九七式中戦車改 新砲塔チハ
|
|
+概要
1935年以降、満州-外モンゴル国境で日本軍とソ連軍がしばしば武力衝突を繰り返すようになり、特に1939年5〜9月のノモンハン事件(ハルハ川戦役)では日ソ両軍の大規模な戦車戦が展開された。
この戦いは、九七式中戦車(チハ車)にとっては初陣であった。
事件当初、日本軍の戦車隊は目覚しい活躍をした。
安岡正臣中将の率いる第一戦車団は歩兵直協の方針を採らず、独自に夜間の奇襲攻撃をかけソ連軍に打撃を与えた。
当時の日本軍の戦車運用の主流は「歩兵直協」で、第一線の歩兵に直接協同して敵の機関銃などの重火器を制圧し、前線の鉄条網を破り突撃路を開くのが役目であった。
従って、戦車もその用法に合わせて設計されていた。
日本軍がノモンハン事件に投入した戦車は八九式中戦車、九五式軽戦車、九七式中戦車で、八九式および九七式中戦車は低初速の短砲身5.7cm戦車砲を装備していた。
それに対しソ連軍は、高初速の長砲身45mm戦車砲を備えたBT快速戦車やT-26軽戦車が主力であり、歩兵部隊も同口径の対戦車砲を備え日本軍戦車に手痛い損害を与えた。
その威力は日本軍戦車の短砲身砲を大きく上回り、日本軍戦車の損傷車が続出した。
このノモンハン事件の苦い経験から、日本陸軍は九七式中戦車に装甲貫徹力に優れた新型戦車砲を搭載することを計画し、1939年8月から陸軍技術本部で新型戦車砲の研究が開始された。
まず、当時研究中であった牽引式の試製四十七粍砲(後の一式機動四十七粍砲)の砲身を、九四式七糎戦車砲の砲架を利用して技術試験が行われた。
そしてこの試験を足掛かりとして新たに試製四十七粍戦車砲が設計され、次に照準機と撃発装置の改修を行った後機能や抗堪性、弾道性能の確認が実施された。
さらに1940年9月、九七式中戦車の後継中戦車として試作されたチホ車の砲塔を利用して試製四十七粍戦車砲を装備し、これを九七式中戦車の車体に載せて抗堪弾道試験が行われた。
翌41年1月、戦車に載せた試製四十七粍戦車砲の実用試験は陸軍戦車学校および陸軍騎兵学校で関係者の手で行われ、これに小修正を施した後の9月に仮制式となり、1942年4月1日に「一式四十七粍戦車砲」として正式に採用されたのである。
また同時に開発が進められていた新型砲塔も完成し、従来の九七式中戦車の砲塔より大きくなった。
この一式四十七粍戦車砲を装備する新型砲塔を搭載した九七式中戦車は「九七式中戦車改」、別名「新砲塔チハ車」と呼ばれた。
新型砲塔の全長は約193cm、最大幅は142cmで、砲の操作上後方部分がより広くなっていた。
一式四十七粍戦車砲は尾栓が垂直鎖栓式で、狭い戦車内での操作が容易にできるよう作られていた。
このため従来の砲塔と同様、砲塔が固定している場合でも一定角度は肩当により主砲を左右に旋回することができるようになっており、その角度は左右各10度ずつであった。
一方主砲の俯仰に関しては、従来の砲塔のような肩当による操作ではなく、俯仰ハンドルを用いて操作するよう変更された。
一式四十七粍戦車砲は一式徹甲弾を使用した場合砲口初速810m/秒、発射速度10発/分で、射距離500mで65mm、1,000mで50mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能とされていた。
1945年7月のアメリカ軍の情報報告書によると、一式四十七粍戦車砲によりM4A3中戦車の装甲(具体的な部位は未記述)を射距離500ヤード(457m)以上から貫徹することが可能と記述され、実戦では一式四十七粍戦車砲による約30度の角度からの射撃(射距離150〜200ヤード:137〜183m)により、M4中戦車の装甲は6発中5発が貫徹された(命中箇所不明)との報告の記述がある。
一式四十七粍戦車砲の照準具は一式照準眼鏡で倍率4倍、視界14度であり、眼鏡には2,000mまでの徹甲弾用目盛が刻まれていた。
なお、一式四十七粍戦車砲は砲兵が装備する一式機動四十七粍砲をベースに開発されたため、両者は共通の弾薬を使用するようになっていた。
この一式四十七粍戦車砲を装備した九七式中戦車改が初めて戦場に登場したのは1942年5月5日、フィリピンのコレヒドール島攻略戦であり、苦戦を続けていた戦車第七連隊の応援車として1個中隊が編制され、急ぎ戦場へ送られたのであった。
しかし、この中隊がフィリピンに到着した時にはアメリカ軍はバターン半島に逃げ込んでおり、アメリカ軍戦車との砲戦の機会は無かった。
1944年6月16日深夜、サイパン島のアメリカ軍橋頭堡に対して戦車第九連隊(定数47両)の九七式中戦車と同改が反撃に出た。
戦車はアメリカ軍の第一線を突破しアメリカ軍砲兵陣地の近くまで到達したが、敵砲火特にバズーカで阻止され戦車隊はほぼ全滅した。
太平洋の孤島における戦闘で、日本軍がこれほどの数の戦車を集結使用したのはこれが最初で最後であった。
九七式中戦車改は沖縄や千島を含む他の孤島での戦闘にかなりの数が投入されたが、いずれも全滅している。
マレー作戦での九七式中戦車のような華々しい活躍の場は、ついに無かった。
また九七式中戦車改の一部は1944年6月以降、ロードシャベルを取り付けてフィリピン近くの離島の飛行場設定に使われたという。
|
<九七式中戦車改>
全長: 5.52m
全幅: 2.33m
全高: 2.38m
全備重量: 15.8t
乗員: 4名
エンジン: 三菱SA12200VD 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 170hp/2,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 210km
武装: 一式48口径47mm戦車砲×1 (100発)
九七式車載7.7mm重機関銃×2 (4,220発)
装甲厚: 10〜25mm
|
兵器諸元(九七式中戦車改)
兵器諸元(九七式中戦車改・甲)
兵器諸元(九七式中戦車改・乙)
兵器諸元(九七式中戦車改・丙)
|
<参考文献>
・「グランドパワー2010年12月号 日本陸軍 一式/三式中戦車と二式砲戦車」 鈴木邦宏/浦野雄一/国本康
文 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2016年2月号 日本陸軍 九七式中戦車」 鈴木邦宏/国本康文 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2004年5月号 日本軍中戦車(2)」 真出好一 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「パンツァー2001年12月号 ソ連軍調査リポート クビンカの九七式中戦車改」 真出好一 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年9月号 帝国陸軍の戦車武装 戦車砲と車載機銃(下)」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年1月号 九七式中戦車とそのバリエーション」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「パンツァー2003年11月号 九七式中戦車改 vs BT-7」 小野山康弘 著 アルゴノート社
・「パンツァー2006年5月号 日本陸軍 一式中戦車(チヘ)」 高橋昇 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2018年7月号 九七式中戦車 チハ」 吉川和篤 著 アルゴノート社
・「日本の戦車と装甲車輌」 アルゴノート社
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「戦後の日本戦車」 古是三春/一戸崇雄 共著 カマド
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
|
関連商品 |
ファインモールド 1/35 日本陸軍 九七式中戦車 新砲塔チハ プラモデル FM21 |
ヴィジョンモデルズ 1/35 帝国陸軍 九七式チハ中戦車用可動履帯セット VA9003 |