+概要
1943年中期以降、レンドリース法に基づいてイギリス陸軍にアメリカ製のM10 3インチ対戦車自走砲が供与されるようになったが、イギリス陸軍はM10対戦車自走砲に「M10
3インチ自走砲架」(3inch Self-Propelled Mount M10)の制式呼称を与えてそのまま使用する一方で、火力の強化を図って主砲の50口径3インチ(76.2mm)戦車砲M7を、イギリス製の58.3口径17ポンド(76.2mm)対戦車砲に換装する作業に着手した。
M10対戦車自走砲への搭載にあたり、17ポンド対戦車砲はM10対戦車自走砲のM5砲架に装着できるように砲尾部に若干の改修が加えられ、砲口制退機の直後にリング形の平衡錘が2個取り付けられた。
このように主砲の換装作業が簡単なものだったため、イギリスに供与されたM10対戦車自走砲の多くが主砲を17ポンド対戦車砲に換装され、この換装車には「M10C
17ポンド自走砲架」(17pdr Self-Propelled Mount M10C)の制式呼称が与えられた。
イギリス陸軍はアメリカから供与されたM4中戦車シリーズに対して、「ジェネラル・シャーマン」(General Sherman:南北戦争において南軍から”悪魔”と恐れられた北軍の名将ウィリアム・T・シャーマン少将に因む)の愛称を与えると共に、主砲の違いによって接尾記号を付加しており、75mm戦車砲M3搭載型は接尾記号無し、76.2mm戦車砲M1搭載型は”A”、105mm榴弾砲M4搭載型は”B”、17ポンド対戦車砲搭載型には”C”の接尾記号が与えられた。
これに倣って、M10対戦車自走砲に17ポンド対戦車砲を装備した車両にも”C”の接尾記号を付加して、「M10C」としたのである。
またイギリス陸軍のM10対戦車自走砲の内、楔形の砲塔平衡錘を持つ中期型は「M10 Mk.I」、ダックビル型砲塔平衡錘を持つ後期型は「M10 Mk.II」と呼ばれた。
イギリス陸軍に供与されたM10対戦車自走砲は1944年に1,128両、1945年に520両の合計1,648両で、これらは全てジェネラル・モータース社製の6046
直列12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力410hp)を搭載したタイプであった。
M4A3中戦車と同じフォード自動車製のGAA V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力500hp)を搭載するM10A1対戦車自走砲は、イギリス陸軍には供与されなかった。
M10対戦車自走砲をM10Cに改修する作業は1944年春からロンドンのウーリッジ工廠で開始され、1944年6月の「ノルマンディー上陸作戦」(Operation
Neptune:ネプチューン作戦)開始時までに98両のM10C対戦車自走砲が完成した。
同年11月にはイタリア戦線にも152両のM10C対戦車自走砲が送られ、1945年4月までに合計1,017両のM10対戦車自走砲がM10Cに改修された。
M10C対戦車自走砲の主砲である17ポンド対戦車砲は非常に装甲貫徹力が高く、幾つかの武功も立てている。
ノルマンディー上陸約1カ月後の1944年7月8日、イギリス陸軍第62対戦車連隊のM10C中隊はブーロンでドイツ陸軍戦車部隊の攻撃を撃退した。
中隊は3両の損害を出したが、M10C対戦車自走砲2両でパンター戦車とIV号戦車を合計13両撃破したという。
なお以前はイギリス陸軍では、M10対戦車自走砲に「ウルヴァリーン」(Wolverine:クズリ)、M10C対戦車自走砲に「アキリーズ」(Achilles:アキレス、ギリシャ神話の英雄)という愛称を与えていたと解説されることが多かったが、実際はこれらの愛称は戦後になってカナダ陸軍が使用し始めたものが一般化したという説が有力になっており、大戦時のイギリス陸軍では愛称ではなく単に「M10
SPM」、「M10C SPM」(”SPM”はSelf-Propelled Mount:自走砲架の略)と呼んでいたようである。
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