+概要
第1次世界大戦後のイギリス陸軍は、大型で複雑高価な重戦車/中戦車の研究を進める一方で、先の大戦で注目された、機関銃と装軌式装甲車を組み合わせた小型軽量安価な装甲車両の研究も行っていた。
基本は乗員2〜3名、武装は機関銃1挺のみである。
そうした中、イギリス陸軍少佐のジファード・L・Q・マーテル卿は個人的に自宅ガレージで、自動車部品などの様々な廃品から1名用の半装軌式の豆戦車(Tankette)を作り上げた。
この豆戦車は中古のマクスウェル社製乗用車のエンジンや、アメリカのフォード自動車製トラックの車軸などを流用したもので、特別に作られたのはロードレス・トラクション社による履帯だけだった。
1925年にイギリス陸軍関係者にお披露目されたこの1名用豆戦車は、歩兵を機械化する手段として注目を浴び大いに反響を呼んだため、イギリス戦争省はマーテル卿にその改良型の製作を求めた。
改良型であるモリス・マーテル豆戦車はマーテル卿とカウリーのモリス自動車の手で開発が行われ、1926年3月に最初の車両が完成した。
モリス・マーテル豆戦車は2tあまりの車体に出力16hpのモリス社製エンジンを搭載した車両で、4両が製作されたがこの内3両が1名用、1両が2名用であった。
1名用のタイプは、操縦と射撃を同時に行うことができない点が問題となって後に放棄されることとなる。
戦争省はイギリス陸軍の実験機械化部隊に偵察車両として配備するため、2名用のモリス・マーテル豆戦車8両の製作を1927年にモリス社に発注した。
こうした流れの一方で、予備士官の技術者ジョン・V・カーデン卿とヴィヴィアン・G・ロイドがチャーツィーで創業した小さな車両メーカー「カーデン・ロイド・トラクターズ社」(CLT社)が、自社資金で開発した装軌式の豆戦車を1925年に戦争省に提案してきた。
彼らはマーテル卿の豆戦車が評判となっていることに目を付け、同様の車両を製作してイギリス陸軍に売り込むことを目論んだのである。
CLT社の豆戦車は安価な装軌式車両としてまとめることを企図して開発されており、ケンジントンで戦争省の面々に披露された。
この車両は1名用で、箱型の車体を持っていた。
操縦手は車体前部に位置し、エンジンは車体後部に配置されていた。
装甲は部分的なもので、操縦手の頭と肩は車体装甲板の上に露出していた。
エンジンには当時多数生産されており安価に入手・整備が可能であった、フォード自動車製の4輪乗用車フォード・モデルTの直列4気筒液冷ガソリン・エンジン(出力14hp)を採用していた。
足周りは片側14個の小直径転輪で構成され、コイル・スプリング(螺旋ばね)に支えられたガーターフレームに固定されていた。
CLT社の豆戦車はマーテル卿の豆戦車より製造コストが安かったため戦争省は好印象を抱き、同社に改良型試作車の製作を発注した。
これに応じてCLT社が製作した改良型試作車は最初の試作車とほぼ同様のものであったが、車体上に操縦手の前面と側面を囲う銃塔型の防盾が追加されており、武装としてフランス製の8mmオチキスM1909軽機関銃のイギリス仕様である、7.7mmオチキスMk.I*軽機関銃を1挺装備していた。
この改良型試作車は、「カーデン・ロイドMk.I」と命名された。
またこのカーデン・ロイドMk.I豆戦車の改造型として、カーデン・ロイドMk.I*豆戦車が製作された。
この車両は当時あちこちで試作されていた装輪/装軌両用型の豆戦車で、カーデン・ロイドMk.I豆戦車の履帯の両側にチューブ入りのタイヤを各1個ずつ取り付け、後部に小さな操舵輪1個を備えていた。
タイヤは昇降式で、装輪走行時には前部の起動輪と繋いだチェインでタイヤを駆動した。
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