+概要
フランスはAMX-30戦車の実用化後、これを発展させた輸出用MBT AMX-32の開発を1975年に開始した。
このAMX-32戦車は、機関系や武装はAMX-30戦車と同一であったが、複合装甲を用いた装甲強化や機動性の向上、新型FCS(射撃統制装置)の導入が図られており、車体・砲塔共に新設計のものに変わった。
試作車は1979年に完成して海外に売り込みが図られたものの、結局採用されることは無く、試作車2両が製作されただけに終わった。
このため、戦車の輸出に力を注ぐ政策を採るフランスは、全く新規設計の輸出用MBTを開発することを決断した。
これがAMX-40戦車で、機関系や武装も含めて、戦後第3世代MBTと呼ぶのにふさわしい内容にまとめられていた。
AMX-40戦車の開発は、AMX社(Atelier de Construction d'Issy-les-Moulineaux:イシー・レ・ムリノー工廠)が中心となって1980年代初めに開始され、1983年には最初の試作車が公開された。
エンジンは、ミュルーズのSACM社(Société Alsacienne de Constructions Mécaniques:アルザス機械製作所)製の、V12X-1100
V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンを搭載しており、最大出力がAMX-30戦車の720hpから一挙に1,100hpに強化され、試作車ではこれに、西ドイツのZF社(Zahnradfabrik
Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製の、LSG3000自動変速・操向機(前進4段/後進2段)が組み合わされていた。
なお、AMX-40戦車の生産型ではルクレール戦車で採用された、サン・トゥアン・ロモヌのSESM社(Société d'Equipements
Systèmes et Mécanismes:システム&メカニズム社)製の、ESM500自動変速・操向機(前進5段/後進2段)に変更される予定であった。
AMX-40戦車のサスペンションは、AMX-30戦車と同じく通常のトーションバー(捩り棒)が用いられていたが、転輪数が1個増えて片側6個となり、さらに履帯幅も510mmから570mmに拡大されて、接地圧の減少が図られていた。
主砲には、西側諸国の戦後第3世代MBTの標準武装となった120mm滑腔砲を採用していたが、主流となっている西ドイツのラインメタル社製の120mm滑腔砲Rh120ではなく、ヴェルサイユのGIAT社(Groupement
Industriel des Armements Terrestres:陸上兵器企業連合、2006年にネクスター社に改組)製の、国産の120mm滑腔砲CN-120-G1が用いられていた。
ラインメタル社製のRh120が44口径であったのに対して、このCN-120-G1は52口径と砲身が長いのが特徴であった。
また、装填補助装置を採用することで発射速度の向上を図っていたが、その詳細は明らかにされていない。
主砲弾薬には、燃焼式薬莢のAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)と、HEAT-MP(多目的対戦車榴弾)が用意され、APFSDSを用いた場合の砲口初速は1,650m/秒で、有効射程は2,000~3,000mとされていた。
FCSはAMX-30B2戦車やAMX-32戦車と同じく、サトリのAMX-APX社製のCOTACシステムが採用されており、射距離2,000mでの初弾命中率は90%で、発見から弾着までの平均時間は8秒以内とされていた。
AMX-30戦車で採用された主砲同軸の、GIAT社製98.5口径20mm機関砲F2(M693)は本車にも踏襲されており、独立した俯仰が可能なことも同様であった。
AMX-40戦車の車体は圧延防弾鋼板の溶接構造で、前面には複合装甲が導入されていた。
車内レイアウトはAMX-30戦車と同様で、車体前部左側が操縦室、前部右側が主砲弾薬庫、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室となっていた。
砲塔はAMX-30戦車のような鋳造製ではなく、AMX-32戦車と同じく圧延防弾鋼板の溶接構造となっており、前面には複合装甲が導入されていた。
砲塔内には主砲を挟んで右側に砲手、その後方に車長、左側に装填手が位置するようになっていた。
AMX-40戦車は1985年までに4両の試作車が完成しているが、最終号車となった試作第4号車は砂漠仕様とされ、車体前部にドーザー・ブレイドが備えられたり、車体後部の形状がリファインされたりと改良が見られた。
しかし、結局AMX-40戦車を採用する国は現れず、試作段階を出ること無く開発は終了した。
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