+概要
北アフリカ戦線でドイツ軍自走砲が、歩兵支援兵器として成功していることに着目したイギリス第8軍団司令部は、同種車両の導入をイギリス本国に要求した。
この要求は、既存戦車の車体に25ポンド榴弾砲を搭載するという形で受け入れられ、BRC&W社(Birmingham Railway Carriage
and Wagon:バーミンガム客車・貨車製作所)に対し、ヴァレンタイン歩兵戦車の車体を流用した試作車が1941年6月に発注され、同年8月には実用試験が実施された。
この車両は、砲塔を取り外したヴァレンタイン歩兵戦車の車体上部に、8mm厚の装甲板を箱型に溶接して完全密閉式の固定戦闘室を設け、牽引式の25ポンド榴弾砲を砲架ごと搭載するという単純な構造であった。
主砲として搭載された25ポンド榴弾砲は、王立造兵廠が開発し1939年にイギリス陸軍に採用された口径87.6mmの軽榴弾砲で、第2次世界大戦を通じてイギリス陸軍野戦砲の主力として活躍したものである。
砲身は28口径長、榴弾の重量25ポンド(11.34kg)、最大射程は12,250mとなっていた。
実用試験の結果、本車は「ビショップ」(Bishop:司教)の呼称で制式化されて1941年11月から生産が開始され、最初に100両、続いて200両の合計300両の発注が行われた。
生産されたビショップ自走榴弾砲は第8軍団に引き渡され、北アフリカで実戦に投入されたが、実用化を急いだためかその評価は低かった。
ビショップ自走榴弾砲で問題とされたのは、以下のような点であった。
・戦闘室がドイツ軍の自走砲のようにオープントップ式ではなく完全密閉式だったため、乗員に対する防御力に優
れていた反面、狭い空間で砲を操作しなければならないため砲の操作性が悪かった点
・射撃時に後座した砲尾が戦闘室の床に干渉しないように、主砲の仰角が+15度までに制限されていたため、最
大射程が牽引式25ポンド榴弾砲の半分程度の5,825mに過ぎず、左右の旋回角も4度ずつしかなかった点
・搭載弾薬数が32発と少なく、実戦では弾薬運搬トレイラーを牽引する必要すらあった点
・15マイル(24.14km)/hの路上最大速度が、クォード砲牽引車と牽引式25ポンド榴弾砲のコンビより遅いといわれ
ていた点
仰角が大きく取れないせいで主砲の射程が短くなってしまう欠点を補うため、イギリス陸軍は地面に作った傾斜路の上にビショップ自走榴弾砲の車体を乗り上げ、車体を斜めにすることで無理やり仰角を増やして主砲の射程を延長する戦術を用いたが、これも旋回角が狭過ぎるために、目標が移動すると別の傾斜路に車両を移動しなければ射界に入れることができず、目標に追随するのが困難であった。
このため1942年3月、アメリカに派遣されていたイギリスの戦車調査委員会が、最大射程11,160mの22.5口径105mm榴弾砲M2を搭載するなど優れた性能を持つ、アメリカ製のM7自走榴弾砲の導入を決定したことにより、ビショップ自走榴弾砲の生産は150両で打ち切られた。
ビショップ自走榴弾砲は、1942年7月にM7自走榴弾砲が実戦配備されるようになるまでは、イギリス陸軍唯一の自走砲として使用されていたが、以後は主として乗員の訓練用に用いられ、1943年7月に行われたシチリア島上陸作戦を最後に実戦から退いた。
なおビショップ自走榴弾砲の後継として、ラム巡航戦車をベースにしたセクストン自走榴弾砲が1943年に開発されたが、この車両は戦闘室をオープントップにして、25ポンド榴弾砲の仰角を大きく取れるように改善されていた。
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