+概要
イギリス陸軍はティーガー戦車やパンター戦車などのドイツ軍の新型戦車に対抗するため、強力な対戦車砲である17ポンド(76.2mm)砲の車載戦車の開発を計画してきた。
その1つの方法として既存の戦車を拡大するという手法が流行し、クロムウェル巡航戦車を拡大してチャレンジャー巡航戦車を、同じくクロムウェル巡航戦車を改設計してコメット巡航戦車を誕生させた。
これなら、完全な新型戦車を開発するよりも楽であった。
これは歩兵戦車についても同様で、1943年にチャーチル歩兵戦車の車体を拡大して17ポンド砲を搭載する発展型が開発されることになった。
この歩兵戦車は当初「スーパー・チャーチル」と呼称されていたが、やがて正式に「ブラック・プリンス」(Black Prince:黒太子)と命名され、「A43」の開発番号が付与された。
ちなみに「ブラック・プリンス」とは、イングランド王エドワード3世の長男で百年戦争の英雄であるエドワード黒太子のことを指す。
本車の開発は、チャーチル歩兵戦車と同じくルートンのヴォクソール自動車が担当した。
チャーチル歩兵戦車の全長7.44m、全幅3.25mに対して、ブラック・プリンス歩兵戦車のそれはそれぞれ8.81m、3.44mもあり一回り大きくなっていた。
車体の拡大と主砲の強化に伴って当然のことながら車重も重くなり、チャーチル歩兵戦車の約40tに対してブラック・プリンス歩兵戦車では約50tと10tもの増加を見た。
そのため接地圧減少の目的で履帯幅も拡げられ、チャーチル歩兵戦車の約36cmに対してブラック・プリンス歩兵戦車では約61cmと、非常に幅広のものが採用された。
併せてサスペンションも強化改修され、転輪の数が片側1個ずつ増やされている。
反面、エンジンとエンジン周りのコンポーネントはチャーチルMk.VIIから流用されたものだったため、チャーチル歩兵戦車の路上最大速度が15.5マイル(24.94km)/hであるのに対して、ブラック・プリンス歩兵戦車はわずか11マイル(17.7km)/hという遅さだった。
あまりの遅さから開発陣は一時、クロムウェル巡航戦車に採用されたダービーのロールズ・ロイス社製の「ミーティア」(Meteor:流星) V型12気筒液冷ガソリン・エンジンへの換装を考えたほどである。
チャーチル歩兵戦車から受け継いだ、ルートンのベッドフォード車両製の水平対向12気筒液冷ガソリン・エンジンの最大出力が350hpだったのに比べ、ミーティア・エンジンは実に600hpを絞り出すことができたからである。
幸い、ミーティア・エンジンの原型である「マーリン」(Merlin:コチョウゲンボウ)航空機用ガソリン・エンジンが品不足で、入手が難しかったクロムウェル巡航戦車の開発時とは異なり、ブラック・プリンス歩兵戦車の開発時にはアメリカでのマーリン・エンジンの量産が進捗していたため、エンジンそのものの供給に不安は無かった。
しかし、もしエンジンの換装となれば関連する全ての補機類も大幅に手直ししなければならず、それには相応の時間も必要となる。
そのため、結局エンジンの換装は断念された。
ブラック・プリンス歩兵戦車のモックアップは1944年9月に完成し、引き続き同年10月には軟鋼製の試作第1号車の準備が整ったが、バースのストゼアット&ピット社での主砲と砲架、防盾部の準備が遅れたため、同車のロールアウトは1945年1月下旬までずれ込んでしまった。
ちなみにストゼアット&ピット社は当時アメリカ製のM4中戦車のファイアフライ化や、同じくアメリカ製のM10対戦車自走砲への17ポンド砲搭載、チャレンジャー巡航戦車の砲塔製作など、17ポンド砲関連の作業を一手に行っていた砲塔、防盾、砲架メーカーである。
ブラック・プリンス歩兵戦車の砲塔は溶接構造の角張ったもので、砲塔内の乗員配置がそれまでのイギリス戦車と逆になっており、車長と砲手が右側、装填手が左側に改められているのが特徴で、以後のイギリス戦車は全てこの配置が採られている。
1945年2月、試作第3号車を使っての射撃試験がルールワースで開始された。
また併せて走行試験も実施され、上陸用舟艇への搭・下載試験も行われた。
その結果、試作車両に見られる微細な不具合が随所に見られたものの、足が極端に遅いということを除いては重大な欠陥と思われるものは発見されなかった。
こうしてブラック・プリンス歩兵戦車の開発はそこそこ順調に続いたが、1945年5月30日に試作車6両を揃えたところで、本車は量産に移行しないことが公式に決定されてしまった。
すでに5月8日にヨーロッパでのドイツとの戦いが終結し、太平洋での日本との戦いもすでに先が見えていた。
しかも日本軍戦車はドイツ軍戦車とは異なり、当時のイギリス連邦軍戦車の主力火砲である75mm戦車砲で充分対抗できる存在であり、17ポンド砲とその搭載戦車は将来予想されるソ連との対決のため、ヨーロッパに控置されるべきものだった。
だがいかんせん、ブラック・プリンス歩兵戦車の路上最大速度11マイル/hという劣悪な機動性と、チャーチル歩兵戦車譲りの避弾経始を無視した設計では、噂のスターリン重戦車に対抗できるとは思われなかったことから、このような決定がなされたのである。
また第2次世界大戦中にM3、M4の両アメリカ製中戦車の運用実績から得られた、「優れた中戦車は巡航戦車と歩兵戦車の二役を果たす」という結論も、ブラック・プリンス歩兵戦車の量産中止に大きく影響していた。
この結果を受けてイギリス陸軍首脳部は以降同じ17ポンド砲を搭載し、より汎用性に富んだA41センチュリオン巡航戦車の量産に集中することを併せて決定したからである。
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