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+概要
アージュン戦車は、インド陸軍が1960年代後半に戦力化したヴィジャヤンタ戦車(イギリス製のヴィッカーズMk.1戦車のライセンス生産型)を更新する目的で、1970年代の前半に初の国産MBTとして開発に着手したものである。
インド陸軍が、「DRDO」(Defence Research and Development Organization:防衛研究・開発機構)に本車の開発要求を出したのは1972年で、1974年からDRDOの研究所の1つである、「CVRDE」(Combat Vehicle Research and Development Establishment:戦闘車両研究・開発局)において開発作業が開始された。
インド陸軍がDRDOに提示した新型国産MBTの要求仕様では、55t級の戦闘重量、120mm級の主砲、複合装甲と出力1,500hp級のガスタービン・エンジンの導入が計画されていた。
しかし、これらは当時のインドの国内技術力では実現不可能だったため開発は暗礁に乗り上げ、やむを得ず1980年代になって、ドイツやイギリスなど海外のメーカーの技術協力を受けることになった。
複合装甲を含む車体と動力装置については、クラウス・マッファイ社、MTU社、レンク社、ディール社等のドイツのメーカーが開発に協力した。
このためアージュン戦車は、外観がドイツのレオパルト2戦車に良く似たものとなっている。
操縦手席はレオパルト2戦車と同じく車体前部右側にあり、前部左側は主砲弾薬の搭載スペースとなっている。
車体中央部は戦闘室となっており、レオパルト2戦車に非常に良く似た、角張った全周旋回式砲塔が搭載されている。
砲塔内の乗員配置もレオパルト2戦車と同様で、右側前方に砲手、その後方に車長が搭乗し、反対の左側には装填手が搭乗する。
砲塔の旋回と主砲の俯仰は、全て電動となっている。
一方、主砲とその弾薬にはイギリスの120mm戦車砲の技術が導入されたため、アージュン戦車の主砲はレオパルト2戦車のような滑腔砲ではなく、イギリスのチャレンジャー1戦車と同じ、王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲となっている。
主砲の俯仰角は−10〜+20度で水平・垂直の2軸が安定化されており、主砲弾薬は砲塔後部のバスルと車体に合計39発を搭載する。
使用する弾種はAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)、HE(榴弾)、HEAT(対戦車榴弾)、HESH(粘着榴弾)の他、イスラエル製の「LAHAT」(Laser
Homing Anti-Tank(レーザー誘導対戦車)の略語と、ヘブライ語で「雷」を意味する単語を掛けた呼称)対戦車ミサイルも発射可能である。
FCS(射撃統制装置)はレーザー測遠機、弾道コンピューター、熱線映像装置、安定化型展望式サイト等から成る、国産のものが搭載されている。
副武装は、主砲と同軸に旧ソ連製の7.62mm機関銃PKTを1挺、砲塔上面に対空用の12.7mm重機関銃NSVTを1挺装備している。
装甲には、「DMRL」(Defence Metallurgical Research Laboratory:防衛冶金研究所)で開発された、「カンチャン・アーマー」と呼ばれる国産の複合装甲が採用されている。
ちなみに「カンチャン」(Kanchan)はDMRLの所在地の地名で、ヒンディー語で「金」を意味する。
車体後部の機関室に搭載するエンジンについては当初、出力1,500hpのガスタービン・エンジンを国内開発することになっていたが途中で破棄され、次にV型12気筒空冷の可変圧縮比ディーゼル・エンジンを国内開発することが計画されたが、これも予定出力を大幅に下回った。
結局エンジンの国内開発は断念され、最終的に、MTU社製のMB838Ka-501 V型10気筒多燃料液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,400hp)を搭載することになった。
変速・操向機には、レンク社製のRK304自動変速・操向機(前進4段/後進2段)が採用されている。
これは、イタリアのパルマリア155mm自走榴弾砲に搭載されているものと同じである。
エンジンと変速・操向機は冷却装置等と共にパワーパックとして一体化され、機関室に収められる。
サスペンションは通常のトーションバー(捩り棒)方式ではなく、油圧で上下に伸縮させることが可能な油気圧式サスペンションが採用されている。
アージュン戦車は当初6両の試作車が製作されたが、これらは軟鋼で製作されており、複合装甲は装備されていなかった。
エンジンの開発に難航したこともあり、試作車には42種類のエンジンと変速・操向機の組み合わせが試されたという。
最初にアージュン戦車の試作車が公開されたのは、1984年4月のことであった。
1987年終わりまでにさらに10両の試作車が製作され、古代インドの叙事詩マハーバーラタの登場人物「アルジュナ」(Arjuna)に因んで、「アージュン(Arjun)Mk.I」の呼称が与えられた。
10両の試作車の内6両はインド陸軍に引き渡されて試験に供され、残りの4両はCVRDEでさらに開発作業が続けられた。
1993年3月には、アージュン戦車の射撃試験が成功裏に終了した。
インド陸軍は、2000年に124両のアージュン戦車をDRDOに発注し、当初の予定では、2004年頃までに全車が引き渡されることになっていたが、試験において露呈した各種不具合の解決に時間が掛かったため、アージュン戦車の生産は大幅に遅れ、2004年8月にようやく最初の5両が引き渡された。
その後も、アージュン戦車は不具合の解決に多くの時間を費やしたが、2010年までに124両全てがインド陸軍に引き渡された模様である。
一方で、長年インドと敵対しているパキスタンが1997年からウクライナより、T-80戦車の最新型であるT-80UD戦車の導入を開始したため、当時のインドは早急に戦車戦力を強化する必要に迫られていた。
しかし、期待の新型MBTアージュンは開発の遅れで生産の目処が立たず、インドはアージュン戦車の代わりとなる新型MBTを海外から導入しなければならなくなった。
検討の結果、インドはロシアからT-72戦車の最新型であるT-90戦車を導入することを決め、2000年10月に310両のT-90S戦車の購入および、インドでのノックダウン生産の契約が結ばれた。
しかし、その後もアージュン戦車の生産が思うように進まなかったため、インドは代替としてT-90S戦車を追加調達することを決め、2006年にロシアとの間でT-90S戦車のライセンス生産の契約が結ばれた。
インドにおけるT-90S戦車のライセンス生産型には、「ビーシュマ」(Bhishma:やはりマハーバーラタの登場人物)の呼称が与えられ、インド陸軍は2006年に330両、2007年に347両のビーシュマ戦車を発注した。
現在インド陸軍は、アージュン戦車とビーシュマ戦車を併用して装備しているが、今後の調達方針を決めるために2010年3〜4月にかけて、アージュン戦車とビーシュマ戦車の性能比較試験が行われ、試験においてアージュン戦車が良好な成績を収めたため、同年5月17日にインド陸軍はDRDOに124両のアージュン戦車を追加発注した。
この追加発注分は「アージュンMk.II」と呼ばれ、各部に改良が施される予定である。
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