+概要
再軍備計画が急速に進められつつあった1934年の後半にドイツ陸軍兵器局第6課は、乗員に対する強固な装甲を備えた対戦車砲の自走化に関する研究に着手した。
そして基本仕様をまとめて、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社との間に対戦車自走砲の開発と試作車1両の製作に関する契約が結ばれた。
その時期は不明だが、この発注にわずかに遅れて試作車2両が追加発注されている。
兵器局第6課は路外機動性をある程度犠牲にしても高速性を求めたことで、対戦車自走砲のシャシーには5tハーフトラックBN l 5のものを流用することが指定され、併せてベルリン・オーバーシャイネヴァイデのビューシンクNAG社に対して、BN
l 5のシャシー3両が製作発注された。
完成したシャシーはラインメタル社に送られて対戦車自走砲への改造に供されたが、このシャシーはオリジナルのBN l 5のものとは各部が異なっていた。
このシャシーはラインメタル社により作成された基本設計に従い、ビューシンクNAG社の手で全長が延長され、転輪数をオリジナルの片側4個から5個に増やしたのに加え、前輪車軸はさらに前方に移された。
このことから続く車体延長型BN l 8のコンポーネントが用いられたと考えられそうだが、写真を見れば分かるように外側の転輪はオリジナルのままだが、内側転輪は専用型が用いられているのでBN
l 8とは別物である。
また写真では分からないが、装甲ボディと対戦車砲の搭載のため戦闘重量の増加は避けられず、その対処としてシャシー各部には補強が加えられ、サスペンション方式はオリジナルのリーフ・スプリング(板ばね)からトーションバー(捩り棒)に変更されていた。
さらに、オリジナルでは車体前部に配していたエンジンを車体後部に移したことも大きな変化で、これらに伴い車体呼称は「BN l 6(H)」が与えられた。
接尾記号の「H」はドイツ語で「後部」を意味する「Hintern」の頭文字を採っており、エンジンが車体後部に移されたことを表している。
またこのBN l 6(H)シャシー開発のノウハウが、後に登場した車体延長型BN l 9に活かされたことは想像に難くない。
そしてBN l 6(H)の存在が、5tハーフトラックの生産型にBN l 6が存在しない理由でもある。
車体後部に位置を改めたBN l 6(H)の機関室の写真は残されていないようだが、後方左右に長方形の吸気口を備え、その周囲に間隔を設ける形で装甲カバーが装着された。
また排気は車台と機関室の間に空間を設け、ここから左右の排気管を車外に出し、併せて機関室内の熱気も逃がされた。
装甲ボディはラインメタル社で製作され、その装甲厚は車体と操縦室の前面が20mm、それ以外は8mmとされ、車体上面には同社で開発された40.8口径長の7.5cm対戦車砲を備える、全周旋回式で12角形のオープントップ式砲塔が搭載された。
砲塔の装甲厚は車体と同じで前面20mm、側/後面8mmと強固とはいえないが、小銃弾や弾片などには充分耐えられた。
主砲の俯仰角は−9〜+20度で車体前部の左側に操縦手が位置し、右側には無線手が配された。
また砲塔内には、車長兼装填手と砲手の2名が位置していた。
BN l 6(H)の試作弟1号車は1934年末には完成し、翌35年初めにはさらに2両の試作車が完成した。
諸元表によると、BN l 6(H)の戦闘重量は6.08tとオリジナルのBN l 5とほとんど変わらないが、車体延長によりバランスが向上したのか、整地での最大速度はBN
l 5の50km/hから60km/hに増大していた。
続く試作弟2号車は第1号車と同仕様だったが、試作弟3号車はさらにシャシーが延長されて転輪数が片側6個に増え、車体と砲塔の形状が一新されてさらなる全高の低下が図られた。
この変化に伴い、試作弟1号車と第2号車は「1型対戦車自走砲」、試作第3号車は「2型対戦車自走砲」の呼称が与えられ、さらに第3号車は「BN l
10(H)」の型式呼称が用意されている。
なお写真から分かるように、BN l 10(H)の内側転輪は他に例を見ない独自の形状のものが用いられていた。
これら3両の試作車のシャシーには2006〜2008の製造番号が与えられているが、確かにこの製造番号は5tハーフトラックの生産型には無い独自のものである。
完成した3両の試作車はドイツ陸軍に引き渡されて試験に供されたが、その結果は芳しくなかったようで結局量産には至らずに終わった。
|