ルノーB1重戦車
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B1重戦車
B1bis重戦車
B1ter重戦車
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+B1重戦車
B重戦車開発のきっかけとなったのは、フランス陸軍の研究機関に所属していたJ.E.エスティエンヌ将軍の研究が基となっている。
彼は1919年に発表した「戦闘戦車」構想において、部隊の先陣を切って敵陣に突進し、その強力な火力と防御力によって敵戦車を撃破し、敵の陣地や火点を撃滅して後続の部隊のための突破口を開く役目を担う「戦闘戦車」と呼ばれる車両の必要性を主張した。
そしてフランス陸軍はこの構想に基づき、75mm戦車砲または47mm戦車砲を車体に装備する重量15tクラスの新型戦車「戦闘戦車」の開発計画を1921年にスタートさせた。
この「戦闘戦車」開発のアイデアは、第1次世界大戦時のフランス陸軍の突破戦車であるシュナイダーとサン・シャモンから着想を得ている。
旋回式砲塔ではなく車体に主砲を搭載することにしたのは、製造コストを削減するためであった。
さらに「戦闘戦車」は車体を小型化するため、主砲は上下の俯仰だけできれば良く、左右の照準は車体を動かして行うものとされた。
「戦闘戦車」の開発要求はブローニュ・ビヤンクールのルノー社、ル・クルーゾのシュナイダー社、サン・シャモンのFAMH社(Forges et Aciéries
de la Marine et d'Homécourt:ホームコート造船・製鉄所)、マルセイユのFCM社(Forges et Chantiers
de la Méditerranée:地中海造船・製鉄所)、サン・ドニのドローナ・ベルビュー社の5つの会社に対して出された。
1924年5月には「戦闘戦車」の4両のモックアップが完成して、ARL社(Atelier de Construction de Rueil:リュエイユ工廠)で展示された。
しかし、これらのモックアップでは計画時の重量を大幅に上回ることが確実となり、結局「戦闘戦車」は19tクラスの戦車として開発が進められることとなった。
4両のモックアップの内の2両(SRAとSRB)はルノー社とシュナイダー社が共同提出しており、残る2両はFAMH社とFCM社がそれぞれ1両ずつ提出し、計画時に名乗りを上げたドローナ・ベルビュー社はモックアップの製作以前に開発参加を辞退している。
1925年3月にはモックアップ審査の結果を受けて、エスティエンヌ将軍はSRBをベースとして「戦闘戦車」の開発を進めること、および本車の試作車は3両製作することを決定した。
各社は自由に他社の部品も選んで「戦闘戦車」の開発を進めたが、エスティエンヌ将軍は主砲は75mm戦車砲を装備し、アメリカのホルト製作所製の履帯、FAMH社製のサスペンションを用いることを要求した。
これは、両社でそれぞれの分野の研究が進んでいたからである。
1925年11月にルノー社に対して「戦闘戦車」の木製モックアップの製作が命じられ、1926年初めに完成した。
そして1926年1月には技術試験のために、「戦闘戦車」の試作車を3両製作することが決定された。
併せて、当時再軍備を進めていたドイツに「戦闘戦車」の開発を隠蔽するため、この車両には「トラクター30」という秘匿呼称が与えられることになった。
トラクター30の設計はシュナイダー社でまとめられ、「戦闘戦車」技術部が協力した。
そして3両の試作車はルノー、FCM、FAMHの3社で1両ずつ製作されることになった。
しかし、同じ1926年に「戦闘戦車」に関する構想が見直された。
そこでは歩兵への火力支援が強調され、対戦車任務は二義的なものとされた。
そして、装甲の強化は必要とされなかった。
重量は22tに制限され、路上最大速度は15km/hで良いとされた。
しかし進歩した部分もあり、無線機の装備が必須とされた。
これにより、乗員は無線手が追加されて4名に増やされることになった。
こうした事情もあって、ようやくトラクター30の3両の試作車が製作発注されたのは1927年3月のことであった。
最初の試作車は1929年1月に完成したが、主砲が取り付けられたのは1930年4月のことで、同年9月にフランス陸軍に引き渡された。
なお、FAMH社が製作するはずだった試作車は結局ルノー社が作ることになり、FCM社の試作車に引き続いて引き渡された。
トラクター30の試作車は当初の計画通り、車体前部の操縦手席右横に主武装としてAPX社(Atelier de Construction de Puteaux:ピュトー工廠)製の17.5口径75mm戦車砲SA35を装備していた。
この砲は砲口初速が220m/秒と遅く装甲貫徹力が低かったが、口径が75mmと大きいため榴弾の威力は大きかった。
このため、主に敵の陣地や火点を榴弾で破壊するのに用いられた。
また副武装として、車体前部にMAC社(Manufacture d'armes de Châtellerault:シャテルロー造兵廠)製の7.5mm機関銃M1931を2挺固定装備しており、車体上面中央部に搭載された鋳造製の1名用砲塔にも7.5mm機関銃M1931を2挺装備していた。
これだけ機関銃を多数装備した理由は敵歩兵の制圧を重視したためで、この時点では対戦車戦闘はあまり考慮されていなかったことが分かる。
車体は圧延防弾鋼板のリベット接合構造で最大装甲厚は25mm、重量は25tに達していた。
乗員は車長、操縦手、装填手、無線手の4名で、車内レイアウトは車体前部が乗員が搭乗する戦闘室、車体後部がエンジンや変速・操向機を収めた機関室となっていた。
エンジンはルノー社製の直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力180hp)を搭載し、路上最大速度は28km/hを発揮できた。
なお本車は走行中でも点検が可能なように独特のエンジン配置をしており、機関室と戦闘室は耐火処理を施した隔壁で仕切られていた。
燃料タンクには内部にゴムが仕込まれており、被弾の際に開いた穴を自動的に塞ぐようになっていた。
サスペンションはホルト製作所製の装軌式牽引車ホルト・トラクターのものを、FCM社が独自に改良したものを採用しており全体が装甲カバーで覆われていた。
このサスペンションは、リーフ・スプリングとコイル・スプリングをバンパー・パッドを介し、垂直に結合したものであった。
ソールプレートの付いた大型の履帯は車内から張度の調整が可能で、起動輪は後部に位置していた。
トラクター30の最初の試作車はブールジュに送られて試験が繰り返され、1931年10月には3両の試作車全てがムーメロー試験場に送られて部隊試験が開始されている。
4年に渡る長期間の試験を経て、トラクター30は1934年5月にようやく「ルノーB戦車」(Renault Char B)としてフランス陸軍に制式採用され、同年7月に第1生産ロットとしてルノー社に7両が発注された。
ちなみに「B」は、フランス語で「戦闘」を意味する「バタュ」(Bataille)の頭文字を採ったものである。
B重戦車の生産は1935年12月に開始され、1937年7月にB1bis重戦車に生産が切り換えられるまでに35両が完成している。
B重戦車の生産型では最大装甲厚が40mmに強化された他、砲塔がAPX社製のAPX-1鋳造砲塔に変更され、砲塔の武装も7.5mm機関銃M1931
2挺に代えて、APX社製の27.6口径47mm戦車砲SA34 1門と7.5mm機関銃M1931 1挺を防盾に同軸装備していた。
砲塔に47mm戦車砲を装備したのは、本車に対戦車戦闘能力を持たせるためである。
なお砲塔の機関銃は47mm戦車砲と同軸でも、リンクを解いて独立して射撃することも可能であった。
ただし砲塔は相変わらず1名用だったため、車長が視察・指揮と47mm戦車砲の装填・射撃の両方をこなさなければならず、ドイツ軍戦車のように車長が視察・指揮に専念することができないという欠点があった。
またB重戦車の生産型ではエンジン出力が250hpに強化された他、操向機に「ナーダー」と呼ばれる油圧装置を組み込んだ二重差動歯車を取り付けて、自在に旋回できるようにしたため、主砲の75mm戦車砲SA35は容易に照準を合わせることが可能となった。
しかし主砲が車体に固定装備されているため、左右の照準は操縦手が付けねばならない点は改善されておらず、操縦手の負担が非常に大きく主砲の命中率も低くなってしまった。
この点も旋回式砲塔に主砲を装備し、専門の砲手が主砲を操作するドイツ軍戦車に比べて本車が劣っている部分であった。
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+B1bis重戦車
1930年10月、フランス陸軍当局は新たな重戦車に対する研究を開始している。
ベースとなったのは開発途中であったB重戦車で、この新型重戦車を「B2」と呼んだため従来のB重戦車は「B1」と呼ばれることになった。
B2重戦車には新型のAPX-4鋳造砲塔が採用され、武装の47mm戦車砲もより長砲身のものが搭載された。
その後B3、BBという新型重戦車の開発も進められたが、B2重戦車以降の開発は後に軍縮会議の方針で放棄されている。
B2重戦車の登場で旧式化してしまうB1重戦車の延命策として、B1重戦車の改良型が「B1bis」(bisはフランス語で「再び、二度目」という意味)の呼称で1937年から生産されることになった。
B1bis重戦車の車体構造は基本的にB1重戦車と同じであったが、最大装甲厚が60mmに強化されており、エンジンも出力307hpのルノー社製航空機用ガソリン・エンジンに換装されていた。
また後期生産車はARL社、またはFCM社の設計した予備燃料タンクを搭載して航続距離を増やしている。
B1bis重戦車の各部の装甲厚は車体が前/側面60mm、後面55mm、上面25mm、下面20mm、砲塔が前面56mm、側/後面46mm、上面30mmとなっていた。
B1bis重戦車の砲塔は従来のAPX-1から、B2重戦車に搭載する予定だった新型のAPX-4に変更され、武装も長砲身の32口径47mm戦車砲SA35に換装されている。
この砲は砲口初速450m/秒、射距離500mで58mm、1,000mで43mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能で、ドイツ軍のIII号戦車が装備する42口径5cm戦車砲KwKに匹敵する威力を備えていた。
B1およびB1bis重戦車の生産はルノー、シュナイダー、FCM、FAMHの4社が担当し、1939年からはAMX社(Atelier de Construction
d'Issy-les-Moulineaux:イシー・レ・ムリノー工廠)もB1bis重戦車の生産に加わった。
B1bis重戦車の生産はドイツ軍のフランス侵攻が開始された1940年5月以降も続行され、同年6月25日までに365両が完成し主に機甲師団へ配属されている。
合計で403両(試作車3両を含む)が完成したB1/B1bis重戦車の生産内訳はルノー社が182両、シュナイダー社が32両、FCM社が72両、FAMH社が70両、AMX社が47両となっている。
面白いのは、フランス陸軍の戦車は生産工場で迷彩塗装を行うことになっており、各社でそのパターンが異なっていたことである。
ルノー社製の車両は黒の縁取り付きのダークグリーン、ダークイエロー、レッドブラウンの3色の雲形パターンの迷彩、シュナイダー社製の車両はダークグリーン地にレッドブラウンの雲形パターンの迷彩、FCM社およびFAMH社製の車両はダークグリーン地にダークイエローの太い横縞のパターンの迷彩で、FCM社製の車両の中にはドイツ軍の3色迷彩に似たものもあった。
AMX社製の車両は、ダークイエローの面積の大きなダークグリーンとの2色迷彩であった。
B1bis重戦車は最大装甲厚が60mmと強力で、当時のドイツ軍の主力対戦車砲だったラインメタル・ボルジヒ社製の45口径3.7cm対戦車砲PaK36の徹甲弾を軽く跳ね返す実力があったが、車体側面に機関室の吸排気用のルーヴァーを配置するなどの防御上の弱点があった他、相変わらず砲塔が1名用だったため車長が47mm戦車砲の装填・射撃と、視察・指揮を兼任しなければならず戦術的能力が低かった。
そのためB1bis重戦車はその強そうな外見とは裏腹に、あまり目立った活躍をすることはできなかったが、幾つかの反撃作戦ではドイツ軍に大きな損害を与え、慌てたドイツ軍が8.8cm高射砲を引っ張り出してやっと撃破したようなエピソードもある。
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+B1ter重戦車
1935年からB1重戦車の試作第1号車を基に、B1bis重戦車の進化型の予備研究が開始された。
「B1ter」(terはフランス語で「三度目」という意味)と名付けられたこの重戦車は最大装甲厚を70mm(75mmとも)まで強化し、当初は400hpの出力を発揮するルノー社製のV型12気筒液冷ガソリン・エンジンを搭載する予定だったが、実際に試作車に搭載されたのはB1bis重戦車に使用された、ルノー社製の航空機用直列6気筒液冷ガソリン・エンジンを350hpにパワーアップしたものだった。
車体前部右側に搭載された主武装の75mm戦車砲SA35は、マウントを改良することで従来の固定式から左右各5度ずつの限定旋回式となり、操縦手の負担が減って主砲の命中率も向上した。
また、主砲が限定旋回式となったことで操向機に複雑なナーダーを設けなくても良くなったため、本車の製造コストを抑えることに成功した。
さらに、操向機の占有スペースが小さくなったことで戦闘室のスペースを広く確保できるようになったため、乗員が従来の4名から5名に増やされた。
ただし、ドイツ軍戦車のように砲塔の乗員を増やして車長を視察・指揮に専念させようというのではなく、新しい5番目の乗員は機械整備員だったというから、戦術的能力の改善に繋がったかは疑問である。
履帯は鋳鋼製のフェンダーで覆われ、側面装甲には避弾経始を考慮して傾斜が付けられた。
B1ter重戦車の試作車は、1937年にサトリでダラディエ国防大臣の視察に供せられた。
本車はB1bis重戦車を代替すべく1940年夏より大量生産することが予定されたが、同年5月にドイツ軍のフランス侵攻が開始されたため、結局2両(5両とも)が製作されたに留まった。
1940年6月22日のフランス降伏後、ドイツ軍は接収したB1重戦車シリーズに「B2(f)戦車 識別番号740(f)」の鹵獲兵器呼称を与えた。
B1重戦車シリーズはフランス陸軍の戦車の中では強力な部類に入るものだったが、砲塔が1名用で車長が視察・指揮に専念できないことや機動性が低いことが嫌気され、ドイツ軍の戦車部隊に配備されたものはごく一部で、多くは予備装備として保管されるか訓練に用いられた。
また接収されたB1重戦車シリーズの内60両は、B2(f)火焔放射戦車に改造されている。
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<B1重戦車>
全長: 6.376m
全幅: 2.49m
全高: 2.807m
全備重量: 28.0t
乗員: 4名
エンジン: ルノー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 250hp
最大速度: 27.6km/h
航続距離: 150km
武装: 17.5口径75mm戦車砲SA35×1 (80発)
27.6口径47mm戦車砲SA34×1 (50発)
7.5mm機関銃M1931×2 (4,800発)
装甲厚: 20~40mm
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<B1bis重戦車>
全長: 6.383m
全幅: 2.494m
全高: 2.795m
全備重量: 31.5t
乗員: 4名
エンジン: ルノー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 307hp
最大速度: 27.6km/h
航続距離: 150km
武装: 17.5口径75mm戦車砲SA35×1 (74発)
32口径47mm戦車砲SA35×1 (72発)
7.5mm機関銃M1931×2 (5,250発)
装甲厚: 20~60mm
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<B1ter重戦車>
全長: 6.34m
全幅: 2.725m
全高: 2.896m
全備重量: 36.6t
乗員: 5名
エンジン: ルノー 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 350hp
最大速度: 26.5km/h
航続距離: 150km
武装: 17.5口径75mm戦車砲SA35×1 (74発)
32口径47mm戦車砲SA35×1 (72発)
7.5mm機関銃M1931×1 (2,550発)
装甲厚: 20~70mm
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兵器諸元(ルノーB1重戦車)
兵器諸元(ルノーB1bis重戦車)
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<参考文献>
・「パンツァー2016年10月号 ドイツ軍によって使われるフランス戦車」 馬庭源士 著 アルゴノート社
・「パンツァー2006年10月号 M3中戦車 vs シャールB1戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年1月号 1940年におけるフランス戦車」 古是三春 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年3月号 ドイツ軍が使用した捕獲車輌」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2001年4月号 大戦初期のフランス戦車」 斎木伸生 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年11月号 大戦間のフランス戦車」 平田辰 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2007年3月号 ドイツ軍で使用されたシャールB1bis」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2007年2月号 フランス軍重戦車
シャールB」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年12月号 ドイツ軍捕獲戦闘車輌」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1)
第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「世界の戦車
1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画 ・「WWII イギリス・フランス・イタリア・フィンランド・ハンガリーの戦車」 イカロス出版
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「徹底解剖!世界の最強戦闘車両」 洋泉社
・「戦車名鑑
1939~45」 コーエー
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