7TP軽戦車
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7TP軽戦車 2砲塔型
7TP軽戦車 単砲塔型
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+7TP軽戦車 2砲塔型
ドイツとソ連の2つの大国に挟まれ、さらにこの2国との間に領土問題を抱えていたポーランドは1930年代初めに機甲戦力の強化に取り組み始め、イギリスのヴィッカーズ・アームストロング社にカーデン・ロイドMk.VI豆戦車と6t戦車(Mk.E軽戦車)の購入を打診した。
Mk.E軽戦車については1930年9月から導入が検討され、1932年7月~1933年11月にかけて38両が購入される運びとなった。
内訳は、機関銃を装備する小砲塔2個を左右並列に搭載した2砲塔型のタイプAが22両、47mm速射砲を装備する全周旋回式砲塔を搭載した単砲塔型のタイプBが16両である。
ポーランド側の要求で、これらのMk.E軽戦車は搭載機関銃をオリジナルの7.7mmヴィッカーズ液冷機関銃から、アメリカのブラウニング火器製作所製の7.92mm液冷重機関銃wz.30(アメリカ軍が使用していた7.62mm液冷重機関銃M1917の口径拡大型)に換装していた。
購入したMk.E軽戦車を運用する一方で、ポーランドはヴィッカーズ社からMk.E軽戦車のライセンス生産権も購入し、Mk.E軽戦車の運用経験を踏まえたポーランド独自の改良を盛り込んだ新型軽戦車を生産することにした。
開発に当たったのはワルシャワ近郊の国営ウルスス工廠で、「VAU-33」(ヴィッカーズ・アームストロング・ウルスス1933年型)という試作車を経て、「7TP」(ポーランドの7t級戦車)として制式化されて生産が開始された。
ただし、7TP軽戦車は各種の改良によってオリジナルのMk.E軽戦車より重量が増加したため、呼称とは裏腹に実際には9t級の戦車となっている。
7TP軽戦車の最大の改良点は、Mk.E軽戦車が搭載していたイギリスのアームストロング・シドレイ社製の水平対向4気筒空冷ガソリン・エンジン(出力80hp)に代えて、スイスのザウラー社製のVBLDb
直列6気筒液冷ディーゼル・エンジン(1934/35年型)を国産化したPZlnz.235ディーゼル・エンジン(出力110hp)を搭載したことである。
ディーゼル・エンジンはガソリン・エンジンに比べて燃費が良く、火災の危険性も低いという大きなメリットがあるため、現在ではほとんどの戦車がディーゼル・エンジンを採用しているが、当時の戦車はほとんどがガソリン・エンジンを搭載しており、7TP軽戦車は日本の八九式中戦車乙型や九五式軽戦車と並んで、世界で最も早くディーゼル・エンジンを採用した実用戦車となった。
ただし、オリジナルのエンジンが水平型だったのに対しPZlnz.235エンジンは直立型であるため、このエンジンを搭載するために7TP軽戦車の機関室は戦闘室と同じ高さまで上方向に拡大しなければならなかった。
一方、エンジン出力は原型のVBLDbエンジンよりも強化されており(92hpから110hpへ)、7TP軽戦車はMk.E軽戦車に比べて重量が2t程度増加したにも関わらず、路上最大速度32km/hの機動性能を発揮できた。
またディーゼル・エンジンへの換装によって燃費が向上したことにより、路上航続距離はMk.E軽戦車の120kmから150kmに延伸された。
7TP軽戦車の足周りは基本的にMk.E軽戦車と同様であったが、重量が増加したことへの対処としてサスペンションのスプリングが強化されていた。
また、車体各部の装甲厚もMk.E軽戦車に比べて若干強化されていた。
一方、7TP軽戦車の武装についてはMk.E軽戦車と同様の形態を踏襲することになり、機関銃装備の小砲塔2個を左右並列に搭載する2砲塔型と、戦車砲装備の全周旋回式砲塔を搭載する単砲塔型の2種を生産することが企図された。
しかし、後者については搭載火砲と砲塔の開発に手間取ったため(Mk.E軽戦車が装備していたヴィッカーズ社製の47mm速射砲に代えて、スウェーデンのボフォース社製の37mm対戦車砲の搭載を予定し、同社に砲塔の設計も依頼した)、当面は2砲塔型の7TP軽戦車を先行して生産することとなった。
7TP軽戦車 2砲塔型の生産は1935年夏に開始されたが、1937年にはより武装が強力な単砲塔型に生産が移行したため、2砲塔型の生産数は38~40両に留まっている。
また2砲塔型はごく初期の生産車では、フランスのオチキス社製の7.92mm空冷重機関銃wz.25(フランス軍が使用していた8mm空冷重機関銃M1914を国産化したもの)を装備したタイプもあったが、主にアメリカ製の7.92mm液冷重機関銃wz.30を装備した。
7TP軽戦車 2砲塔型の砲塔は基本的にMk.E軽戦車のタイプAの砲塔と同様のものであったが、砲塔の上には機関銃の弾倉を収めるための大きな張り出しが斜め前方に向かって突き出ていた。
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+7TP軽戦車 単砲塔型
一方、単砲塔型の7TP軽戦車の試作は1936年にようやく行われた。
これは砲塔の開発に時間が掛かったことに加え、37mm対戦車砲のライセンス生産の準備にも手間取ったためで、結局単砲塔型の生産が開始されたのは1937年の第2四半期からであった。
単砲塔型の7TP軽戦車は車体については2砲塔型とほとんど同じであったが、戦闘室上部にボフォース社によって設計された2名用の全周旋回式砲塔を搭載していた。
この砲塔はMk.E軽戦車のタイプBの砲塔と同様に円錐形だったが一回り大型化されており、試作車では砲塔上面にはハッチが無く、代わりに砲塔後面にハッチが設けられていた。
戦闘室内の右側に操縦手が位置するため、Mk.E軽戦車と同様に砲塔はやや左にオフセットして搭載されたが、7TP軽戦車の砲塔は一回り大きいため砲塔リングが戦闘室の左端ぎりぎりまで達していた。
砲塔防盾には、45口径37mm対戦車砲wz.37と7.92mm重機関銃wz.30を同軸に装備していた。
この防盾は非常に厚みのある箱型構造になっており、前面15mm、側面10mm厚の圧延鋼板をリベット接合して構成されていた。
主砲の37mm対戦車砲wz.37は防盾の中央からやや右にオフセットして装備され、防盾の中央やや左寄りに円筒形の装甲カバーを設けて同軸機関銃の7.92mm重機関銃wz.30が装備されていた。
機関銃マウントの右上部には直接照準機が設置されており、戦車砲・機関銃共に兼用するものとなっていた。
併せて、砲塔上面左側には砲手用の潜望鏡式照準機も視察用を兼ねて装備されていた。
主砲の37mm対戦車砲wz.37は、ポーランドがボフォース社からライセンス生産権を購入して国産化した牽引式の37mm対戦車砲wz.36を車載用に改修したもので、ポーランドは第2次世界大戦開始時には牽引式の37mm対戦車砲を1,200門装備していた。
37mm対戦車砲wz.37は徹甲弾を使用した場合、射距離1,000mで20mm厚の均質圧延装甲板(傾斜角30度)を貫徹することが可能で、Mk.E軽戦車が装備していた短砲身の47mm速射砲に比べて対装甲威力が向上していた。
7TP軽戦車の砲塔内部のデザインは当時としてはかなり機能的なもので、砲手は同軸機関銃の真後ろ、戦車砲の左側部分の後部に設けられた座席に位置し、砲塔の旋回および操砲をするようになっていた。
半自動閉鎖機構を持つ37mm対戦車砲wz.37には、砲尾部に蹴り出された空薬爽を下部のトレイに導く薬莢返しが設けられ、砲弾の装填は砲尾右側に位置する車長が行った。
7TP軽戦車の生産型では、車長席の上部に全周旋回可能なペリスコープの付いた前開き式の車長用ハッチが設けられ、砲塔後面のハッチは廃止されて代わりにバスルが新設された。
このバスルにはN2C無線通信機が搭載され、車長が操作するようになっていた。
これはすでに3名用砲塔を採用していたドイツ軍のIII号戦車には及ばなかったものの、戦闘室・砲塔内スペースの有効活用と乗員の機能分担面では、このクラスの軽戦車としては高い水準で人間工学上の効率性を追求したものといえた。
ディーゼル・エンジンの搭載と合わせ、この武装システムによって7TP軽戦車はライセンス生産型でありながら、オリジナルのMk.E軽戦車を凌駕する性能を獲得したのである。
ただし装甲厚についてはMk.E軽戦車より若干強化されたものの、7TP軽戦車の2砲塔型、単砲塔型共に車体前面の最厚部でも17mmしかなく、その他の部分の装甲厚は10mm前後しかないため、小火器弾に耐えられる程度の貧弱な防御力しかなかった。
ポーランドではこの欠点を補うため、7TP軽戦車の前面装甲厚を40mmに強化した防御力向上型の開発を計画したが、試作に入る前に第2次世界大戦が始まってしまい立ち消えとなった。
いずれにしろ、第2次世界大戦の前夜にポーランドが戦力化を急いだ7TP軽戦車は、2砲塔型と単砲塔型を合計して、ドイツ軍のポーランド侵攻までに139両が完成した(2砲塔型の生産数が38~40両とされているので、単砲塔型は約100両完成したことになる)。
開戦後も余剰パーツを用いて2砲塔型が16両追加生産されており、7TP軽戦車の総生産数は155両となった。
7TP軽戦車の派生型としては、同時並行的に開発された非装甲のC7P砲牽引車が存在する。
「C6T」の呼称で1933年に製作された試作車ではエンジンが車体前部に置かれ、起動輪が後部、誘導輪が前部という戦車型と逆の配置になっていたが、生産型の「C7P」では戦車型と同じ配置に戻されている。
1934年に量産が開始されたC7P砲牽引車はドイツ軍の侵攻までに151両が完成し、220mm榴弾砲wz.32を18門装備した第1重砲連隊で運用されるなど、中・重砲の牽引やその弾薬運搬トレイラーの牽引に使用された。
第1重砲連隊は99両のC7P砲牽引車を装備し、他の砲兵部隊もそれぞれ9両ずつ装備していた。
またC7P砲牽引車は戦車部隊にも配備が進められ、7TP軽戦車の各小隊は1両ずつC7P砲牽引車を保有していた。
1939年7月の時点で、合計18両のC7P砲牽引車が戦車部隊に配備されていた。
その内訳はモドリン中央戦車学校に7両、第2戦車大隊に5両、第3戦車大隊に4両、第4戦車大隊に2両、第5戦車大隊に3両、ルノーR35軽戦車で編制された大隊に4両となっていた。
またC7P砲牽引車は、工兵部隊にも少数が配備された。
1940年の目標計画では、工兵部隊が合計52両のC7P砲牽引車を受領することが予定されていたが、ドイツ軍の侵攻によりこれは実現しなかった。
実際には1937~38年にかけてわずか2両のC7P砲牽引車が届けられたのみで、これらは工兵技術研究局に置かれた。
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+7TP軽戦車の戦歴
ドイツ軍がポーランド侵攻作戦(Unternehmen Weiß:白作戦)を開始した1939年9月1日の時点で、ポーランド軍は以下の機甲兵力(実働部隊配備)を有していた。
TK-3豆戦車219両、TK-F豆戦車13両、TK-S豆戦車169両、7TP軽戦車120両、ルノーR35軽戦車/オチキスH35軽戦車45両、Mk.E軽戦車34両、ルノーFT軽戦車45両(改良型のルノーNC軽戦車を若干含む)、wz.29装甲車8両、wz.34装甲車80両。
その他に、鉄道用装甲貨物車として改修・運用されていたルノーFT軽戦車が32両あった。
開戦時、ポーランド軍はMk.E軽戦車で編制された2個戦車中隊(第12と第121、各中隊とも5両から成る小隊3個+中隊長車の16両で編制)をクラコフ軍に配置し、7TP軽戦車は2個戦車大隊(第1と第2、各大隊49両)に編制されていた。
これらの7TP軽戦車は37mm対戦車砲wz.37を装備する単砲塔型で、機関銃装備の2砲塔型は火力不足のために実戦部隊には配備されず、主に訓練用として使用されていた。
しかしポーランド軍劣勢の状況下、9月4日にはモドリン中央戦車学校に在籍していた7TP軽戦車 2砲塔型から11両が抽出されて独立第1戦車中隊が編制され、ワルシャワ防衛戦に投入された。
同中隊は9月12日にワルシャワ前面に迫っていたドイツ第4機甲師団との戦いに投入されたが、貧弱な武装が災いしてたちまち半数以上が撃破されてしまった。
しかし9月後半には7TP軽戦車 2砲塔型を用いてさらに独立第2戦車中隊も編制され、すでに敗色濃厚になっていた9月26日にワルシャワ市街戦に投入された。
一方、37mm対戦車砲を搭載した7TP軽戦車 単砲塔型の方は、7.92mm機関銃や2cm機関砲が主武装だったドイツ軍のI号、II号戦車に対して優位性を示し、9月5日には第2戦車大隊の1両の7TP軽戦車が5両のI号戦車を撃破・炎上させる戦果を挙げている。
しかし空陸一体となったドイツ軍の展開する電撃戦を前に、数で圧倒的に劣るポーランド軍は総崩れとなり、7TP軽戦車も充分に力を発揮できないまま失われていった。
さらに9月17日にはソ連軍もポーランド東部への侵攻を開始し、10月1日までにポーランド全域が独ソ両軍に完全に制圧されてしまった。
なお7TP軽戦車はドイツ軍によって2砲塔型、単砲塔型の両方が複数鹵獲されて、ポーランド戦の最中に前線部隊によって直ちに活用された。
これらは他の鹵獲装甲車両(TK-S豆戦車等)と共に、1939年10月5日にヒトラー総統臨席の下でワルシャワで挙行されたドイツ軍の戦勝パレードに参加した上、本国に参考試験と戦勝誇示の展示宣伝用に送られた。
またソ連軍も侵攻時に1両の7TP軽戦車 単砲塔型を無傷で鹵獲し、早くも同年11月にクビンカのソ連軍機甲局附属装甲・戦車科学技術研究所(NIIBT)に送られて各種分析・試験に付された後、ウクライナ共和国の首都キエフに送られて「西北ウクライナ解放作戦」を記念した一般展示で公開された。
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<7TP軽戦車 2砲塔型>
全長: 4.75m
全幅: 2.40m
全高: 2.273m
全備重量: 9.4t
乗員: 3名
エンジン: PZlnz.235 4ストローク直列6気筒液冷ディーゼル
最大出力: 110hp
最大速度: 32km/h
航続距離: 150km
武装: 7.92mm重機関銃wz.30×2 (3,960発)
装甲厚: 5~17mm
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<7TP軽戦車 単砲塔型>
全長: 4.75m
全幅: 2.40m
全高: 2.273m
全備重量: 9.9t
乗員: 3名
エンジン: PZlnz.235 4ストローク直列6気筒液冷ディーゼル
最大出力: 110hp
最大速度: 32km/h
航続距離: 150km
武装: 45口径37mm対戦車砲wz.37×1 (80発)
7.92mm重機関銃wz.30×1 (3,960発)
装甲厚: 5~17mm
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兵器諸元(7TP軽戦車 単砲塔型)
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<参考文献>
・「パンツァー2006年6月号 各国多砲塔戦車の歴史 ドイツ/ポーランド」 柘植優介 著 アルゴノート社
・「パンツァー2000年1月号 イギリスのビッカーズ6t戦車」 真出好一 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2001年7月号 ヴィッカース6t戦車ファミリー」 古是三春 著 デルタ出版
・「グランドパワー2014年6月号 ソ連軍 T-26軽戦車」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車
1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「捕獲戦車」 W.J.シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「ビジュアルガイド
WWII戦車(1)
電撃戦」 川畑英毅 著 コーエー
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「世界の無名戦車」 斎木伸生 著 三修社
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
・「第二次大戦 戦車大全集」 双葉社
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