+概要
フランス陸軍騎兵監部は1930年代に入って騎兵部隊の機械化に着手し、1931年に「AMD」(Automitrailleuse de Découverte:索敵用装甲車両)、「AMR」(Automitrailleuse
de Reconnaissance:偵察用装甲車両)、「AMC」(Automitrailleuse de Combat:戦闘用装甲車両)の3系統の装甲車両の装備計画をまとめた。
AMDは装輪式の偵察用装甲車両、AMRは装軌式の偵察用装甲車両、AMCは装軌式の戦闘用装甲車両とされていた。
ブローニュ・ビヤンクールのルノー社は騎兵監部から提示されたAMRの要求仕様に基づいて、1932年に「VM型」と呼ばれる試作車を設計・試作し、何カ所かの手直しを加えたものが1933年に、「AMRルノー1933年型」(AMR33)としてフランス陸軍に制式採用された。
続いてルノー社は1935年に、AMR33軽戦車の発展型を「ZT型」の呼称で開発し、「AMRルノー1935年型」(AMR35)として制式採用されている。
AMR33軽戦車は123両、AMR35軽戦車は200両が生産されて、騎兵科部隊や自動車化歩兵師団に配備された。
1940年6月22日のフランス降伏後、生き残ったAMR33/AMR35軽戦車はドイツ軍に接収され、AMR33軽戦車は「装甲偵察車AMR33(f)
識別番号701(f)」、AMR35軽戦車はZT1/ZT2型が「装甲偵察車AMR35(f) 識別番号702(f)」、ZT3型が「装甲偵察車AMR35(f)
識別番号703(f)」の鹵獲兵器呼称を与えられた。
AMR35(f)装甲偵察車の一部の車両は1943~44年にかけて、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の14口径8cm重迫撃砲sGrW34を搭載する自走迫撃砲に改造されている。
自走迫撃砲への改造要領であるが、まずAMR35(f)装甲偵察車の砲塔と、操縦室前面装甲板から後ろの上部構造を外してから、車内にベースプレートをボルト止めして8cm重迫撃砲sGrW34を据え付け、周囲を10mm厚の装甲板で囲んでオープントップ式の戦闘室を構成した。
内部スペースを拡大するために戦闘室の側面装甲板は大きく外側に張り出され、車体が小型ということもあって戦闘室は車体後端まで延長されていた。
8cm重迫撃砲は車内から射撃することも可能であったが、通常は車外に持ち出して使用するため、標準のベースプレートが車体後面に追加装備されていた。
完成したAMR35(f)自走迫撃砲は、フランス駐留の部隊に配属されて使用された。
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