+概要
ウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社はイギリス最大の兵器メーカーであるにも関わらず、第2次世界大戦勃発直前の時点では、主要なイギリス製戦車の生産に積極的に関わっていたわけではなかった。
そこでイギリス戦争省は同社に対して、既存の歩兵戦車(主に歩兵戦車Mk.IIマティルダII)の生産に参加するか、短期間での実用化が可能である場合に限り、独自に歩兵戦車を開発生産するかの二者択一を迫った。
この要請を受けてヴィッカーズ社は新型歩兵戦車を自主開発する途を選択し、それは歩兵戦車Mk.IIIヴァレンタインとなって結実した。
ヴァレンタイン歩兵戦車は当時のイギリス製戦車としては機械的信頼性が高く、バランスの取れた歩兵戦車であった。
大戦中に同車の供与を受けたソ連軍では、「連合国から供与された戦車の中で最も優秀である」という評価を与えている。
ただヴァレンタイン歩兵戦車は、既存のエンジンの利用を念頭に設計された戦車だったことから車体寸法が極限まで小さく、2ポンド(40mm)戦車砲を搭載した初期生産型では砲塔乗員が車長と砲手の2名だけだったため、運用上の不都合が生じた。
そこで次の生産型では砲塔の大型化と砲耳の前進を図って砲塔内スペースを確保し、砲塔乗員を車長、砲手、装填手の3名とした。
ところが後に、火力強化の要求に応じて6ポンド(57mm)戦車砲や75mm戦車砲を搭載することになった際、砲の大口径化に伴って砲尾が大きくなり、装填手が搭乗するスペースが無くなったため、砲塔乗員は再び2名に逆戻りしてしまった。
その上、搭載砲の大口径化は砲尾を大きくしたのみならず砲弾をも大きく重くしたため、砲弾が軽かった2ポンド戦車砲の時以上に砲塔乗員の1名減少による不都合を強調する結果となった。
しかし操砲時の手不足という戦闘運用上の問題を別とすれば、ヴァレンタイン歩兵戦車の機械的信頼性の高さはそれなりに評価されていた。
そこで戦争省は、1943年の終わりに自身の要望をヴィッカーズ社の提案に織り込ませる形で、同社に対して「A38」の開発番号で新型歩兵戦車の開発を要請した。
A38歩兵戦車の開発に際して戦争省とヴィッカーズ社が合意していたのは、既存のヴァレンタイン歩兵戦車の部材やコンポーネントを極力流用し、6ポンド戦車砲またはイギリス製の75mm戦車砲を収めた3名搭乗の全周旋回式砲塔を備え、さらにできる限り重装甲にするという3点であった。
このような要求に対してヴィッカーズ社の設計陣は、ヴァレンタイン歩兵戦車の設計思想であった装甲面積を最小限に抑えることで重量軽減を図る、つまり小柄で重装甲であればエンジン出力が小さくてもそれなりの機動性が得られるという同車の開発当時の手法に、その後の戦訓で得られたシルエットを小さくすることが被弾確率を下げるという事実を加味して開発を行なった。
いってみれば従来のヴァレンタイン歩兵戦車並みに使い勝手が良く、同様にコンパクトでさらに重装甲、その上火力も高い新型歩兵戦車を目指したのである。
そしてA38歩兵戦車には「ヴァリアント」(Valiant:勇ましい、勇敢な、雄々しい)という愛称が付けられたが、この命名は言葉の意味そのものももちろんあったが、それ以上に頭文字が”V”で始まるヴィッカーズ社の前作であり、しかも本車の「兄」ともいえる「ヴァレンタイン」(Valentine)歩兵戦車とのゴロ合わせを考慮したものであった。
ヴァリアント歩兵戦車の車体サイズは全長5.359m、全幅2.743m、全高2.133mで、全幅こそわずかに広いが全長、全高共に6ポンド戦車砲や、75mm戦車砲を搭載した後期型のヴァレンタイン歩兵戦車よりやや短く低かった。
にも関わらず戦闘重量は、ヴァレンタイン歩兵戦車が17t程度だったのに対して本車は27tと10tも重かった。
その理由は、ヴァレンタイン歩兵戦車では最大で65mm程度だった装甲厚が114mmに強化されたことに加えて、3名が搭乗する大型の鋳造製砲塔を備えたからであった。
このような重量の増加は、足周りにも影響を及ぼした。
巡航戦車Mk.Iからヴァレンタイン歩兵戦車までのヴィッカーズ社製戦車では、転輪を3個一組で懸架する「スローモーション式」と呼ばれるサスペンション方式が採用されていたが、ヴァリアント歩兵戦車では重量増加への対策に加えて整備性や交換性が考慮された結果、従来は大小が組み合わされていた転輪が全て同サイズとなり、各転輪がそれぞれ独立してコイル・スプリング(螺旋ばね)で懸架されるようになった。
また、ヴァレンタイン歩兵戦車シリーズがいずれも130〜160hp級のエンジンを搭載していたのに対して、ヴァリアント歩兵戦車では重量の増加に対応するため、アメリカのジェネラル・モータース社製の6-71
直列6気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力210hp)が採用された。
1944年半ば、ヴィッカーズ社の下請けとしてリンカンのラストン&ホーンズビー社がヴァリアント歩兵戦車の試作第1号車(軟鋼製)を完成させた。
本車は外観的にも構造的にもヴァレンタイン歩兵戦車の基本設計をほぼ踏襲していたため、車体前部などが丸みのある鋳造とはなっていたものの、一見ではヴァレンタイン歩兵戦車と良く似ていた。
やがて走行試験が開始されたが、ここでヴァリアント歩兵戦車は幾つかの欠点を露呈した。
その1つが足の遅さである。
最大速度は路上でもわずか12マイル(19.31km)/hに過ぎず、1944年以降に実用化される戦車としてはあまりにも鈍足であった。
また操向レバーが極めて重い上、フットブレーキの操作には操縦手が負傷する危険が伴い、ギアの操作性も危なっかしいという点は人間工学的に見て大きな問題であった。
このような理由から、第1号車以降の試作車は結局製作されなかった。
つまりヴァリアント歩兵戦車は「駄作」の烙印を押され、開発計画から除外されたということである。
しかし一方で本車の開発で得られた成果を何とか活かそうと、「ヴァリアントII」あるいは「ヘヴィー・ヴァリアント」と呼ばれるヴァリアント歩兵戦車の派生型が試作されたといわれている。
このヴァリアントII歩兵戦車は、ヴァリアント歩兵戦車の砲塔と車体前部をA33エクセルシアー突撃戦車の車体と合体させたもので、ダービーのロールズ・ロイス社製の「ミーティア」(Meteor:流星)
V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力400hp)を搭載し、6ポンド戦車砲、75mm戦車砲、95mm榴弾砲、多連装20mm機関砲座等がその武装のオプションとして考えられていたという。
しかし、同時期に開発が進められていたA41センチュリオン巡航戦車の方がはるかに性能が優れていたため、わずか1両のみ製作されたヴァリアントII歩兵戦車の試作車は、1945年初頭に試射用標的として処分されてしまったといわれ、写真や詳細な図面は残されていないと伝えられている。
こうしてヴァリアント歩兵戦車シリーズの開発計画は完全に放棄され、1両だけ作られたヴァリアント歩兵戦車の軟鋼製試作車は、ボーヴィントン戦車博物館の展示品として余生を送っている。
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