+概要
オーストリアは1930年頃から、国境警備隊および治安維持警察のための装甲車の開発に着手し始めた。
8輪型の装甲車もその中の1種として、ウィーナー・ノイシュタットのオーストロ・ダイムラー・プフ社によって「ADGZ」という呼称で開発が行われ、試作車は1933年の初旬に完成した。
この車両は6輪トラックを装甲化し、後部にも前部と同じキャブとホイールを取り付けた形のもので、中央の荷台部は戦闘室とされ、上面には6角形の小さな砲塔が搭載されていた。
この車両には出力55hpのガソリン・エンジンが2基搭載されており、前後に同じ条件で走ることが可能であった。
しかし、ADGZ装甲車は1934年になって大幅に改設計されることになり、ボディのデザインは避弾経始を考慮して、傾斜装甲板を多用したより近代的なものとなった。
エンジンは1基となり、オーストロ・ダイムラー・プフ社製のM612液冷ガソリン・エンジンが搭載された。
このエンジンは直列6気筒でシリンダー径130mm、排気量11,946cc、出力150hp、回転数1,800rpmであった。
動力が伝達されているのは中央の4輪のみで、操向は前後の2輪で行うようになっていた。
変速機は油圧伝動式のトルク変換機を内蔵しており、前後に3段ずつの変速ができた。
タイヤサイズは8.25×20で、ドイツのSd.Kfz.231装甲偵察車よりやや直径が大きい。
ホイールベースは1,850mm+1,050mm+1,850mmで、中央のタイヤが接近しているのに対して前後のタイヤは離れた構造になっていた。
燃料タンクは4つあり、合計で200リットルの燃料を携行できた。
ADGZ装甲車は当時としては非常に機動性能が優れており、路上最大速度70km/h、路上航続距離450kmの性能を発揮した。
車体と砲塔は全て11mm厚の防弾鋼板で構成されており、戦闘重量は12tであった。
車体には前後に、ドイツのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34が1挺ずつ装備されており、機関銃の可動範囲は左右が各15度ずつ、上下が−15〜+45度となっていた。
砲塔は大型化されて2名用となり、砲塔前面にスイスのゾロトゥルン武器製作所製の46口径2cm機関砲KwK35と、7.92mm機関銃MG34が独立したボールマウントに左右並列に装備された。
このマウントの可動範囲は左右が各15度ずつ、上下が−12〜+18度となっていた。
砲塔は全周旋回が可能で、旋回はハンドルを用いて手動で行われた。
ADGZ装甲車は全長6,260mm、全幅2,160mm、全高2,560mmと、Sd.Kfz.231装甲偵察車よりも幅以外はかなり大柄な車両であり、乗員定数は6名となっていた。
オーストリアはドイツの後盾もあり、ヴェルサイユ平和条約の武器保有制限を放棄して公にこの装甲車の生産を始めることとした。
これを受けてADGZ装甲車は1935年から実用化され、シュタイアーのシュタイアー・ダイムラー・プフ社(1934年に同地のシュタイアー製作所と、オーストロ・ダイムラー・プフ社が合併してできた企業)によって生産が開始された。
そして1937年までに27両が完成し、治安警備隊やオーストリア陸軍に一旦は配備されたが、1938年にドイツ軍が介入してこれらの車両は接収されてしまった。
これらの車両の一部は、1939年9月にダンツィヒ(ポーランド内のドイツ領)で使用されたことが知られている。
その後1941年になって、ドイツ武装親衛隊からさらに25両のADGZ装甲車が発注され、これは新規にシュタイアー・ダイムラー・プフ社で生産され、1942年に引き渡されている。
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