+概要
132mmロケット弾M-13を用いるBM-13-16、82mmロケット弾M-8を用いるBM-8シリーズなどの自走多連装ロケット・システムが1941年後半から実戦に投入され、大きな成功を収めると、ソ連軍はより弾頭威力の大きなロケット弾の開発を進めた。
そして早くも1942年6月、チェリャビンスクのコンプレッサー工場設計局(主任技師V.A.ルドニツキー)は口径300mm、発射重量72kgに達する地上設置式のロケット弾M-30を実用化した。
そして、同年後半からスターリングラード戦線等で実戦に投入され始め、大きな威力を発揮した。
M-30ロケット弾は先端に卵型弾頭を持ち、その中にはM-13ロケット弾の6.3倍にあたる28.9kgもの炸薬が充填されていた。
その代わり射程は2.8km程度と、M-13ロケット弾の1/3程度まで落ちてしまった。
M-30ロケット弾は木製フレームに収められたまま、必要な数だけ地表に射角をつけて設置され、電気発火で発射されるもので、発射準備は簡単でその秘匿も容易であった。
しかも着弾時の炸裂威力は凄まじく、スターリングラード戦では一斉射で、ドイツ軍の1個歩兵大隊を完全に吹き飛ばしてしまった逸話もある。
1943年夏のクールスク戦以降ソ連側の反攻が本格化してくると、地上設置式のM-30ロケット弾をBM-13-16等のようにトラック車台に搭載し、迅速に火力発揮点への展開や移動が行えるようにすることが要望されるようになった。
そこで1943年末に300mmロケット弾用自走発射機の開発が発注され、翌44年4〜5月に試作車が試験を受けた。
300mmロケット弾用の発射機は、当初は木製フレームごとロケット弾を載せる6連装タイプが試作されたが、後にL型鋼材とパイプを組み合わせた12連装式が作られた。
この12連装発射機は、3列2段の6連装発射機を左右に2つ並べた形式であった。
車台には国産のZIS-6 6輪貨物トラックか、アメリカから供与されたスチュードベイカーUS6 6輪貨物トラックが用いられた。
自走発射機に搭載する300mmロケット弾は、1943年に開発されたM-30ロケット弾の改良型であるM-31ロケット弾(全長1.76m、発射重量94.6kg)が用いられた。
このM-31ロケット弾は、M-30ロケット弾と同一の弾頭威力を保持したまま射程は4.25kmまで延伸されていた。
この自走多連装ロケット・システムは試験後すぐに「BM-31-12」としてソ連軍に制式採用され、1944年後半より主にドイツ本土に侵攻する予定の各方面軍に配備された。
BM-31-12自走多連装ロケット・システムを用いて重ロケット砲中隊、大隊、連隊などが編制されたが、重ロケット砲大隊は48両のBM-31-12を装備していた。
BM-31-12の生産数は今のところ不明であるが、1945年5月1日の時点で1,047両がソ連軍に在籍していた。
また本システムで用いるM-31ロケット弾は、M-30ロケット弾と合わせて1942〜45年の4年間で1,401,300発が製造されたという。
BM-31-12は独ソ戦末期の記録フィルムによく登場しており、ポーランドの各都市やキュストリン、ベルリンのドイツ本土都市における市街戦に投入されたことが確認できる。
なおBM-13-16やBM-8シリーズが、前線のソ連軍兵士たちから女性名の「カチューシャ」の愛称で呼ばれたのに対し、このBM-31-12はそのロケット弾の巨大さから、男性名の「バニューシャ」の愛称で呼ばれていたという。
またBM-31-12は戦後も1950年代まで生産が継続され、1960年代までソ連軍に在籍していた模様である。
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