センチュリオン中戦車
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+開発
第2次世界大戦後のイギリス陸軍が主力MBTとして装備したのは、大戦中のイギリス陸軍戦車の総決算ともいうべき、A41「センチュリオン」(Centurion:古代ローマ軍の百人隊長)重巡航戦車であった。
センチュリオン重巡航戦車は、ドイツ陸軍のティーガーI重戦車に対抗するために1943年7月から、サウソールのAEC社(Associated Equipment
Company:関連機器会社)が開発に着手したもので、1944年5月に実物大モックアップが完成し、同年9月に増加試作車20両が発注された。
最初の6両の増加試作車は1945年5月にイギリス陸軍に引き渡され、早速ヨーロッパに送られたが、すでに実質的な戦闘は終了しており、第2次大戦中にその真価を発揮する機会には恵まれなかった。
1945年中に、より装甲厚を強化し全鋳造砲塔を採用した最初の生産型、センチュリオンMk.Iが100両発注された(1946〜47年にかけて生産)。
イギリス初の戦後型MBTの、本格的な量産開始であった。
センチュリオンMk.Iの武装は増加試作車の第1〜第10号車と同様で、王立造兵廠製の55口径17ポンド(76.2mm)戦車砲Mk.VIIと、カナダのジョン・イングリス社製の72.5口径20mmポールステン機関砲を砲塔前部に、BSA社(Birmingham
Small Arms:バーミンガム小火器製作所)製の、7.92mmベサ機関銃を砲塔後部のボールマウント式銃架に搭載していた。
なおこのセンチュリオンMk.Iから、それまでの「重巡航戦車」(Heavy Cruiser Tank)という車種呼称に代えて、「中戦車」(Medium
Tank)という呼称が用いられるようになった。
増加試作車の基本的な要素を引き継いだセンチュリオンMk.I中戦車に続き、全く新設計の一体鋳造(上面のみ圧延鋼板)製の砲塔を持つ、センチュリオンMk.II中戦車が1946年に制式化され700両発注された。
このMk.IIになって、主砲と副武装(17ポンド戦車砲と7.92mmベサ機関銃)が、砲塔前部の防盾に同軸装備されるようになり、砲塔後部のボールマウント機関銃と20mmポールステン機関砲の装備は取り止められた。
本型は構造面で、その後のセンチュリオン戦車各型の基本を確立したものであったが、Mk.IIの生産は1946〜48年にかけて250両で打ち切られた。
これは、大幅に性能を向上させたセンチュリオンMk.III中戦車(1948年後期より型式番号のローマ数字使用を止めて、「Mk.3」と表記されるようになる)の生産に移行したためである。
1948〜56年にかけて2,833両が生産されたセンチュリオンMk.3中戦車は、Mk.IIまでに完成の域に達した車体と砲塔に、待望の新型戦車砲である王立造兵廠製の66.7口径20ポンド(83.4mm)戦車砲Mk.IIを搭載し、同時にエンジンの強化も図ったものであり、この型以降が戦後型として分類されている。
車体は圧延防弾鋼板の溶接構造で、車体前面の装甲厚は76mmに抑えられていたが、良好な避弾経始が図られていた。
これに相反するように砲塔は防弾鋼の鋳造製で、さほど避弾経始が考慮されていなかったものの、その装甲厚は防盾部で150mmとかなり強力なのが特徴であった。
路上最大速度21.5マイル(34.6km)/h、路上航続距離60マイル(97km)とやや機動性に劣るものの、1950年6月に勃発した朝鮮戦争においては、「最優秀戦車」との折り紙を付けられる活躍を示した。
Mk.3で一応完成の域に達したセンチュリオン戦車は、さらにMk.5、Mk.6、Mk.7、Mk.8と改修を加えられてヴァリエーションを増やしていった。
そして1950年代末までに、センチュリオン・シリーズは「中戦車」という呼称を改め、「(戦闘)戦車」(Battle Tank)と呼ばれるようになった。
つまりこの時点で、本車の本質である巡航戦車も中戦車も、そして重戦車をも包合した「主力戦車」(Main Battle Tank)という概念がイギリスでもようやく固まり、センチュリオン戦車が初めてその地位を勝ち取ったのである。
センチュリオン戦車は、型式番号がMk.13まであることに示されるように、西側で戦後最も長期に渡って使用されたMBTであることから、ヴァリエーションも最も多種類を誇っている。
そして基本的な生産型の内、Mk.3〜Mk.8(Mk.IIからのMk.3への改修を含むと4,167両で、全生産数の94.2%にあたる)は、いずれも当初20ポンド戦車砲を搭載して生産された。
しかし1959年に、画期的な新型戦車砲である51口径105mm戦車砲L7A1が王立造兵廠で開発され、順次センチュリオン戦車にも搭載されるようになる。
105mm戦車砲L7A1は、APDS(装弾筒付徹甲弾)を使用した場合、砲口初速1,470m/秒、射距離1,000mで330mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能で、当時のソ連陸軍の主力MBTであったT-54、T-55中戦車を遠距離から撃破することができた。
この105mm戦車砲L7A1は、1960年頃から生産が始まった最終生産型のセンチュリオンMk.10戦車に搭載されたが、イギリス陸軍は順次、Mk.5以降の既存型の主砲をこれに換装していった。
また105mm戦車砲L7A1の搭載と併せて、アメリカのブラウニング火器製作所製の12.7mm重機関銃M2と、同国のレミントン武器製作所製の12.7mm標定銃M8Cの両者を参考に開発された、主砲標定用の12.7mm標定銃L21A1も装備された。
この12.7mm標定銃L21A1は、12.7×99mm曳光弾を目標に向けて3点射し、命中弾を得た時点で主砲を発射するという、当時としては単純かつ正確な距離測定・照準機構で風向調整も簡単にできたが、難点はこの発射時に敵側に察知される可能性が高いことであった。
センチュリオン・シリーズの生産は1962年まで行われ、Mk.10までの各生産型合計で4,423両が完成した。
さらに生産が基本的に終了した後も、既存の車両に対してアクティブ赤外線暗視装置を装備するなどの近代化改修が実施され、Mk.11〜Mk.13の各改修型が誕生した。
そして1970年代末まで、センチュリオン戦車は後継のチーフテン戦車と共に、イギリス陸軍戦車部隊の主力MBTの座を担い続けたのである。
またセンチュリオン戦車は、第2次大戦中に開発された旧式MBTであるにも関わらず、その高い信頼性と防御力が国際的にも評価され、オランダ、スイス、イスラエル、南アフリカなど世界18カ国に輸出されるベストセラーMBTとなった。
開発後半世紀を経た2000年の時点でも、本車は9カ国の陸軍に約2,500両が在籍しており、様々に改良されて今後も使用される模様である。
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+攻撃力
センチュリオン戦車の主砲はMk.IIまでは、第2次世界大戦中に開発された17ポンド戦車砲Mk.VIIを装備していたが、Mk.3で新型の20ポンド戦車砲Mk.IIに換装された。
この20ポンド戦車砲は、17ポンド戦車砲の後継として大戦終了直後から、チョバムのFVRDE(Fighting Vehicle Research
and Development Establishment:戦闘車両研究開発局)が、ウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社と共同で開発したものである。
口径こそ83.4mmと、大戦後期からソ連陸軍の主力MBTとなった、T-34-85中戦車が装備する54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53と同等だったが、66.7口径長と長砲身で、APCBC(風帽付被帽徹甲弾、砲口初速1,006m/秒)を用いた場合、射距離1,000mで132mm厚のRHA(傾斜角30度)を貫徹することが可能で、さらにAPDS(砲口初速1,433m/秒)を用いると、射距離1,000mで194mm厚のRHA(傾斜角30度)を貫徹することができた。
これは、中戦車クラスの主砲としては当時最強の対装甲威力で、アメリカ陸軍のパットン中戦車シリーズが装備する90mm戦車砲にも勝っていた。
また20ポンド戦車砲は、重量約10kgの高性能HE(榴弾)を発射できることから、重量約7kgのHEを発射する17ポンド戦車砲に比べて対陣地攻撃や歩兵支援戦闘等、砲兵的用法においてははるかに高い威力を発揮でき、これが朝鮮戦争やヴェトナム戦争等での活躍に活かされた。
ちなみに、この20ポンド戦車砲が最初に撃破した敵戦車は皮肉なことに、朝鮮戦争で中国人民志願軍が鹵獲使用していた、イギリス製の大戦型巡航戦車クロムウェルだった。
残念ながら朝鮮戦争ではその他に、センチュリオン戦車が敵戦車と交戦した記録は無い。
1959年になると、画期的な新型戦車砲である105mm戦車砲L7A1が登場した。
このL7A1は、西側が1950年代半ばに存在を確認したソ連陸軍のT-54中戦車が装備する、56口径100mm戦車砲D-10Tに対抗するため、ハルステッドのRARDE(Royal Armaments Research and Development Establishment:王立武器研究開発局)が開発し、当初ヴィッカーズ社が製造請負をして製作されたもので、1959年より王立造兵廠のノッティンガム工場で量産が始まった。
L7A1は51口径長で、弾種としては弾頭重量5.79kg、砲口初速1,470m/秒のL28A1およびL52A1 APDSと、弾頭重量11.3kg、砲口初速730m/秒のL37
HESHが用意されていた。
敵戦車など装甲目標用の主力弾であるAPDSの有効射程は1,800mで、射距離1,000mにおいて直立した330mm厚のRHAを貫徹することが可能であった。
また、長射程(3,000〜4,000m)での装甲目標に対する射撃には、HESHを用いることを想定していた。
HESH(High Explosive Squash Head:粘着榴弾)は、イギリスが1940年代に開発した装甲目標と非装甲目標の両方に有効な多目的弾で、柔構造の弾体が目標の表面に張り付き、その高性能炸薬をやや遅延させて爆発させるようになっており、装甲目標に命中した場合は、爆発の衝撃により装甲板裏側を剥離飛散させて、内部の人員や機材を損傷させる効果がある。
この105mm戦車砲L7A1は、1960年頃から生産が開始された最終生産型のセンチュリオンMk.10戦車に採用されたが、イギリス陸軍は、Mk.5以降の既存のセンチュリオン・シリーズの主砲も順次これに換装していった。
主砲弾は、操縦手席の左側に設けられた弾薬庫や、車内各所の補助弾薬庫に収められていた。
この弾薬庫は、被弾時に車内に飛散する灼熱した徹甲弾片による誘爆を防ぐため、水を充填してあったが、これは、アメリカ陸軍がM4中戦車シリーズの後期生産型に導入した、湿式弾薬庫に範を取ったものである。
センチュリオン戦車のFCS(射撃統制装置)は、想定交戦距離約1,000mに対応し得る第2次大戦型のもので、車長用キューポラに視察・照準兼用No.4ペリスコープ(倍率1〜7倍)、砲手用単眼式照準機(倍率6倍)と照準用ペリスコープNo.1Mk.3、測遠目盛付きプリズム(倍率3倍)等を装備していた。
これにMk.3からは、水平方向の見越し角度の自動設定調節ができる、上下・左右方向の主砲安定装置(No.1Mk.2主砲制御装置/油圧サーボ式)を備え、目標を指向しながら移動し、停車後迅速な射撃を行えるようになった。
センチュリオン戦車の副武装は、最初の生産型であるMk.Iでは20mmポールステン機関砲を砲塔前部左側に、7.92mmベサ機関銃を砲塔後部のボールマウント式銃架に装備していたが、続くMk.IIでは20mmポールステン機関砲が廃止され、砲塔後部のボールマウント式銃架に装備されていた7.92mmベサ機関銃は、主砲左側に同軸装備されるようになった。
Mk.5以降ではNATO(北大西洋条約機構)の装備規格統一により、同軸機関銃が0.30インチ(7.62mm)口径の、アメリカのブラウニング社製のM1919A4機関銃に変更され、さらに車長用キューポラにも対空用として、M1919A4機関銃が装備されるようになった。
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+防御力
センチュリオン戦車の車体は圧延防弾鋼板の溶接構造で、基本的なスタイルは第2次世界大戦中のイギリス陸軍戦車を踏襲しており、特にチャーチル歩兵戦車の車体デザインを受け継いでいた。
しかし従来のイギリス陸軍戦車と異なり、車体前面にはソ連陸軍のT-34中戦車に倣って、避弾経始を考慮した傾斜装甲が採り入れられていた。
そして、車体底部は戦訓から対戦車地雷の爆圧を外らすため、従来の平板式を止めて3面式舟型構造を採用していた。
車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室というオーソドックスなもので、車体前面は装甲厚76mm(Mk.9以降は118mm)、傾斜角55度という強固な防御力を誇っていた。
この厚さと角度は、ドイツ陸軍のティーガーI重戦車が装備する、56口径8.8cm戦車砲KwK36の直撃に耐えられるギリギリのところを設定し、直立した140mm厚のRHAと同程度の装甲防御力を持たせていた。
車体側面には装甲スカートや各種工具・雑具ボックス、車体側板直付けのホルストマン式サスペンションと、大直径転輪を配置して、徹甲弾の斜射や、成形炸薬弾の側面装甲板への直撃を妨げるよう考慮されていた。
センチュリオン戦車の砲塔は、増加試作車では前面が鋳造製、側/後面が溶接組み立てとなっていたが、最初の生産型であるMk.Iで側/後面も鋳造製となり、Mk.IIからは新設計の全周一体鋳造製砲塔となった。
装甲厚は砲塔前面で121mm、防盾部で150mmという重装甲であった。
砲塔内の配置は、主砲を挟んで右側に砲手と車長が前後に並び、左側に装填手が位置した。
砲塔も一応、避弾経始が考慮されてはいたが、ソ連陸軍がIS-3重戦車や戦後型のT-54、T-55中戦車の砲塔で行なったように、内部容積を犠牲にしてまで徹底して滑らかな曲線を追求することは無く、周囲はほぼ基部寸法のまま、上部に立ち上がるデザインを採っていた。
そして砲塔側面部には、大戦中の戦訓から各種の雑具箱等を取り付け、成形炸薬弾への対抗手段としていた。
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+機動力
センチュリオン戦車シリーズが搭載していたエンジンは、第2次世界大戦におけるイギリス空軍戦闘機の心臓であった、ダービーのロールズ・ロイス社製の「マーリン」(Merlin:コチョウゲンボウ)航空機用ガソリン・エンジンの車載型である、「ミーティア」(Meteor:流星)V型12気筒液冷ガソリン・エンジンであった。
センチュリオンMk.IIまでは出力600hpのミーティアMk.IVAエンジンを搭載していたが、Mk.3から出力650hpのミーティアMk.IVBエンジンに換装され、さらにMk.8以降では改良型のミーティアMk.IVCエンジンに変更されている。
第2次大戦中のイギリス陸軍戦車では、クロムウェル巡航戦車とコメット巡航戦車が同系エンジンを搭載していた。
センチュリオン戦車はこのエンジンに、大戦中のチャーチル歩兵戦車に採用されていた、ハダースフィールドのDBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)製の、メリット・ブラウンZ51R手動変速・操向機(前進5段/後進2段)を組み合わせていた。
この変速・操向機の特徴は機械式レバー操作であるにも関わらず、戦闘重量が40tあったチャーチル歩兵戦車の操縦すら比較的滑らかに行なうことができたことで、センチュリオン戦車に搭載されたのもその実績を買ってのことである。
そしてもう1つの長所は、低速走行時の安定性と動力伝達効率の高さで、相当な斜度の坂などもものともせずに駆け登る性能を、センチュリオン戦車にもたらしたのである。
センチュリオン戦車の履帯は、シングル・ドライピン式の高マンガン鋼鋳造履帯で、チャーチル歩兵戦車の履帯と良く似ていたが、これは、チャーチル歩兵戦車の意外に良好な路外踏破性能にあやかろうとしたもので、実際に朝鮮戦争ではアメリカ陸軍のM4A3E8中戦車や、M46パットン中戦車が登り切れなかった急勾配の高地を容易くよじ登り、峻険な丘陵地帯で中国人民志願軍の歩兵攻撃を撃退する有効な反撃砲火を展開して、名を上げている。
センチュリオン戦車のサスペンションは、ヴィッカーズ社製の軽戦車や装軌式キャリアに用いられたのと同じ、ホルストマン方式を採用していた。
これは水平方向のコイル・スプリングで、2個一組になった転輪をそれぞれ懸架するもので、トーションバー(捩り棒)方式に比べると緩衝能力は劣っていたが、サスペンションを車体側面に外付けしているために交換や修理がし易く、車体内部容積を取らないメリットもあった。
センチュリオン戦車では片側3組のホルストマン式サスペンションが用いられ、直径80.2cmの複列式転輪を片側6個懸架していた。
このサスペンション方式は本車以降のイギリス陸軍戦車にも踏襲され、最新のチャレンジャー2戦車でも改良型のホルストマン式サスペンションが採用されている。
このことは、このサスペンション方式の実用性の高さを示しているといえよう。
以上のように、センチュリオン戦車はエンジン、変速・操向機、サスペンション、履帯など足周りのコンポーネントに、運用経験が豊富で高い完成度と信頼性が保証されているものを採用していたため、朝鮮戦争での活躍からも分かるように、路外での走行性能は非常に安定していた。
しかし約50tの戦闘重量に対して、エンジン出力が600〜650hpとアンダーパワーだったため、最大速度は路上で21.5マイル(34.6km)/hと、同時期に開発された他国のMBTに比べるとかなり足が遅かった。
また燃費の悪いガソリン・エンジンを採用していたため、センチュリオン戦車の航続距離は路上で60マイル(97km)と、ディーゼル・エンジンを搭載するソ連製MBTに比べてかなり短かった。
ただしイギリス陸軍は、MBTの戦略移動に装輪式のトランスポーターを用いることを想定していたため、センチュリオン戦車の足の遅さと航続距離の短さは、登場時にはあまり問題にされていなかった。
しかし、路上でもわずか100km足らずという航続距離の短さは、戦場で長時間に渡る戦闘を実施する際に大きな問題となることが明らかになったため、Mk.7以降では機関室を拡張して燃料タンクを増設したり、トレイラー式装甲燃料タンクを牽引するなどの措置が採られ、路上航続距離が118マイル(190km)に大幅に延伸されている。
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+ヴァリエーション
センチュリオン戦車シリーズは、生産期間が長かったのに加えて改修型もあり、多くの型式が存在する。
A41センチュリオン重巡航戦車は、1945年に20両製作された増加試作型で、主砲として55口径17ポンド戦車砲または50口径77mm戦車砲HV、副武装として20mmポールステン機関砲または7.92mmベサ機関銃を装備しており、武装の組み合わせと砲塔の構造にヴァリエーションがあった。
1945〜47年にかけて100両生産されたセンチュリオンMk.I中戦車は、センチュリオン戦車シリーズの最初の生産型であり、17ポンド戦車砲と20mmポールステン機関砲を砲塔前部、7.92mmベサ機関銃を砲塔後部のボールマウント式銃架に装備していた。
1945〜48年にかけて250両生産されたセンチュリオンMk.II(A41A)中戦車は、新設計の一体鋳造砲塔を採用しており、後に全車が主砲を66.7口径20ポンド戦車砲に換装してMk.IIIに改修された。
1948〜55年にかけて2,833両生産されたセンチュリオンMk.III(後にMk.3に改称)中戦車は、Mk.IIの主砲を20ポンド戦車砲に換装し新型FCSを搭載したもので、シリーズ最多の生産型である。
センチュリオンMk.IV(A41T)近接支援戦車は、主砲を18.7口径95mm榴弾砲Mk.IAに換装した火力支援型で、1948年にセンチュリオンMk.I中戦車の車体を用いて試作されたが、Mk.IIIで採用された20ポンド戦車砲が歩兵の火力支援に充分なことが分かったため、開発中止となった。
1955〜57年にかけて221両生産されたセンチュリオンMk.5中戦車は、NATOの弾薬規格統一のため、Mk.IIIの副武装をアメリカのブラウニング社製の7.62mm機関銃M1919A4に変更したものだが、生産中に、前面に2インチ(50.8mm)厚の増加装甲板を装着して装甲強化を図ったMk.5/1(FV4011)、主砲を51口径105mm戦車砲L7A1に換装したMk.5/2に発展した。
センチュリオンMk.6中戦車は、Mk.5/1およびMk.5/2の特徴(装甲の強化と主砲の換装)を引き継ぎ、車内燃料タンクを大型化したものであり、続いて射撃・操縦用のアクティブ赤外線暗視装置を追加したMk.6/1、主砲照準用の12.7mm標定銃L21A1を新設したMk.6/2が生産された。
1954〜59年にかけて755両生産されたセンチュリオンMk.7(FV4007)戦車は、Mk.5の機関室を延長して燃料搭載量を倍増させ、路上航続距離を従来の60マイルから118マイルに大幅に延伸したものである。
また、主砲の20ポンド戦車砲に排煙機が装着されると共に、車長用キューポラに対空用の7.62mm機関銃M1919A4が新設されている。
Mk.7/1は増加装甲板を装着した装甲強化型、Mk.7/2は主砲を105mm戦車砲L7A1に換装している。
1956〜59年にかけて108両生産されたセンチュリオンMk.8戦車は、Mk.7のエンジンを改良型のミーティアMk.IVCに換装し、新型車長用キューポラや耐衝撃強化砲耳防盾を採用した型である。
生産中にアクティブ赤外線暗視装置を追加したMk.8/1、主砲を105mm戦車砲L7A1に換装したMk.8/2に発展した。
センチュリオンMk.9戦車は、Mk.7の装甲を強化し主砲を105mm戦車砲L7A1に換装したもので、1959年に1両のみ生産された。
1960〜62年にかけて155両生産されたセンチュリオンMk.10戦車は、Mk.8の装甲を強化し主砲を105mm戦車砲L7A1に換装したもので、主砲弾の搭載数も70発に増加し、増加燃料タンク(容量863リットル)も装着されている。
生産中にアクティブ赤外線暗視装置を追加したMk.10/1、12.7mm標定銃L21A1を新設したMk.10/2に発展した。
1964年に登場したセンチュリオンMk.11戦車は、Mk.6にアクティブ赤外線暗視装置と12.7mm標定銃L21A1の装備を行った改修型である。
1968年に登場したセンチュリオンMk.12戦車は、Mk.9にアクティブ赤外線暗視装置と12.7mm標定銃L21A1の装備を行った改修型である。
1973年に登場したセンチュリオンMk.13戦車は、Mk.10にアクティブ赤外線暗視装置と12.7mm標定銃L21A1の装備を行った改修型である。
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<センチュリオンMk.3戦車>
全長: 9.83m
車体長: 7.544m
全幅: 3.378m
全高: 2.94m
全備重量: 50.79t
乗員: 4名
エンジン: ロールズ・ロイス ミーティアMk.IVB 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/2,550rpm
最大速度: 34.6km/h
航続距離: 97km
武装: 66.7口径20ポンドライフル砲Mk.II×1 (65発)
7.92mmベサ機関銃×1 (3,600発)
装甲厚: 17〜152mm
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<センチュリオンMk.5戦車>
全長: 9.83m
車体長: 7.544m
全幅: 3.378m
全高: 2.94m
全備重量: 50.79t
乗員: 4名
エンジン: ロールズ・ロイス ミーティアMk.IVB 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/2,550rpm
最大速度: 34.6km/h
航続距離: 97km
武装: 66.7口径20ポンドライフル砲Mk.II×1 (65発)
7.62mm機関銃M1919A4×1 (4,250発)
装甲厚: 17〜152mm
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<センチュリオンMk.13戦車>
全長: 9.854m
車体長: 7.823m
全幅: 3.39m
全高: 3.009m
全備重量: 51.82t
乗員: 4名
エンジン: ロールズ・ロイス ミーティアMk.IVC 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/2,550rpm
最大速度: 34.6km/h
航続距離: 190km
武装: 51口径105mmライフル砲L7A1×1 (64発)
12.7mm標定銃L21A1×1 (600発)
7.62mm機関銃M1919A4×1 (4,750発)
装甲厚: 17〜152mm
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兵器諸元(センチュリオンMk.5戦車)
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<参考文献>
・「グランドパワー2006年7月号 センチュリオン戦車(1)
開発と基本構造」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2006年8月号 センチュリオン戦車(2)
改修過程と各型の特徴」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(2)
第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版
・「パンツァー2007年4月号 センチュリオンの発展とショトへの変身」 竹内修/白石光 共著 アルゴノート社
・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著 アルゴノート社
・「パンツァー2012年5月号 20ポンド砲を装備したセンチュリオン戦車」 大竹勝美 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年8月号 センチュリオン戦車の開発・構造・発展」 古是三春 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年12月号 各国で使われたセンチュリオン戦車」 城島健二 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年12月号 センチュリオンとそのファミリー車輌」 真出好一 著 アルゴノート社
・「パンツァー2012年7月号 105mm砲搭載のセンチュリオン戦車」 古是三春 著 アルゴノート社
・「パンツァー2014年2月号 朝鮮戦争のセンチュリオン戦車」 松井史衛 著 アルゴノート社
・「世界のAFV
2011〜2012」 アルゴノート社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「徹底解剖!世界の最強戦闘車両」 洋泉社
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
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