アル=フセイン戦車 |
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+チャレンジャー戦車
イギリス国防省は1970年代後期に、イギリス陸軍の当時の主力MBTであったチーフテン戦車の後継車両を「MBT-80」(80年代型主力戦車)の呼称で開発することを計画し、1977年10月12日にGSR3572(施行3572)としてMBT-80の開発要求を出し、これは同年12月1日に承認された。 そして1978年12月1日付で、サリー州チョーバムに置かれたMVEE(軍用車両工学技術施設)の要求仕様762により、MBT-80の基本仕様が公布された。 計画ではMBT-80は、当時ダービーのロールズ・ロイス社で開発が進められていたCV12 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,500hp)と、ハダースフィールドのDBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)製のTN37自動変速・操向機(前進4段/後進3段)を組み合わせたパワーパックを搭載し、油圧で上下に伸縮させることが可能な油気圧式サスペンションを採用することになっていた。 主砲は、チーフテン戦車が装備する王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5の改良型EXP-28M1、もしくはRARDE(王立武装開発研究所)において新規開発される110mm滑腔砲のいずれかを搭載し、車体と砲塔にはRARDEが西側で初めて実用化に成功した「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲を導入するが、可能な限りアルミニウム装甲を多用して戦闘重量の軽減を図ることが求められ、戦闘重量の上限は60tとされた。 また展望式で、車長の操作により左右各90度の旋回半径を備える熱映像式照準機が砲塔上面右側に配され、砲塔内の右前方に配された砲手席の直上にも、展望式で安定装置付きのレーザー照準機が、それぞれグラスゴーのバー&ストラウド工業により開発されることになった。 さらに詳細は不明だが、全天候下での使用が可能なFCS(射撃統制システム)も新たに開発されることとされた。 提示された要求仕様に基づいて、王立造兵廠が中心となってMBT-80の設計が開始された。 一方で王立造兵廠はこの頃、イランから発注された新型MBTの開発と生産も並行して進めていた。 「シール・イラン」(Shir Iran:イランの獅子)と名付けられたこの戦車はチーフテン戦車を基にしていたが、評判の悪いチーフテン戦車の動力系を変更しFCS等を近代化したものであった。 シール戦車の開発は2段階に分かれ、第1段階のチーフテン戦車の車体にCV12ディーゼル・エンジンと、TN37自動変速機を組み合わせた新型パワーパックを組み込んだ型が「シール1」(FV4030/2)、さらに改良を施して車体と砲塔にチョーバム・アーマーを導入し、より高度なFCSを搭載した型が「シール2」(FV4030/3)と呼ばれた。 ちなみにFV4030/1は、チーフテンMk.5戦車をイラン向けに小改良した型である。 期日は不明だが、最終的にイランはシール1戦車を250両、加えてシール2戦車を1,225両生産発注して、まだ引き渡しもされないうちに、モハンマド・レザー・パフラヴィー国王はシール1戦車の代金として4,400万ポンド、シール2戦車の代金として2億2,300万ポンドを前払いした。 イギリスにとっては実に有り難いことだが、このパフラヴィー国王の独裁政治に対してイラン国民は以前から不満を抱いていた。 そして1978年9月にはついに革命の狼煙が上がり、翌79年1月にパフラヴィー国王はアメリカに亡命した。 国王を追放し、イスラム法学者のルーホッラー・ホメイニーを新しい指導者として迎え入れたイラン王国は、1979年4月1日に「イラン・イスラム共和国」と国名を変え、その前月の3月にはイギリス政府に対してシール・イラン戦車購入のキャンセルを通告した。 前述のように代金については前払いされていたためイギリス側の損失は無かったが、シール1戦車とシール2戦車合わせて1,500両近くの戦車生産の仕事が失われたことは、王立造兵廠のリーズ工場とノッティンガム工場の合計2,009名の従業員と、その他関連企業の約8,000名の従業員の雇用にとって深刻な問題であった。 そこでイギリス政府は、シール・イラン戦車の海外への売り込みを図った。 そしてシール1戦車については、「ハリド」(Khalid:剣)の呼称でヨルダンが購入することになり、しかもイラン向けに当初発注されていた125両に加えて、149両が追加発注されるというおまけまで付いた。 一方シール2戦車(FV4030/3)については、イギリス国防省は1979年9月5日付でGSR3574を交付して、FV4030/3をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを決定した。 本来は前述のMBT-80が次期MBTとなるはずであったが、MBT-80の開発費は本格的な開発に着手した1978年の時点で1億2,700万ポンドを超えると試算されており、この高額な開発費が問題視されていた。 そこに突如としてシール・イラン戦車の発注キャンセルという事態が起こったため、国防省は高価なMBT-80の代わりにシール2戦車(FV4030/3)をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを決断したのである。 FV4030/3はMBT-80に比べるとやや性能的には劣っていたが、すでに購入代金を前払いでイランから入手していたため、完成までに高額な開発費を必要とするMBT-80の開発をこのまま続けるよりも、FV4030/3をベースに多少手直しをした方がコスト面では圧倒的に得であり、また王立造兵廠やその他関連企業の雇用も確保できて一石二鳥であった。 先のGSR3574に続いて1980年7月半ば、国防省はFV4030/3に一部変更を加えたものをFV4030/4「チャレンジャー」(Challenger:挑戦者)としてイギリス陸軍の次期MBTとして制式採用し、243両を調達すると表明した。 そして1980年10月に試作車4両を発注し、その期日は明らかではないがさらに3両が追加された。 この7両の試作車には06SP36、06SP38〜06SP43の車両登録番号が与えられ、1982年に全車が完成してMVEEとボーヴィントンのATDU(機甲試験・開発ユニット)により試験に供された。 またシール2戦車に導入され、当初は様々な問題が報告されたTN37自動変速・操向機だが、その後改良が進められ、試作車の製作を担当した王立造兵廠は1981年末に、試作車による走行距離は合わせて170,000kmを記録したと公表している。 また1981年末には試作車1両を用いて戦場を想定した試験場において、36時間の継続試験が「チャレンジャー・トロフィー演習」の呼称で実施されている。 さらに1983年と85年には、サウジアラビアとエジプトにチャレンジャー戦車の試作車を持ち込んで公開試験が実施されたが、結局この売り込みは実ること無く終わっている。 このような紆余曲折を経ながらも、チャレンジャー戦車は1983年2月1日に最初の先行生産型が王立造兵廠のリーズ工場からロールアウトしたが、最初に完成した4両が先行生産型として分類されている。 チャレンジャー戦車は、最初の生産型であるMk.1が1983年〜85年1月にかけて109両、2番目の生産型であるMk.2が1985年1月〜86年11月にかけて155両、最後の生産型であるMk.3が1986年12月〜1990年1月にかけて156両完成しており、生産型チャレンジャー戦車の総生産数は420両となる。 なお、チャレンジャー戦車の生産を行っていた王立造兵廠は1986年にヴィッカーズ社によって買収され、ヴィッカーズ・ディフェンス・システムズ(VDS)社に改組されたため、以降の生産はVDS社が担当している。 |
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+アル=フセイン戦車
1980年代半ばのイギリス陸軍は、チャレンジャー戦車を旧式化したチーフテン戦車と並行して運用していたが、仮想敵であったソ連軍が125mm滑腔砲を装備し複合装甲を備えるT-64、T-72戦車を毎年3,000両前後という大量生産を進めていると推測されたため、イギリス国防省は陸軍が保有するMBTの能力向上の必要性を認識するようになった。 そこで国防省が企画したMBTの能力向上プランが、CHIP/CHARM計画である。 CHIP(チーフテン/チャレンジャー改良計画)は、チーフテン/チャレンジャー戦車の欠点とされていたFCSと人間工学的な配慮を欠いた砲塔内レイアウト、そして各機材の近代化を中核とする改良計画で、一方CHARM(チーフテン/チャレンジャー武装計画)は、チーフテン/チャレンジャー戦車が装備する120mmライフル砲の改良を目的としていた。 またこの流れと時を同じくして、国防省の装備方針委員会は旧式化したチーフテン戦車の後継として、西ドイツのレオパルト2戦車やアメリカのM1エイブラムズ戦車などの海外製第3世代MBTを導入することを提言した。 その背景にはこれらの戦車がいずれも120mm滑腔砲を搭載し、NATO内での弾薬供給がイギリス独自の120mmライフル砲よりもはるかに容易いという利点もあったものと思われる。 しかし国防省内には、技術継承や国内の雇用面などを考慮して海外製MBTの導入に否定的な人物も存在した。 装備局長であったサー・リチャード・ヴィンセント将軍は、1986年11月にニューカッスル・アポン・タインのVDS社の工場を訪れて、同社が輸出向けに開発したヴィッカーズMk.7戦車の砲塔を、改良型チャレンジャー戦車の車体と組み合わせた新型MBTをイギリス陸軍向けに開発するよう提言した。 そしてVDS社はこの提言に従って、新型MBT「チャレンジャー2」の開発を自社資金で開始した。 1987年3月30日にVDS社はチャレンジャー2戦車の基本案を提出し、国防省では既存のチーフテン/チャレンジャー戦車にCHIP/CHARM改修を実施して就役寿命を延長するか、チャレンジャー2戦車を新規生産するかを巡って検討が重ねられた。 そして最終的に1988年12月、国防省はチャレンジャー2戦車をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを承認し、試作車9両の製作契約が結ばれた。 試作車による試験は滞りなく完了したようで、1991年6月に国防省はチャレンジャー2戦車のイギリス陸軍への制式採用を決定し、127両のチャレンジャー2戦車とその操縦訓練戦車(CDTT)13両の調達契約を5億2,000万ポンドで締結した。 最終的に386両が発注されたチャレンジャー2戦車は1994年7月からイギリス陸軍への引き渡しが開始され、2002年4月までに全車の引き渡しを完了している。 チャレンジャー2戦車は当初、チーフテン戦車やチャレンジャー戦車と並行して運用が行われたが、間もなくチーフテン戦車は全車が退役し、さらに国防省は東西冷戦の終結や政府の財政難などの理由で、チャレンジャー戦車をイギリス陸軍から順次退役させることを1998年7月25日付で通達した。 チャレンジャー戦車の退役は同年から開始され、2000年代初めにはイギリス陸軍から姿を消した。 しかし、400両以上生産されたチャレンジャー戦車はスクラップにするにも巨額な支出を必要とするため、イギリス政府は1999年3月からハリド戦車の購入実績のあるヨルダンに対して、余剰となったチャレンジャー戦車の猛烈な売り込みを開始した。 これは信じられないような底値で売却が提言され、一説によると288両のチャレンジャー戦車を単価1ポンドを上限にしたといわれる。 そしてヨルダンはこの要求を飲み、「アル=フセイン」(Al-Hussein:現ヨルダン国王の名前に因む)の呼称を与えてさらに2002年10月に114両のチャレンジャー戦車を追加発注したが、この追加分は何と無料にされたという。 こうしてヨルダンは、タダ同然の安値で合計402両もの戦後第3世代MBTを入手したのである。 なおヨルダンはチャレンジャー戦車402両と共に、チャレンジャー訓練戦車(CDTT)15両とチャレンジャー修理・回収車(CHARRV)6両も導入したが、これらの価格は明らかにされていない。 なお、現ヨルダン国王であるアブドゥッラー2世・ビン・アル=フセインは、王太子時代にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校に留学していた時は機甲科を専攻し、在学中にチャレンジャー戦車の操縦だけでなく指揮運用まで学んでいる。 このことが、ヨルダン政府によるチャレンジャー戦車の導入に少なからず影響を与えたのではないかと推測されている。 ヨルダン陸軍では現在アル=フセイン戦車を392両運用しており、182両のM60フェニックス戦車(アメリカ製のM60スーパー・パットン戦車の近代化改修型)と合わせて計12個戦車大隊に配備している。 アル=フセイン戦車は、基本的にはイギリス陸軍が運用していた時のチャレンジャー戦車と変わっていないが、無線機が独自のものに換装されており、これによりアンテナの装備位置がオリジナルとは変わっている。 また塗装も、ヨルダン陸軍独自のサンドイエロー主体の迷彩塗装に改められている。 戦後第3世代のチャレンジャー戦車を大量に導入したことでヨルダン陸軍の機甲戦力は飛躍的に向上したが、アブドゥッラー2世国王はチャレンジャー戦車の主砲である120mmライフル砲L11の性能に不安を感じていた。 他国の戦後第3世代MBTが強力な120mm滑腔砲や125mm滑腔砲を装備しているのに対し、戦後第2世代のチーフテン戦車から引き継いだL11戦車砲は時代遅れだと認識していたのである。 そこでヨルダンのKADDB(アブドゥッラー2世国王設計開発局)において、アル=フセイン戦車の攻撃力を強化する近代化改修プランの研究が開始された。 そして2004年に首都アンマンで開催された兵器展示会「SOFEX 2004」において、KADDBは1両の革新的な戦車を展示した。 この戦車はアル=フセイン戦車の車体に、砲架のみを装甲でカバーしたような小型の砲塔を組み合わせたもので、KADDBが南アフリカのISTダイナミクス社の協力を得て開発したものであった。 この小型砲塔は「ファルコン(Falcon:隼)2」と呼ばれ、幅はわずか1.4mしかなく、スイスのRUAGランド・システムズ社が開発した50口径120mm低反動滑腔砲CTG(コンパクト戦車砲)を装備し、内部にはFHL社製の自動装填装置(発射速度8発/分)を搭載しているのが特徴であった。 また副武装として7.62mm機関銃が主砲と同軸に装備されていた他、砲塔左右側面の後部には8連装の発煙弾発射機がそれぞれ装備されていた。 自動装填装置の採用によって装填手が不要となったため乗員は車長、砲手、操縦手の3名となっており、車長と砲手は砲塔直下のターレット内に乗り込む形で、この2名が索敵・照準するためのサイトが砲塔上面に各々設置されていた。 なお車長用サイトは全周旋回式で、このサイトの後方には環境センサーが装備されていた。 ただし砲塔サイズの制約から主砲弾薬の搭載数は少なく、自動装填装置内に即用弾を10発、そして車体側に予備弾として17発の計27発しか搭載できない。 KADDB側の説明によると、ファルコン2砲塔はチャレンジャー戦車以外にM60戦車やチーフテン戦車にも搭載可能で、ヨルダン陸軍での採用だけでなく海外輸出も考慮して開発されたことが分かる。 その一方、KADDBはアル=フセイン戦車の車体や砲塔のほとんどを残したまま、小規模な改修作業で済む近代化改修プランも同時に発表した。 このプランも試作車がSOFEX 2004で展示されたが、こちらは主砲のみRUAG社製の120mm低反動滑腔砲CTGに換装しているのが特徴で、自動装填装置は搭載しておらず、従来通り砲塔内には車長、砲手、装填手の3名が乗り込む構造のままであった。 ただし、原型では砲塔右側面に砲塔を切り欠く形で装備されていたTOGS熱線暗視サイトに代わって、新型の砲手用熱線暗視サイトが砲塔上面に装備され、これに伴い砲塔右前面の形状がリファインされていた。 またFCSも、この新型の砲手用熱線サイトに連動する最新型に換装され、併せて砲塔上面左後部に環境センサーが設置され、さらに車長用の全天候型の全周視察サイトが砲塔上面左前部に装備された。 そして、主砲の同軸機関銃は7.62mm機関銃から射程の長い12.7mm重機関銃に換装され、主砲発射速度の向上を狙ってクレイバーハム社製の補助装填装置が砲塔内部に増設された他、車長席には各種情報表示用のタッチパネル式のディスプレイが設置され、さらに自車と僚車の位置関係を常時把握できるよう、GPSとそれに連動したナビゲイション・システムも搭載していた。 この他にもAPU(補助動力装置)の搭載やエアコンの増設、砲塔駆動の電動化、新型のコンパクトなNBC防護システムへの換装、操縦手席の計器類の配置最適化、サスペンションの改良や新型履帯への換装なども行われる等、細かい部分でも改修が施されていた。 KADDBはヨルダン国防省にこの2種類の近代化改修プランを提示したが、ファルコン2プランは改修コストが高額なこと等を理由にヨルダン陸軍への採用が見送られ、今のところ輸出にも成功していない。 もう一方の主砲の換装を中心とする改修プランについては、2009年になって国防省が採用を検討し始め、試作車がヨルダン陸軍による運用試験に供されたが、結局採用は見送られたようである。 アル=フセイン戦車は、チャレンジャー戦車としてイギリス陸軍で就役を開始してからすでに40年近く経過して老朽化が進んでおり、現在ヨルダン陸軍に在籍している車両の内の半分は、間もなくUAE(アラブ首長国連邦)より取得する中古のフランス製ルクレール戦車に代替される予定である。 |
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+構造
後にアル=フセイン戦車としてヨルダンに売却されたチャレンジャー戦車の特徴は、RARDEが西側で初めて実用化に成功した「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲を採用したことで、このために外観はいかにも将来型MBTといった直線的なスタイルにまとめられているが、この車体形状と電子機材を除けば、実態は開発経過からも分かるようにチーフテン戦車そのものといってよく、車内配置などは同一となっている。 チョーバム・アーマーは車体前面の上部と下部、車体側面の前部、そして砲塔の前面と側面に導入されているといわれている。 チョーバム・アーマーは圧延防弾鋼板の空間装甲の内部に、金属製のマトリックスに格納されたハニカム構造のセラミック板を多数敷き詰めた構造になっているといわれており、HEAT(対戦車榴弾)や対戦車ミサイルの成形炸薬弾頭が発生させる超高圧・高熱のジェット噴流に対して非常に高い防御力を発揮する。 またセラミック自体が極めて固い物質であるため、徹甲弾などの運動エネルギー(KE)弾に対しても通常の装甲板より高い防御力を発揮する。 ドイツのレオパルト2戦車や日本の90式戦車などが採用しているタイプの複合装甲の場合、ハニカム構造のセラミック板を圧縮応力を加えた状態でチタン合金のマトリックスで拘束しているが、それに比べるとチョーバム・アーマーはKE弾が命中した際にセラミック板が割れ易く、KE弾に対する防御力は劣るといわれる。 チャレンジャー戦車のエンジンは、チーフテン戦車に採用されたレイランド自動車製のL60 垂直対向6気筒多燃料液冷ディーゼル・エンジン(出力750hp)より大幅に出力が向上した、ロールズ・ロイス社製の「コンドー」(Condor:コンドル)CV12-1200TCA V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力1,200hp)が搭載されている。 CV12エンジンは当初1,500hpの出力を発揮することを目指していたが、実際には1,200hpを発揮するのが精一杯だったため、ひとまず1,200hp級のエンジンとして完成させる方針に切り替えられた。 しかし結局CV12エンジンの出力は1,200hpで頭打ちになり、チャレンジャー戦車は予定された機動力を発揮できず、路上最大速度56km/hと戦後第3世代MBTの中ではかなりの鈍足である。 このあたりがイギリスのエンジン開発技術の限界であり、その後もCV12エンジンを上回る出力の戦車用エンジンを国内開発できなかったため、続くチャレンジャー2戦車でも引き続きCV12エンジンが採用されることとなった。 なお、CV12エンジンの生産を行っていたシュルーズベリーのロールズ・ロイス・ディーゼル社が、1984年にピーターボロのパーキンス発動機に吸収合併されたため、現在はパーキンス発動機がCV12エンジンの生産とアフターサービスを手掛けている。 一方チャレンジャー戦車の変速・操向機は、チーフテン戦車に搭載されたDBE社製のTN12半自動変速・操向機の発展型である同社製のTN37全自動変速・操向機が採用されている。 TN12変速・操向機は超信地旋回ができず、操向装置もレバー式で操作が難しかったが、TN37変速・操向機は超信地旋回が可能で、操向装置も乗用車と同じハンドル式に変更されたため操縦が容易になっている。 チャレンジャー戦車のサスペンションは、ホルストマン・ディフェンス・システムズ(HDS)社とMVEEが共同開発した油気圧式サスペンションが採用されている。 これは油圧でサスペンションを上下に伸縮させることが可能であり、車体高を自由に変更することができるが、日本の74式戦車や90式戦車のように車体を任意の角度に傾ける機能は備えていない。 主砲は、チーフテン戦車と同じく王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5を採用している。 この砲は西側の戦車砲としては珍しく、装填手の負担を軽減するために砲弾と装薬が別になった分離弾方式を採用している。 使用弾種はL15 APDS(装弾筒付徹甲弾)、L23 APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)、L31 HESH(粘着榴弾)、L34煙幕弾、L20演習弾が用意されている。 装甲貫徹力などは明らかにされていないがL15 APDSは弾頭重量10.35kg、装薬重量9.04kg、砲口初速1,370m/秒、L20演習弾は弾頭重量5.81kg、装薬重量5.77kg、砲口初速1,370m/秒、L31 HESHは弾頭重量17.08kg、装薬重量3.03kg、砲口初速670m/秒、L34煙幕弾は弾頭重量17.35kg、装薬重量3.03kgという数字が判明している。 車内にはこれら64発の砲弾と、42発分の薬莢が搭載されている。 チャレンジャー戦車のFCSは、チェルムスフォードのGECマルコーニ社が開発したIFCS(Improved Fire Control System:改良型射撃統制システム)が採用されている。 これは元々シール2戦車向けとして開発された機材を流用したものであり、列強の戦後第3世代MBTと比べると能力が低いことは否めない。 ただし砲安定装置を標準装備しており、旋回速度0.27度/秒、俯仰速度0.09度/秒で主砲が移動目標を追尾することを可能としている。 ただしこの数字は、他国の戦後第3世代MBTと比べるとかなり劣る値ではある。 なお、主砲の駆動にはFVGCE(戦闘車両電気式砲制御機材) No.11 Mk.3が用いられており、砲手席の右側に装着されたグリップ式のスティックを用いて前後操作で俯仰、左右操作で旋回が行われる。 その照準機材の中核を成すTOGS(熱映像視察・砲手照準機)は、収容箱の形状こそ異なるものの、基本的にイギリス陸軍向けのチーフテンMk.11戦車に導入されたものと変わらない。 このTOGSは、夜間や視界の悪い状況下において車両や兵士が放出する熱を感知して映像化することで、砲手席と車長席のモニターにその情報を送り、コンピューターを介してIFCSにも情報データを送って射撃の一助とする装置である。 |
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<アル=フセイン戦車> 全長: 11.56m 車体長: 8.327m 全幅: 3.518m 全高: 2.95m 全備重量: 62.0t 乗員: 4名 エンジン: パーキンス・コンドーCV12-1200TCA 4ストロークV型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル 最大出力: 1,200hp/2,300rpm 最大速度: 56km/h 航続距離: 450km 武装: 55口径120mmライフル砲L11A5またはL11A7×1 (52発) 7.62mm機関銃L8A2×1 (4,600発) 7.62mm機関銃L37A2×1 装甲: 複合装甲 |
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<参考文献> ・「パンツァー1999年7月号 イギリスが戦車王国の面目をかけて開発したチャレンジャー1戦車」 野木恵一 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2012年4月号 チャレンジャー2戦車 開発過程・構造とその将来」 荒木雅也 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2010年11月号 何度も復活した強運のMBT チャレンジャー1」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2014年10月号 チャレンジャー1 & 2戦車の現状と変化」 柘植優介 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年4月号 90式戦車 vs チャレンジャー1戦車」 城島健二 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2007年3月号 シール・イランからチャレンジャーへ」 三鷹聡 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年2月号 チャレンジャー1戦車 インアクション」 アルゴノート社 ・「パンツァー2017年10月号 イギリスMBTの系譜」 竹内修 著 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021〜2022」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2016年7月号 チャレンジャー主力戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」 デルタ出版 ・「世界の主力戦闘車」 ジェイソン・ターナー 著 三修社 ・「新・世界の主力戦車カタログ」 三修社 ・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」 コーエー ・「世界の戦車 完全網羅カタログ」 宝島社 |