+概要
ドイツ陸軍最初の戦車であるA7V突撃戦車は、連合軍の戦車に比べて装甲防御力では勝っていたものの、その反面大重量と足周りの設計不良のために機動性能が非常に低かった。
この事実はドイツ陸軍自身も認識していたため、A7V突撃戦車の機動性能を向上させる方法が模索された。
連合軍の戦車の中でもイギリス陸軍が運用していた菱形戦車シリーズは高い機動性能を備えていたため、ドイツ陸軍は菱形戦車の足周りを参考にしてA7V突撃戦車の機動性能を改善することを計画した。
ドイツ陸軍は必死で菱形戦車の情報を集めたが、幸いにも1917年11月のカンブレーの戦いで完全な菱形戦車が鹵獲された。
ドイツ陸軍は早速、この菱形戦車の構造について詳しく検証を行った。
菱形戦車が優れた機動性能を示したのは、何よりも車体上方まで取り巻く履帯構成に伴う履帯前部の立ち上がりの大きさと、武装を左右側面のスポンソン(張り出し砲座)に収めた重心バランスの良さにあった。
ドイツ陸軍は当初まるまる菱形戦車をコピー生産することまで検討したが、それはコストと時間の問題から見送られた。
そして代わりにA7V突撃戦車のコンポーネントを利用して、菱形戦車に類似したスタイルの新型突撃戦車を製作することになった。
この新型戦車には、「A7V/U突撃戦車」の名称が与えられた。
末尾の”U”は「Umlaufende Kette」の頭文字を採ったもので、「全周を取り巻いた履帯」という意味である。
A7V/U突撃戦車のデザインは、元々コピーを目指しただけあって菱形戦車と同じといっていい。
A7V突撃戦車とは異なり、車体は履帯が取り巻いた外側部分に挟まれた菱形の箱で構成されていた。
装甲厚についてはA7V突撃戦車と同じく最大30mmとなっており、防御力では菱形戦車を上回っていた。
菱形戦車と同様に、武装は左右側面に設けられたスポンソンに装備されていた。
主砲はA7V突撃戦車と同じくベルギー製の26口径5.7cmゾコル加農砲が装備され、さらに副武装として4挺の7.92mm液冷重機関銃MG08が装備されていた。
乗員は、A7V突撃戦車の18名からだいぶ減って7名となっていた。
操縦室は、菱形戦車と同じく中央車体上に突き出すように設けられていた。
ただしA7V/U突撃戦車の操縦室は菱形戦車よりかなり高く突き出していたので、視界が良好で操縦し易かったようである。
しかし反面シルエットが高くなったことで、遠くから発見され易くなるというデメリットも生じている。
A7V/U突撃戦車の履帯や転輪等の走行装置は、A7V突撃戦車のものが流用されている。
エンジンは車体中央部のスポンソンの内側にあたる部分に、2基が並列に搭載されていた。
A7V/U突撃戦車に搭載されたエンジンは、A7V突撃戦車に用いられたシュトゥットガルトのダイムラー自動車製の165-204 直列4気筒液冷ガソリン・エンジンの改良型で、出力が105hpに向上しており2基で210hpを発揮した。
しかしA7V/U突撃戦車はA7V突撃戦車より重量が増加し約40tに達していたため、エンジンが強化されたにも関わらず路上最大速度は12km/hとA7V突撃戦車より遅くなってしまった。
ただし超堤能力や超壕能力については、A7V突撃戦車より大幅に改善されていた。
A7V/U突撃戦車は1918年6月に試作車が完成し、同年9月12日に約20両の生産が発注された。
しかし1918年11月11日に終戦を迎えたため、結局生産型は1両も完成しなかった。
なお、A7V/U突撃戦車には幾つかの派生型も計画されていた。
A7V/U2突撃戦車は原型より小さなスポンソンを持ち、車長用キューポラに機関銃を装備していた。
一方、A7V/U3突撃戦車は菱形戦車の雌型にあたり、武装が機関銃だけとなっていた。
もちろん原型も生産されていないのだから、派生型は1両も完成していない。
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