NATOコードネームでSA-15「ガーントレット」(Gauntlet:籠手)と呼ばれる、師団自走対空ミサイル・システム9K330「トール」(Tor:円環面)は、1975年2月4日付のソ連共産党中央委員会およびソ連閣僚会議決定で、9K33「オサ」対空ミサイル・システムの後継機種として開発着手が発令された、旧ソ連の中では新鋭に位置付けられる低〜中空域用対空ミサイル・システムである。 本システムの開発は1983年まで続けられ、同年12月から丸1年に渡って実用試験が繰り返された。 試験の結果本システムは満足すべき性能を示したため、1986年3月19日付の党中央および閣僚会議決定でソ連軍への制式採用が公布され、量産と配備が開始された。 本システムは、対空機関砲と低空域用対空ミサイルを併用装備する2K22「ツングースカ」自走対空システムと組み合わせて配備される、野戦軍部隊の低〜中空域用自走対空システムである。 本システムの自走発射機9A330は、整備面の運用性を向上させるために「ツングースカ」自走対空システムと同系列の装軌式装甲車台GM-355がベースとして用いられている。 乗員は4名(操縦手、ミサイル操作員3名)で、対空ミサイルおよびランチャー等を含む全備重量は32tである。 レーダー付きの全周旋回式ランチャーに対空ミサイルが内蔵されているため、9A330自走発射機の外見は他の対空ミサイル・システムの捜索レーダー支援車両のように見える。 9A330自走発射機は車体上部に、捜索用レーダーおよび追尾・誘導レーダーを備えた全周旋回式ランチャーを搭載しており、8発の対空ミサイルが真上に向けてランチャー内部に並列で装填されている。 ミサイルは4発ごとに1つのコンテナに納められており、ランチャーへの装填はコンテナごと行われる。 本システムで使用される9M330対空ミサイルは全長2.898m、発射重量165kg、弾頭重量14.8kgで有効射高10〜6,000m、有効射程1,500〜12,000mである。 ミサイルの飛翔速度は最大850m/秒で、有効射程内でのミサイル1発当たりの標準目標航空機(F-15クラスの戦闘機を想定)に対する命中率は、26〜75%である。 また特に西側の地上攻撃ヘリコプターの迎撃能力を重視しており、これらに対して高い連射性能を活かして威力を発揮できるという。 ミサイルの誘導方式は赤外線ホーミングによる自己誘導に加え、レーダーとTVモニターによる外部誘導が併用されており、チャフや電波妨害等各種ジャマーに対応できる。 全周旋回式ランチャーの前面には追尾・誘導レーダーが装備されており、これにはパルスドップラー方式のフェイズド・アレイ・レーダーが採用されている。 なお追尾レーダーは旋回できないので、目標追尾の際にはランチャー全体が旋回する。 全周旋回式ランチャーの後部には捜索レーダーが装備されているが、このレーダーは独立して旋回できる。 捜索レーダーは初期は機械操作式だったが、改良型の「トールM1」では電子操作式となっている。 これらの機能によって「トール」対空ミサイル・システムは25km以内の48目標を探知し、内10目標を追尾し2目標を攻撃できるというから、差し詰めミニイージスともいえよう。 本システムで特徴的なのは、使用する9M330対空ミサイルに垂直発射システムを採用したことである。 これによってランチャーを目標に指向する必要が無くなり、また多数のミサイルを次々と発射できるためリアクションタイムが短縮でき、多数の目標への同時連続対処が可能となる。 ミサイルの垂直発射化は艦艇から始まったがこの時もソ連が西側に先行しており、こうした新方式を逸早く実用化する先見性は評価できる。 9M330対空ミサイルは発射時にまずランチャーから20m上空まで射出され、それからロケット・モーターに点火、加速され、直ちに誘導されて目標に向けて飛翔する。 9M330対空ミサイルおよび各種の支援機器システムを開発したのは、P.D.グルシン主任技師が率いるファケル設計局である。 なおロシア海軍では本システムの艦艇搭載ヴァージョンが運用されており、こちらは3K95「キンジャール」(Kinzhal:短剣)と称される(NATOコードネームはSA-N-9「ガーントレット」)。 一説によると艦艇搭載ヴァージョンの「キンジャール」の方が先に開発が開始され、後で陸上ヴァージョンの「トール」に発展したともいわれる。 「トール」対空ミサイル・システムの1個中隊は4両の9A330自走発射機の装備が基本となっており、支援装備として中隊指揮車両9S737「ランジール」(Ranzhir:規律)、装輪式トラックから成る再装填支援車両9T231、ミサイル運搬車両9T245が配備される。 大隊指揮官車にはBTR-80装甲兵員輸送車をベースとしたPU-12Mが使用され、大隊は基本的に「ツングースカ」自走対空システム1個中隊と混成されることになっている。 1991年からは、改良型対空ミサイル9M331を使用する9K331「トールM1」対空ミサイル・システムも導入された。 9M331対空ミサイルは自己誘導機器の改良が図られており、1発当たりの目標命中率が45〜80%に向上している。 「トールM1」では自走発射機も改良型の9A331が用いられており、ベース車台が改良型のGM-5955装軌式装甲車台に変更されている。 また輸出用の廉価版として、貨物トラックで牽引するトレイラー上に全周旋回式ミサイル発射ランチャーを搭載した「トールM1TA」や、「トールM1B」、拠点防御用の「トールM1TS」等も開発されている。 2007年には、シリーズの最新型である9K332「トールM2E」対空ミサイル・システムが公開された。 「トールM2E」ではシステムの完全自動化、リアクションタイムの短縮、レーダーの探知範囲の拡大等の改良が図られており、同時に4目標を攻撃することが可能になっている。 また小型化された新型の9M338対空ミサイルを使用することができ、この場合は従来の2倍の16発のミサイルを装填することが可能である。 「トール」シリーズは旧ソ連諸国の他、中国、イラン、ギリシャ、エジプト、イエメン、ヴェネズエラ、キプロス、ペルー等に輸出されており、比較的好調なセールス実績を上げている。 |
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<9A331自走発射機> 全長: 7.50m 全幅: 3.30m 全高: 5.10m 全備重量: 34.0t 乗員: 3名 エンジン: 4ストロークV型12気筒液冷スーパーチャージド・ディーゼル 最大出力: 830hp 最大速度: 65km/h 航続距離: 500km 武装: 9M330/9M331対空ミサイル×8 装甲厚: 10mm |
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<9M330/9M331対空ミサイル> 全長: 2.898m 直径: 0.35m 翼幅: 0.65m 発射重量: 165kg 弾頭重量: 14.8kg 誘導方式: 指令誘導(ラジオリンク) 最大飛翔速度: 850m/秒 有効射程: 1,500〜12,000m 有効射高: 10〜6,000m |
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<参考文献> ・「パンツァー2002年7月号 ソ連・ロシア ロケット/ミサイル車輌史(6)」 古是三春 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2019年6月号 能勢伸之のツキイチ安全保障(4)」 能勢伸之 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2006年2月号 ギリシア陸軍のトールM1自走対空ミサイル」 アルゴノート社 ・「パンツァー2024年8月号 北朝鮮兵器カタログ」 荒木雅也 著 アルゴノート社 ・「世界のAFV 2021〜2022」 アルゴノート社 ・「大図解 世界のミサイル・ロケット兵器」 坂本明 著 グリーンアロー出版社 ・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(下)」 古是三春 著 ガリレオ出版 ・「世界の戦闘車輌 2006〜2007」 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」 デルタ出版 ・「最強 世界のミサイル・ロケット兵器図鑑」 坂本明 著 学研 ・「世界の戦車メカニカル大図鑑」 上田信 著 大日本絵画 ・「世界の戦車パーフェクトBOOK」 コスミック出版 ・「新版 ミサイル事典」 小都元 著 新紀元社 ・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」 コーエー ・「世界の装軌装甲車カタログ」 三修社 |
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