+概要
1943年3月4日付で、エッセンのクルップ社はドイツ陸軍兵器局第6課に対して、後方装填式の30.5cm臼砲を搭載する新型自走砲の開発を提案した。
5月10日には基本概念図面がまとめられ、御丁寧なことに「ベーア」(Bär:熊)の呼称まで添えられていた。
ベーアの車内レイアウトは前方から順に操縦室、機関室、戦闘区画とされ、戦闘区画の上部には主砲を搭載した密閉式の戦闘室が設けられていた。
この戦闘室は一見すると砲塔のように見えるが実際は固定式で、主砲の俯仰角は0~+70度、旋回角は左右各2度ずつとなっていた。
ベーアの主砲はクルップ社が新たに開発した16口径30.5cm臼砲で、砲と砲架を含めた重量は16.5tに達し、2種類の砲弾を発射した。
この砲弾は重量350kg(推進薬50kg)で砲口初速355m/秒、最大射程10.5kmの榴弾と、重量380kg(推進薬35kg)で砲口初速345m/秒、最大射程10kmのコンクリート破砕弾で、どちらも車内に10発しか収容できなかった。
また、砲身の後座量は1mにも達するといわれていた。
ベーアの主砲は、ドイツ陸軍の主力臼砲であるクルップ社製の29口径21cm臼砲Mrs18に比べると射程は短かったが、口径が大きい分破壊力は絶大であった。
副武装としては、車体前面上部右側にボールマウント式銃架を介して、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34を1挺装備していた。
乗員は車長、砲手、操縦手、無線手兼機関銃手、装填手2名の合計6名で構成されていた。
ベーアは火力支援用の自走砲としては非常に強力な装甲を備えており、装甲厚は車体が前面上部130mm、前面下部100mm、側/後面80mm、上面50mm、下面前部60mm、下面後部30mm、戦闘室が前面130mm、側/後面80mm、上面50mmとなっており、15cm上方で炸裂した榴弾の弾片に対する耐弾性を備えていた。
機関系などのコンポーネントはパンター戦車とティーガーII戦車から流用され、エンジンにはフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL230P30
V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力700hp)、変速機にはZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製のAK7-200変速機(前進7段/後進1段)、そして操向機にはカッセルのヘンシェル&ゾーン社製のL801操向機がそれぞれ用いられた。
ベーアのサスペンションはクルップ社の手になるもので、転輪、起動輪、誘導輪はティーガーII戦車のものが流用されたようである。
ティーガーIIと同様に直径80cmのゴム内蔵式鋼製転輪を片側10個、オーバーラップ(挟み込み)式に配置していたが、ティーガーIIのようなトーションバー(捩り棒)ではなく、IV号戦車のようにリーフ・スプリング(板ばね)で懸架していた。
しかし、その具体的な構造については資料が残されていないので不明である。
巨大な主砲を搭載するために車体が大型化され、さらに自走砲としては異例の重装甲を施したベーアの戦闘重量は120tにも達し、このため、接地圧を低減させるために履帯は1mという幅広のものが用いられ、鉄道輸送時には幅50cmの専用履帯へ交換するという、ティーガーI/II戦車と同様の手法が採られたが、それでも接地圧は1.02kg/cm2と大きく、走行する際には20cmほど地面に沈むと試算された。
このため、本車の最大速度は路上でも20km/hに留まる予定で、機動性の悪さが大きな欠点となった。
なおベーアの車体の寸法は全長8.20m、全幅4.10m、全高3.55mで、履帯の接地長は5.90mであった。
その後、ドイツ軍の公式文書にベーアに関する情報は一切記載されていないため、他の多くの計画と同様に机上から出ること無く終わったものと思われる。
本車と同時期に開発された、ティーガーI戦車の車体にデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の5.4口径38cmロケット砲StuM RW61を搭載した突撃砲シュトゥルムティーガーは、量産化されて実戦投入されているので、おそらくベーアよりシュトゥルムティーガーの方が実用性が高いと判断されたため、本車は開発が中止されたものと思われる。
なお一部の資料ではベーアを、同じくクルップ社が開発を進めていた30.5cm自走臼砲グリレ30と混同しているものがあるが、グリレ30の主砲に採用された30.5cm臼砲は、チェコ・プルゼニのシュコダ製作所が大戦末期に開発したもので、ベーアの主砲に採用されたクルップ社製の30.5cm臼砲とは別物である。
また車体についてもグリレ30とベーアはかなり異なっており、両者は別の車両である。
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