+概要
ドイツ軍はソ連軍が多用した自走式ロケット兵器、いわゆる「カチューシャ」に興味を持ち、東部戦線でソ連軍から鹵獲したBM-8カチューシャと82mmロケット弾GRS-82をコピーした、車載型の8cmロケット兵器を製作した。
ドイツ軍が多用した牽引型の41式15cmロケット弾発射機などのロケット兵器が、ロケット弾を回転させることで飛翔時の安定性を図ったのに対し、この8cmロケット弾は尾部に4枚の安定翼を装着するという単純な方式が採られ、榴弾と煙幕弾の2種が用意された。
8cmといわれるが実際の弾体直径は78mmで、弾体内に炸薬としてTNT火薬610gと推進剤、およびロケットモーター2基を収め、全長70.3cmでその重量は6.88kgという小型・軽量のロケット弾であった。
それでいながら最大射程は5,300mと長く、後述するランチャーには最大48発を搭載できたので、それぞれの破砕効果はさほどではないものの、その量による面制圧力は決して少ないものではなかった。
全長1.86mのランチャーは、ロケット弾を装着するためのレールを上下に収めるため、わずかな隙間を空けた状態で11個の円形肉抜き穴を開口した金属板2枚で1基が構成された。
これを上下それぞれ12基を金属支柱により並列に取り付け、中央に配されたUの字形のランチャー架に装着した上で、台形の旋回架台に取り付けて全周旋回を可能とした。
上下のレールにそれぞれロケット弾を装着するためにその搭載数は48発を数え、最大+45度までの仰角を与えることができた。
この8cmロケット弾発射機は元々、民生用の3tトラックをベースに開発された簡易型ハーフトラックであるSd.Kfz.3「マウルティア」(Maultier:ラバ)に、装甲ボディを架設した自走ロケット車両への搭載を目的として開発されたものであり、1943年2月にはその試作車が完成した。
試作車による試験の結果は良好で、8cmロケット弾発射機は41式15cmロケット弾発射機と比べてより効果的とアドルフ・ヒトラー総統に報告された。
しかしヒトラーはより大口径の破壊力を求め、15cmロケット弾発射機を備えたタイプの自走ロケット車両の生産を進める一方で、さらなる比較試験を行うことを要求した。
このため結局、8cmロケット弾発射機を搭載した自走ロケット車両は本格的な生産に入ること無く敗戦を迎えた。
しかし、武装親衛隊向けの装備として一定数が製作されており、1944年秋頃にもその姿を見ることができた。
また、フランスから鹵獲したS303(f)ハーフトラックを装甲化した上で、この8cmロケット弾発射機を搭載した車両6両が1944年に製作され、西方快速旅団に配備されている。
この車両はいかにも取って付けたような装甲自体が目を引くが、装甲化に際してラジエイターの位置などを変更したので、どことなくドイツ風なイメージも感じさせている。
後方のキャビン内には、榴弾232発と煙幕弾56発の合計288発の8cmロケット弾が収容されたが、1944年6月にノルマンディーに上陸した連合軍との戦闘で全てが失われたようである。
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