+概要
西方電撃戦や北アフリカでの戦いにおいて、イギリス軍の巡航戦車のほとんどはドイツ軍戦車に太刀打ちすることができず、マティルダIIやヴァレンタインなどの歩兵戦車も、防御力ではドイツ軍戦車を上回っていたものの、火力と機動力が劣っていたために苦戦を強いられた。
アメリカから供与されたM4中戦車のみが唯一ドイツ軍戦車と対等に戦うことができたが、ドイツ軍が1942年11月から北アフリカ戦線に投入したティーガー重戦車には、このM4中戦車でも歯が立たなかった。
このためイギリス陸軍は新型戦車の開発に大車輪で着手し、A24(キャヴァリエ)からA27(セントー/クロムウェル)へと続く一連の巡航戦車の開発を強力に推進する。
一方歩兵戦車の方は、1942年8月から実戦投入を開始したチャーチル歩兵戦車の火力、防御力を順次強化すると共にこれの後継戦車の開発も模索された。
そんな中で、幾つかの発想が浮上してきた。
まず1つが、アメリカのM3中戦車とM4中戦車で行なわれたような部品や部材の共用化であった。
これは、「ユニバーサル」(Universal:共通化)という概念として固まっていく。
またもう1つは「速い歩兵戦車」あるいは「重装甲の巡航戦車」を求める声で、もしこのような戦車ができればチャーチル歩兵戦車の後継が不要となる。
そして、こちらは「突撃戦車」(Assault Tank)という概念としてまとまった。
こういった要望をひっくるめてまとめられたのが、A33エクセルシアー重突撃戦車であった。
エクセルシアー重突撃戦車の開発は、ストランドのEEC社(English Electric Company:イングランド電機)が担当した。
ユニバーサル化のためにエクセルシアー重突撃戦車の車体には、装甲厚を強化したセントー/クロムウェル巡航戦車のものが流用された。
砲塔もまた、初期のセントー/クロムウェル巡航戦車用のものを強化・改造したものが使用され、足周りには何とアメリカ製のT1試作重戦車(後のM6重戦車)のサスペンションと履帯が流用された。
ちなみに愛称の「エクセルシアー」(Excelsior)とは「向上、より上質を求めて、さらに高く」といった意味だが、アメリカ合衆国ニューヨーク州の標語でもある。
アメリカ製のT1試作重戦車の足周りを流用したことに対する敬意の表明に加えて、同じ重突撃戦車計画としてイギリス兵器購入使節団がアメリカに強く働きかけて進行中のT14計画の件もあり(アメリカとイギリス双方で競作の上、採用された方を両国軍の統一装備にするという下馬評があり)、あえてアメリカの中枢である州の標語を愛称に採用したのである。
T1試作重戦車の足周りを備え、主砲に長砲身6ポンド(57mm)戦車砲を搭載したエクセルシアー重突撃戦車の試作第1号車は、「A試作車」の呼称で呼ばれていた。
これに対してダービーのロールズ・ロイス社開発のR/L式サスペンションを備え、イギリス製の75mm戦車砲を搭載した試作第2号車は、第1号車とは内容が相当に異なるため「B試作車」と呼ばれていた。
1943年11月にまずエクセルシアー重突撃戦車のA試作車が完成し、スタッフォードにおいて1,000マイル(1,600km)試走に供された。
このA試作車の第1次試走が終了し第2次試走に入ろうという1943年12月23日、B試作車の方も完成して各種の試験に供されることとなる。
その結果、すでにしっかりとプルーフィングされていたT1試作重戦車の足周りに比べて、R/L式サスペンションは機構的に脆弱であることが判明した。
またA試作車とB試作車の他に、軽量型R/L式サスペンションを備えた「C試作車」というものも存在したが、B試作車の芳しくない結果を受けて結局ペーパープランに終わってしまった。
最大装甲厚114mm、路上最大速度24マイル(38.62km)/h、しかも長砲身6ポンド戦車砲または75mm戦車砲搭載というエクセルシアー重突撃戦車の性能は、速度的にはクロムウェル巡航戦車に劣るものの火力と装甲厚では上であり、イギリス軍戦車部隊の救世主であったアメリカ製のM4中戦車に対しても火力、速度で対等な上、装甲厚では本車が凌いでいた。
しかし結局、エクセルシアー重突撃戦車はイギリス陸軍に採用されなかった。
その理由は次のようなものであった。
1.クロムウェル系巡航戦車の量産とそのアップデートによりごく近い将来、そちらの流れでもエクセルシアー重突
撃戦車に近い防御力が得られるだろうという予測。
2.イギリスヘのM4中戦車シリーズの供給が極めて順調であったこと。
3.量産性を考慮して、自国内で生産する車種を絞り込む必要があったため。
4.速度的にはエクセルシアー重突撃戦車に劣るものの、チャーチル歩兵戦車の防御力と火力の強化が順調で、
実戦部隊での評判も良かったこと。
5.エクセルシアー重突撃戦車の生産を担当する予定のEEC社スタッフォード工場は、当時クロムウェル巡航戦車
の生産に追われており、本車の生産を行う余力が無かったこと。
つまりイギリスの戦車製造業界が混乱煩雑を極め、既存の戦車の生産すら手一杯の状況にも関わらず、性能的に優れてはいるがさりとて抜群に優れているわけでもない戦車を、何も無理してまで生産することはないだろうという結論の出し方である。
当時のイギリス戦車関連業界は、とにかくドイツ軍戦車との性能格差を解消しようと様々な試行錯誤を行っていたため、とりあえず本車も試作までは具現化したものと思われる。
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