+概要
1926年、チャーツィーのカーデン・ロイド・トラクターズ社(CLT社)は1名用豆戦車の限界に気付き、新たに2名用豆戦車の製作に着手した。
これは、1名用豆戦車では操縦手が車両の操縦と武装の射撃を一人でこなさなければならないため、戦闘力に限界があったためで、戦闘力を向上させるには乗員を2名に増やして操縦と射撃を分担させる必要があると考えたのである。
CLT社が最初に開発した2名用豆戦車は、2名の乗員を収容するために従来の1名用豆戦車に比べて幅が拡げられ、被発見性と被弾確率を考慮して高さが低く抑えられた新型車体を持ち、履帯とサスペンションはカーデン・ロイドMk.I豆戦車のものを引き継いでいた。
武装は、従来の1名用豆戦車と同じく7.7mmオチキスM1909空冷軽機関銃を1挺装備していた。
戦闘室の前面には機関銃3挺分のスリットを設けた防盾が装着されていたので、同時に複数の機関銃を装備することも考慮されていたようである。
なお、どういうわけかCLT社はこの車両に対して何の呼称も与えなかった。
しかしイギリス陸軍の試験に供されるにあたって、本車は2名の乗員が並んで乗車することから将兵たちに「ハネムーン・タンク」(Honeymoon Tank:新婚旅行用戦車)というあだ名を付けられた。
続いて製作された2名用豆戦車の2番目の試作車は、装甲防御力の強化された6角形の戦闘室を持ち、カーデン・ロイドMk.II豆戦車と同一の片側4個の中直径転輪を持つサスペンションを備えていた。
なお、このサスペンションは後に改良されて、ガーターフレームに挟まれた片側5個の上部支持輪が取り付けられるようになった。
武装は、戦闘室内右側に位置する車長兼銃手の前方に銃架を設けて、12.7mmヴィッカーズ液冷重機関銃が1挺装備された。
この車両は、「カーデン・ロイドMk.IV」と名付けられた。
カーデン・ロイドMk.IV豆戦車は試作車しか製作されなかったが、イギリス陸軍による試験に供されてその性能は高く評価された。
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