとボギーを用いて2個ずつ転輪を懸架するホルストマン方式を採用していたのに対し、チャレンジャー戦車はバースのホルストマン・ディフェンス・システムズ(HDS)社とMVEEが共同開発した油気圧式サスペンションを採用している。 ただし油気圧式といっても、スウェーデンのStrv.103戦車や日本の74式戦車のように任意に車体を傾斜させる機構は備えておらず、水平姿勢を保ったまま車体高を上下させることしかできない。 チャレンジャー戦車が油気圧式サスペンションを採用した理由は、トーションバー方式のように車内スペースを占有せず、ホルストマン方式と同様に車台側面に外付けされているため交換が容易で、なおかつホルストマン方式より緩衝性能が優れているためである。 この油気圧式サスペンションは導入当初油漏れなどの問題が多発したが、これはシールを改設計することで解決を見ている。 チャレンジャー戦車の起動輪と誘導輪、そして転輪のサイズについては公表されていないが、形状はチーフテン戦車のものに酷似しているものの、全て新規設計のものに改められている。 サイドスカートに隠れてほとんど見ることはできないが、後方の2個の上部支持輪が通常の複列式であるのに対し、最前部の上部支持輪は外側を未装着とした単列式になっているのが特徴的である。 履帯は幅650mmのシングルピン式鋳造製で、表面には取り外しが可能なゴムパッドが装着されており、履帯は約1,200kmの走行距離で交換されるという。 また当初履帯は片側92枚の履板で構成されていたが、後に5枚減らし片側87枚とすることで交換までの走行距離延伸が図られている。 この履帯もチーフテン戦車のものに酷似しているが、やはり新規設計の専用型が用いられている。 前方配置の誘導輪には前後位置の油圧式調整機構が備えられ、操縦手の操作で履帯の緊張度を任意に調節することが可能である。 |
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+砲塔の構造
チャレンジャー戦車の砲塔は前面に複合装甲板が用いられ、その他の部分は圧延装甲板を溶接して構成されている。 砲塔の基本的なレイアウトはチーフテン戦車をそのまま踏襲しており、車長用キューポラと装填手用ハッチの配置も同一である。 砲塔側面は空間装甲とされ、砲塔後面にはNo.6 Mk.2 NBC防護システムを収める大きな装甲箱が配されているが、これは生産中に能力強化型のNo.11 NBC防護システムに換装されている。 砲塔内部には操縦室と同様にベージュ色のスポールライナーが張られているが、砲塔の内壁面やバスケット、そして車内の戦闘室と床板は操縦室と同じく銀色に塗装されている。 前述のようにチャレンジャー戦車は、生産当初から砲塔の前部右側にTOGSを装備することが計画されていたが、TOGS自体の開発に手間取ったためひとまず未装備のMk.1として生産を進め、実用化された時点で生産時からの装備車をMk.2とし、改修でMk.1にもTOGSを装備してMk.2仕様に改めるという方針を採った。 砲塔側面は空間装甲だったためにTOGSの装備とその改修は簡単だったが、反面装備位置が主砲とは離れているために軸線の調節が難しく、これがチャレンジャー戦車の主砲の命中率を低下させる原因の1つとなった。 砲塔内の乗員配置は前部右側に砲手、その後方に車長、そして車長のやや前方左側に装填手が位置している。 砲手席の上面にはバー&ストラウド工業の手になる倍率10倍、視野角8.5度のNd-YAG方式レーザー測遠機であるTLS(戦車レーザー測遠機) No.10 Mk.1が、その右側にMRS(砲口照合装置)への光源照射機材を一体化する形で収め、周囲にはコの字形の装甲カバーが装着されている。 なお、このTLS No.10 Mk.1は300〜10,000mでの照準が可能で、最大距離の場合その誤差は±10mで、測定精度は90%といわれる。 加えて電気系の故障などでTLSが使用不能となった場合に備えて、TLSの左後方に非常用として倍率7倍の潜望式照準機No.79 Mk.1を装備している。 その後方に設けられた車長用の全周旋回式キューポラは、チーフテン戦車に用いられたNo.15キューポラの改良型であるNo.32キューポラが装着され、後ろ開き式の円形ハッチを備えて周囲に合計9基のNo.40 Mk.2ペリスコープが収められ、全周の視界を得ている。 さらに、キューポラの前部には倍率10倍の車長用照準機No.37 Mk.4が備えられており、必要に応じてランク・ピューリン社が開発した低光量映像型の夜間用照準機L5A1に換装することで夜間での視界を確保している。 加えて、キューポラの左前部には7.62mm機関銃L37A2のマウントNo.10 Mk.3が設けられており、マウントの左側には機関銃の俯仰と連動する小型のスポットライトが装着されているのもチーフテン戦車との変化である。 この車長用キューポラの左側には、わずかに前方にずれて前後開き式の装填手用ハッチが装着されているが、やや右側に傾斜したそのスタイルはチーフテン戦車そのものである。 また装填手用ハッチ前方には全周旋回式ペリスコープNo.30 Mk.1が、後方には前開き式のバッテリー点検用ハッチが、同じく車長用キューポラの後方には主砲用電気供給装置メタダインの取り外し式点検用パネルが配されている。 またバッテリー点検用ハッチの左側には、アンテナ基部が装着されている。 砲塔後部は主砲弾薬を収めるバスルとされ、後部側面の左右には収容ラックが装着されている。 このラックは左右で構造、サイズとも異なっており、右側は金属支柱と金網が用いられているのに対し、左側は金属パイプと補強支柱が用いられ、その内側に金属板が張られてその長さも右側より長い。 そして右側ラックの前方はTOGS用冷却装置の収容部とされ、その上面にアンテナ基部を設けている。 加えて、左側ラックの後方にあたる砲塔側面には消火器が装着されているが、こちらは車体前部のものとは異なり赤には塗られておらず、車体色のままである。 砲塔の左右前面装甲板には、中央部に5連装の発煙弾発射機がそれぞれ装着されている。 またその内側には砲塔吊り下げ用のアイプレートが溶接され、さらにその内側にあたる砲塔右下部には乗降用の手摺りも溶接されている。 また、主砲開口部の直後にあたる砲塔上面にも吊り下げ用のアイプレートが設けられているが、これは砲塔に溶接されているのではなく主砲の機関部に固定され、砲塔上面に開口部を設ける形で突出している。 さらに、砲塔の左前面には金属フレームと金網を用いたラックが装着されているが、これは試作車と初期生産車では未装備だった。 ただし未装備で完成したチャレンジャーMk.1に対しては、その後の改修で装着が実施されている。 砲塔の前面装甲板には複合装甲が用いられているが、このため主砲の切り欠き部分にその内部構造を見て取れる断面が生じることになり、これを隠蔽するため断面の後方部分には装甲板が溶接されている。 イギリス陸軍ではチャレンジャー戦車を砲戦車、統制戦車、そして指揮戦車と分類し、砲塔内に2種類の異なる無線機を搭載していた。 まず砲戦車だが、これは各車間の連絡用としてクランズマンVRC353 VHF/FM無線機2基が搭載されたが、この無線装備が一般的なものである。 また統制戦車には、中隊間における連絡を目的として2基のVRC353 VHF/FM無線機に加えて、より送受信距離が長いVRC321 HF無線機1基が追加され、中隊本部に配された。 この無線装備はそのまま指揮戦車にも踏襲されたが、こちらは連隊間の連絡に供され連隊本部に配された。 この無線機の追加装備により、統制戦車および指揮戦車では装填手用のペリスコープ左側にアンテナ基部が新設された。 ただしこの基部は、生産時より全車に対して開口部と配線を施した上で、開口部を円形鋼板をボルトで止めて塞ぐという手法を採っていた。 なおVRC353 VHF/FM無線機は、音声をディジタル変換して送受信するCSSH(クランズマン保全音声ハーネス機構)が組み込まれており、傍受されても会話の内容が不明な秘話通話を可能としている。 ただし統制戦車と指揮戦車では、追加無線機搭載のため主砲弾薬搭載数が52発から44発に減らされている。 |
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+武装の構造
チャレンジャー戦車の主砲は当初、チーフテン戦車から受け継いだ王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5がそのまま搭載されたが、生産中にその改良型であるL11A7が導入された。 しかし、L11A7の改良内容や導入時期については明らかにされていない。 またL11A5およびA7の砲口初速や装甲貫徹力などは一切公表されていないが、その原型であるL11A2がAPDS(装弾筒付徹甲弾)を使用して砲口初速1,370m/秒、射距離1,000mで400mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹でき、同様にHESH使用時には、最大射程8,000mで旧ソ連製のT-55中戦車やT-62中戦車を撃破可能といわれている。 その改良型であるL11A5やA7の威力はこれと同等、もしくはそれを上回るものと思われ、チャレンジャー戦車の仮想敵と目されていた旧ソ連製のT-72戦車の前面装甲をアウトレンジで貫徹可能と考えるのが妥当であろう。 また砲身には布製のサーマル・スリーブが装着され、熱の影響による砲身の歪みへの対処としているのに加え、砲身先端にはMRSが装着され、砲手席のTLSの左側に収められている光源からの反射光で、砲身の歪みによる照準の狂いを判断して砲手により微調整が行われる。 主砲は砲架に収められた状態で砲塔リング部分に固定され、−10〜+20度の俯仰角を備えている。 チャレンジャー戦車の主砲弾薬はL23A1 APFSDS、L15A5 APDS、L37A7 HESH、L34A2 WP(煙幕弾)、L32A6 SH(粘着榴弾訓練弾)、L20A1 DS(装弾筒付徹甲弾訓練弾)が用いられ、対戦車用の装薬は当初APDS用として開発されたL8装薬が用いられていたが、新型のL23A1 APFSDSの実戦化に伴い、より強力なL14装薬が導入されている。 加えて前述のように湾岸戦争に際しては、複合装甲を備えるT-72戦車への対処として弾芯にDU(劣化ウラン)を用いたL26 APFSDSが搭載されたが、その使用例はわずか2発に留まっている。 同様にHESHとWPには、L3A2装薬が用いられる。 主砲弾薬は砲塔後部のバスルと砲塔内に合わせて52発(64発とする資料もある)が収められ、装薬は砲塔バスケット後方にあたる防火壁の前とバスケット右側、そして操縦手席の左右に「標準型対フリーズ」と呼ばれる特殊な液体を充填して、その中に装薬を収容する円筒形の装薬筒を収める、いわゆる湿式装薬庫が用いられているがこれはチーフテン戦車と同様である。 操縦手席左右と防火壁直前の装薬庫は、砲塔バスケットに載っているわけではなくそれぞれ固定式なので、バスケット上に配された装薬3発を使用した後は、砲塔が前方と右側を向いている場合には操縦手席左右の、後方と左側向きの場合は防火壁直前の装薬をそれぞれ使用する。 チャレンジャー戦車の副武装は、砲架の上部左側に7.62mm同軸機関銃L8A2が載せられ、砲塔前面の主砲開口部左上方に装着された、主砲の俯仰により可動する薄い鋼板に同軸機関銃の切り欠きが設けられている。 また前述のように車長用キューポラの左前部のマウントに、7.62mm機関銃L37A2が装備されている。 このL8A2同軸機関銃とL37A2車長用機関銃は、いずれも歩兵向けのL7A2機関銃(ベルギーのFN社製の7.62mm機関銃FN-MAGを王立小火器工廠でライセンス生産したもの)を車載化したものだが、L8A2には銃床と引き金、ピストルグリップ、ハンドグリップは無く、L37A2では銃床とハンドグリップは外されたが、引き金とピストルグリップはそのまま残されている。 またL8A2は、ボーデン・ケーブルを介して砲手席のペダルにより射撃が行われる。 7.62mm機関銃弾は戦闘室内の各部に分散して弾薬箱が収められ、その総弾数は4,600発となっている。 また前述のように砲塔の左右前面の中央には、5連装の電気発火式66mm発煙弾発射機No.18 Mk.1がそれぞれ装着されている。 この発煙弾発射機は、煙幕を広範囲に散布できるようにそれぞれの筒の装着角度が変更されており、5筒合わせて片側100度の散布角を有している。 なおこの発煙弾発射機には、MBSGD(多連装発煙手榴弾投射機)なる呼称が与えられている。 主砲の命中精度を左右するFCSは、チェルムスフォードのGECマルコーニ社(現BAEシステムズ社)が開発したIFCS(Improved Fire Control System:改良型射撃統制システム)が採用されている。 これは元々イラン向けのシール2戦車用に開発された機材を流用したものであり、列強の戦後第3世代MBTのFCSと比べると能力が低いことは否めない。 ただし砲安定装置を標準装備しており、旋回速度0.27度/秒、俯仰速度0.09度/秒で主砲が移動目標を追尾することを可能としている。 ただしこの数字は、他の西側第3世代MBTと比べるとかなり劣る値ではある。 なお、主砲の駆動にはFVGCE(戦闘車両電気式砲制御機材) No.11 Mk.3が用いられており、砲手席の右側に装着されたグリップ式のスティックを用いて前後操作で俯仰、左右操作で旋回が行われる。 その照準機材の中核を成すTOGSは収容箱の形状こそ異なるものの、基本的にイギリス陸軍向けのチーフテンMk.11戦車に導入されたものと変わらない。 TOGSの開発は1980年6月19日付のGSR3845で要求が出されたことに始まり、1981年4月に国防省とバー&ストラウド工業との間で契約が結ばれて作業が開始された。 その内容はTOGSの開発に加えて、チーフテン戦車とチャレンジャー戦車向けとして895基のTOGSが製作発注された。 しかし、TOGSの開発はチャレンジャー戦車の生産開始までには間に合わず、このためチャレンジャーMk.1はTOGS未装備のまま完成させ、後日改修によってTOGSを装備することになった。 このTOGSは、夜間や視界の悪い状況下において敵車両や兵士が放出する熱を感知して映像化することで、砲手席と車長席のモニターにその情報を送り、コンピューターを介してIFCSにも情報データを送って射撃の一助とする装置である。 TOGSの目ともいえるのが最前部に配されたTISH(熱映像センサー)であり、これは熱を感知して映像化する一種のTVカメラである。 ただしその構造から自らの発熱量も多いため、熱による機材の故障を防ぐと共に、発熱することで敵に感知される危険性を低下させるため、砲塔右後方に収められた冷却装置からパイプにより冷気が送られて、機材を冷却するという構造が採用されている。 この冷却装置の冷却能力は−200度といわれるが、細いパイプを用いることで冷気の調節を行っているものと思われる。 なお走行時にはTISHのレンズ面の損傷を避けるため、TOGSの前面には左開き式の装甲蓋が設けられている。 前述のようにTOGSは砲手の照準機としても機能するのだが、装備位置が主砲と離れているため走行時の振動などでどうしても軸線が狂い、主砲の射撃精度を低下させる原因となっているといわれている。 |
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+派生型
前作のチーフテン戦車の場合は、回収車や架橋戦車など様々な派生型が製作されたが、チャレンジャー戦車ではすでにチーフテン戦車を母体とする派生型が実戦配備されていたこともあり、実際に派生型として生産された車両は訓練戦車と修理・回収車の2車種しかない。 ●チャレンジャー訓練戦車 操縦訓練を目的として1988年2月にイギリス国防省はVDS社との間で、「チャレンジャー訓練戦車」(CDTT)の呼称で17両の製作契約を1,800万ポンドで結び作業が開始され、その第1号車は1989年8月に完成した。 そして翌90年5月より本格的な生産がスタートし、同年9月までに全車が完成している。 CDTTの車体はチャレンジャーMk.3と同じものが用いられているが、120mmライフル砲を備えた砲塔に換えて、訓練生と教官が収まる鋳造製で固定式の角型キャビンが装着された。 この操縦室は公式には「視察&操縦キャビン」と称されているが、前面と側面、後面、そして上面に各2枚の透明窓を備えていることから、「グリーンハウス(温室)砲塔」と呼ばれるのが一般的だという。 上面の窓は右は後方に、左は前方に開く角型の乗降用ハッチに装着されており、緊急時にはハッチを簡単に投棄することができる。 また、キャビンの後方左右には前開き式のドアが装着され、通常の乗降はこのドアを用いて行われる。 キャビン内の前方には、高さの調節が可能でショック・アブソーバーを備える座席が左右に配され、右側に教官、左側に訓練生が位置し、その後方にも一段下がった位置にショック・アブソーバー付きのベンチシートを設け、訓練生を最大で3名まで着座させることができる。 前方左側の座席には、操縦室内に配されたものと同じ各種操縦装置と計器類が用意され、右側の教官席には操縦装置は無いが、緊急時のブレーキが装着されている。 また訓練生が、実際のチャレンジャー戦車と同じ操縦感覚を得るために車内各部にはウェイトが収められ、通常の戦車型と重量を合わせている。 もちろん、車体前部に配されたオリジナルの操縦室もそのまま残されており、状況に応じてオリジナルの操縦手席とキャビン内の操縦手席で訓練が実施される。 加えて操縦訓練以外にも機関系などの整備訓練や、車体前面にドーザーを装着して回収訓練に供することも可能である。 ●チャレンジャー修理・回収車 1983年にチャレンジャー戦車57両を装備する初の実戦部隊となった王立軽騎兵連隊において、実戦訓練を実施した際に故障などで行動不能となったチャレンジャー戦車を回収するのに、同連隊が装備するチーフテン装甲回収車(ARV)では極めて困難であることが判明した。 これは実際の戦闘に際して由々しき問題であり、この報告を受けた国防省はその対処として同年10月28日付で、王立造兵廠リーズ工場との間でチャレンジャー戦車を母体とする回収型の開発契約を結び、作業がスタートした。 そして様々な研究の中から、ちょうど1年後の1984年10月30日付で基本案がまとめられ、翌85年6月には王立造兵廠を買収したヴィッカーズ社との間で、「チャレンジャー修理・回収車」(CHARRV)の呼称で30両の製作契約が結ばれた。 前述のように、王立造兵廠リーズ工場を中核として新たにVDS社が1986年に設立され、CHARRVの開発はVDS社が担当することになった。 1987年12月には、VDS社がニューカッスル・アポン・タインに設立した新工場で6両の全規模開発試作車が完成した。 続いて1989年2月には47両のCHARRVの追加製作契約がVDS社と締結され、さらに同年9月には3両が追加されているので、その総数は80両へと拡大した。 6両の全規模開発試作車にはV1〜V6の番号が与えられ、1987年8〜12月にかけてイギリス陸軍に引き渡され、部隊レベルでの試験が実施された。 車内にウィンチ、車体上面にはクレーンなど回収車両特有の装備を装着するために、機関系と足周り以外は新規設計とされ、車体後面の傾斜装甲板も垂直装甲板に換わったので、機関室のグリル部分に戦車型の面影が残るに過ぎない。 また戦車型とは異なりさほどの装甲厚は必要としないので、その数字は明らかではないが装甲厚は戦車型よりも薄くまとめられているはずである。 続く第7号車V7は先行生産型として分類され、第8号車V8以降が生産型として完成している。 そしてV1〜V7の車両登録番号は70KG60〜70KG66が充てられ、続く生産型では70KG67〜70KG139が用意された。 またV1〜V7の7両は、後に生産型と同仕様となる改修が施されている。 そして改修を受けた7両は1990年6月より実戦部隊へ引き渡され、続いて7月からは生産型の引き渡しが始まり、1991年5月から生産型の実戦部隊に対する配備が開始され、1992年10月には最終号車が工場からロールアウトして生産を完了した。 |
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<チャレンジャー1戦車> 全長: 11.56m 車体長: 8.327m 全幅: 3.518m 全高: 2.95m 全備重量: 62.0t 乗員: 4名 エンジン: パーキンス・コンドーCV12-1200TCA No.3 Mk.4A 4ストロークV型12気筒液冷ターボチャージド・ディー ゼル 最大出力: 1,200hp/2,300rpm 最大速度: 56km/h 航続距離: 450km 武装: 55口径120mmライフル砲L11A5またはL11A7×1 (52発) 7.62mm機関銃L8A2×1 (4,600発) 7.62mm機関銃L37A2×1 装甲: 複合装甲 |
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<参考文献> ・「パンツァー1999年7月号 イギリスが戦車王国の面目をかけて開発したチャレンジャー1戦車」 野木恵一 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2012年4月号 チャレンジャー2戦車 開発過程・構造とその将来」 荒木雅也 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2010年11月号 何度も復活した強運のMBT チャレンジャー1」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2014年10月号 チャレンジャー1 & 2戦車の現状と変化」 柘植優介 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年4月号 90式戦車 vs チャレンジャー1戦車」 城島健二 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2007年3月号 シール・イランからチャレンジャーへ」 三鷹聡 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2017年10月号 イギリスMBTの系譜」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021〜2022」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2016年7月号 チャレンジャー主力戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦闘車輌 2006〜2007」 ガリレオ出版 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版 ・「世界の主力戦闘車」 ジェイソン・ターナー 著 三修社 ・「新・世界の主力戦車カタログ」 三修社 ・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」 コーエー ・「世界の戦車 完全網羅カタログ」 宝島社 |
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