75式自走155mm榴弾砲
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+開発
75式自走155mm榴弾砲(略称:75HSP)は、それまでアメリカ軍から有償供与されていたM52 105mm自走榴弾砲、M44 155mm自走榴弾砲の後継として74式自走105mm榴弾砲と同時期に開発されたもので、後継の99式自走155mm榴弾砲が登場するまで、長らく陸上自衛隊の主力自走榴弾砲の地位を担ってきた車両である。
本車の開発がスタートした1965年は、陸上自衛隊の第2世代MBT(主力戦車)である74式戦車や、第2世代APC(装甲兵員輸送車)である73式装甲車の開発が始まったばかりの頃であった。
当時、陸上自衛隊の野戦特科(砲兵科)の機材は依然としてアメリカ軍供与の火砲と牽引車が主役であり、その陳腐さが目立ち始めていた。
さらに当時、列強諸国は新型自走榴弾砲の装備化を急速に進めており、これに対抗して日本も新型自走榴弾砲を国産化することが必然の成り行きと考えられていた。
なお、現在では自走榴弾砲の主砲口径は西側では155mm、東側では152mmが主流となっているが、当時は前線の部隊を密接に支援するには小回りが効き、発射速度の速い105mmクラスの自走榴弾砲がまだまだ有用とする意見も根強かった。
そこで、新型自走榴弾砲は直接支援用の小回りの効く105mm自走砲と、大柄な全般支援用の155mm自走砲の2本立てで開発されることになった。
これは後に前者が74式自走105mm榴弾砲、後者が75式自走155mm榴弾砲として実用化されることになるのだが、前述のように西側諸国の自走榴弾砲の標準口径が155mmに統一される流れが広まったため、74式自走榴弾砲はわずか20両で調達が打ち切られる結果となった。
75式自走榴弾砲の開発は74式自走榴弾砲よりやや遅れて始まり、1965年度に「155HSP」の開発呼称で期待性能案が作成されている。
ちなみに、74式自走榴弾砲(開発呼称:105HSP)の期待性能案が作られたのは1964年度である。
1968年度には155HSPの期待性能がまとまり、翌69年度には防衛庁技術研究本部(Technical Research and Development
Institute:TRDI)の委託研究となって開発目標が決定され、TRDIを中心に部分試作が開始された。
155HSPの試作は、三菱重工業の担当となった車体部が先行して行われ、日本製鋼所が担当した砲塔部の試作はやや遅れて始まった。
車体のみの部分試作車に主砲を搭載しての射撃試験等を経て、1971年度には全体試作に進み、翌72年度までに2両(一説には4両)の全体試作車が製作された。
155HSPの砲塔については、給弾方式の違うI型、II型の2型式が試作されたという。
この内ドラム式のI型給弾装置は全体試作第1号車、重力式のII型給弾装置は全体試作第2号車に搭載されたようである。
また155HSPの主砲である155mm榴弾砲についても、開発段階では短砲身(24口径長)のものと長砲身(30口径長)のものが試作されたが、射程第一を主張する運用側の意見が通り、生産型と同じ30口径長のものに決定したという。
なお155HSPは試作時点では、車体後部に射撃時の反動を吸収するための駐鋤を備えていたが、射撃試験の結果不要と判明したため生産型では未装備となった。
155HSPは1972年度から技術試験に入り、1973〜74年度にかけて装備開発実験隊を主体として実用試験が行われた。
この試験では約700発の155mm弾薬を使用し、火力性能、整備性、信頼性等について試験が行われ、給弾装置(新たにIII型を作成)、パノラマ眼鏡(眼鏡フード等変更)、車体前部灯火(取り付け位置等変更)、閉鎖機開閉カム(作動改善)、偽装金具(砲塔にフック取り付け)等の数多くの改善事項が挙げられた。
これらの試験の後、1974年12月には155HSPを陸上自衛隊の制式装備として採用することが決定され、1975年10月に「75式自走155mmりゅう弾砲」として制式化が行われた。
75式自走榴弾砲は1977〜85年度にかけて合計で201両が調達され、北部方面隊の各師団特科連隊、つまり第2、第5、第7、第11特科連隊および特科教導隊等に配備された。
75式自走榴弾砲は、開発された当時は他国の自走榴弾砲に劣らない一流の性能を持っていたが、2000年代に入る頃には旧式化が目立ってきたため新型の99式自走榴弾砲によって更新が進められ、2014年3月までに全車が退役している。
なお、22大綱において陸上自衛隊の火砲の定数が400門に削減され、さらに25大綱では300門に削減されたため、99式自走榴弾砲は全ての75式自走榴弾砲を更新するほどの生産は行われない模様である。
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+車体の構造
75式自走榴弾砲の車体は三菱重工業が開発を担当し、耐弾能力の強化と軽量化を目的として防弾アルミ板の溶接構造となっているが、74式自走榴弾砲のように浮航はできない。
75式自走榴弾砲の車体を構成する防弾アルミ板の候補には、非熱処理材である5083と熱処理材の7039の2つが挙げられた。
非熱処理材である5083は溶接がやり易いという利点があったが、機械強度や耐弾性では7039に劣っていた。
一方、熱処理材である7039は応力腐食割れという現象が起こることが知られていたが、これは板の端面を溶接ビードで完全に覆い隠す「バタリング」という処理をすれば解決できたため、75式自走榴弾砲はバタリングを施した7039防弾アルミ板を用いて製造されることになった。
75式自走榴弾砲の車内レイアウトは車体前部右側に操縦室、前部左側に機関室が配置されており、車体後部は砲塔を搭載した戦闘室となっている。
エンジンはZF系列の空冷2ストローク・ディーゼル・エンジンが搭載されており、変速機はパワーシフト方式、操向機はハイドロスタティック方式が採用されている。
75式自走榴弾砲に採用されたZF空冷ディーゼル・エンジンは、一式/三式中戦車や二式砲戦車などの旧日本軍AFVに採用された統制型空冷ディーゼル・エンジンと同様のコンセプトで三菱重工業が開発したもので、シリンダーやピストンなどエンジンの基本的な部品を共通化し、車両ごとにエンジンの気筒数を変更することで必要な出力を得る仕組みになっている。
こうすることでエンジン部品の共通化を図ることができ、エンジンの開発コストも抑えることができるという発想である。
ZFエンジンの基礎研究は61式戦車の第1次試作が進められていた1956年に早くも開始されており、1960年に「4ZE」の呼称で2ストローク直列4気筒空冷ディーゼル・エンジン(出力200hp)の試作が行われた。
このエンジンの原型となったのは、三菱重工業が旧日本軍の高速魚雷艇用に開発した2ストローク液冷ディーゼル・エンジンで、4ストロークエンジンに比べて小さい排気量で高出力を発揮することが可能であった。
38t級の74式戦車には10ZFエンジン(出力750hp)、13t級の73式装甲車には4ZFエンジン(出力300hp)が用いられることになったため、25t級の75式自走榴弾砲のエンジンとしては6ZFエンジン(出力450hp)がごく自然に最有力候補となった。
75式自走榴弾砲は当初の計画では出力/重量比20を狙っており、計画重量が25tだったことからエンジン出力は約500hpが妥当と考えられていた。
それに比べると6ZFエンジンの出力はやや低かったが、自走榴弾砲は後方から火力支援を行う車両であることから機動性が多少低くなってもさほど問題は無いとされ、すんなりとそれで進むことに決定した。
ちなみに、6ZFエンジンは2ストロークの90度V型6気筒直噴式空冷ディーゼル・エンジンで排気量は12.9リットル、ターボチャージャーによって過給されており最大出力は450hp/2,200rpmとなっている。
75式自走榴弾砲の足周りは、全高を抑えるために上部支持輪の無いフラットトラック方式を採用しており、さらに誘導輪を接地させて接地長を長くし、射撃時の車体安定を図っている。
サスペンション方式は、現用AFVで広く用いられているトーションバー(捩り棒)方式を採用している。
フラットトラック方式の足周りは元々アメリカ陸軍が開発したもので、前述のように上部支持輪を廃止することで車両の全高を抑えることができるという利点があったが、通常の足周りに比べて走行中に履帯が外れ易く、超堤能力が低いという欠点があったため、後継の99式自走榴弾砲では上部支持輪を持つ通常の足周りに戻されている。
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+砲塔の構造
75式自走榴弾砲の主砲に採用された155mm榴弾砲は中砲としては初の完全国産砲であり、開発は日本製鋼所が担当している。
口径長30口径、砲身重量約1.1tで、隔螺式閉鎖機と変後座長の液気圧式復座機を持つ嚢砲である。
砲身には二重作動式の砲口制退機と、排煙機が備えられている。
閉鎖機は初弾装填時のみ手動で開放され、その後は発砲時の反動を利用して自動的に開放される。
主砲の俯仰角は約−5〜+65度で、俯仰は油圧によって行われる。
照準には、従来の標桿照準に代わってコリメーターが使用されている。
また砲塔上面右寄りには「J2型」と呼ばれる展望式照準機が装備されており、倍率は4倍、視野角は10度となっている。
また特徴として、方向諸元のディジタル表示装置が備えられていることが挙げられる。
この照準機は通常二重式の円筒型カバーに収められており、NBC防護が必要な場合はこのカバーを取り外し、砲塔上面に取り付けられたハッチを閉じる。
なお、NBC防護時には砲塔リング部に備えられたゴムチューブを膨らませ、砲塔は密閉固定されるためどちらにしろ射撃は不可能になってしまう。
直接照準機は「J3型」と呼ばれ、砲身の右側上部防盾部に取り付けられており、倍率は4倍、視野角は10度となっている。
さらに上記の照準眼鏡に加えて、傾斜角センサー、角度指示器、インバーターから成る電気式高低照準具があり、気泡式水準儀で傾斜角を検出し、数値をディジタル表示するシステムが備えられている。
日本製鋼所の手になる防弾アルミ製(車体と同じ7039を使用)の砲塔は全周旋回が可能で、油圧による動力旋回の場合、360度旋回を約30秒で行うことができる。
また俯仰、旋回共に手動による操作も可能で、旋回については高速・低速2段の切り換えが可能となっている。
主砲の最大射程は、新たに開発された弾丸重量43.5kgの75式榴弾(長射程弾)と専用の9号装薬の組み合わせで19,064mとされている。
この時の砲口初速は、720m/秒である。
砲塔後部には、各9発の弾丸を格納するドラム式の弾倉が左右に並べて2基搭載されており、中央にある伸縮式の装填トレイとラマーによって弾丸の自動装填が可能となっている。
信管の装着や測合については、このドラムに収納された状態でもできる。
信管は戦闘室内左右にある4つのコンテナに1個当たり14発分、計56発分を収納できるようになっている。
弾丸の装填は、以下のようなサイクルで行われる。
まず油圧駆動のクランプが外れ、弾丸が1発装填トレイに落ちる。
次に弾丸を載せた装填トレイが砲尾に前進し、さらに一部が手動で砲尾環の奥まで延ばされる。
次に装填トレイの上にあった装填機が砲身の軸線位置まで下がり、油圧駆動のラマーが伸びて弾丸を砲尾に押し込む。
最後に全ての装置が元の位置に戻り、次弾の装填に備える。
以上のようなサイクルが繰り返され、2基のドラムに収められた各9発、計18発の弾丸が機力装填される。
通常、続いて装填手によって射距離に応じた装薬が装填され、閉鎖機を閉じて発射となる。
自動装填装置の作動角度は約6度に固定されているが、スイッチ1つで自動的に装填位置に砲身を俯仰させる自動復帰装置を有している。
発射速度は、最大で約6発/分とされている。
携行する弾丸は床下の10発と装填ドラム内の18発合わせて28発となっており、同じく装薬は砲塔内の10発、戦闘室内右側の8発、左側の10発合わせて28発を携行する。
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<75式自走155mm榴弾砲>
全長: 7.79m
車体長: 6.64m
全幅: 2.98m
全高: 2.55m
全備重量: 25.3t
乗員: 6名
エンジン: 三菱6ZF21WT 2ストロークV型6気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル
最大出力: 450hp/2,200rpm
最大速度: 47km/h
航続距離: 300km
武装: 75式30口径155mm榴弾砲×1 (28発)
12.7mm重機関銃M2×1 (1,000発)
装甲厚:
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<参考文献>
・「パンツァー1999年4月号 陸上自衛隊75式自走155mm榴弾砲 その開発過程と構造・機能」 林磐男/田村尚也
共著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年7月号 陸自特科の自走化に貢献した75式自走155mm榴弾砲」 アルゴノート社
・「パンツァー2003年3月号 陸上自衛隊の試作車輌」 高城正士 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年6月号 陸上自衛隊 75式自走155mm榴弾砲」 アルゴノート社
・「パンツァー2009年1月号 陸上自衛隊の装備車輌」 アルゴノート社
・「パンツァー2014年3月号 陸上自衛隊AFV 2014」 アルゴノート社
・「世界のAFV 2011〜2012」 アルゴノート社
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」 デルタ出版
・「陸上自衛隊 車輌・装備ファイル」 デルタ出版
・「世界の戦闘車輌 2006〜2007」 ガリレオ出版
・「自衛隊歴代最強兵器 BEST200」 成美堂出版
・「徹底解剖!世界の最強戦闘車両」 洋泉社
・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」 コーエー
・「世界の装軌装甲車カタログ」 三修社
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