+概要
パンター戦車F型は、G型に続く改良型として1943年末に開発が始められたもので、その骨子には戦訓を加味した装甲強化と生産性向上があった。
これに従ってデュッセルドルフのラインメタル社では、パンターII戦車への搭載を目的として設計した砲塔をベースに新型砲塔の開発を行い、1944年3月1日に基本図面を提出した。
この砲塔が俗に「シュマールトゥルム」(小砲塔)と呼ばれるもので、従来のパンター戦車の砲塔と比べて前面の装甲板の幅がやや減らされ、ショットトラップを引き起こすため評判の悪かった従来の横長円筒形の主砲防盾は、いわゆる「ザウコプフ」(豚の頭)型という円錐形に先が窄まった鋳造製の小型のものに換装されていた。
さらに、画期的な新装備としてステレオ式測遠機が採用されていた。
これは軍艦の測遠機や砲兵観測機材などに使われている、左右に長い鏡筒を持つ距離観測機材である。
それまでの戦車の測遠機は、要するに目測で目標までの距離を測る(見積る)ものだったのに対して、ステレオ式測遠機は正しいデータとして距離が示されるのである。
戦車砲の弾道は低進するので近距離なら距離測定の正誤は大した問題とならないが、遠距離では距離測定の精度が影響してくる。
これは数に劣るドイツ軍戦車が、優越した砲戦性能を活かして遠距離から敵を撃破しようとした発想を示すものであろう。
この図面を受領したドイツ陸軍兵器局第6課は、検討を行って基本要求をまとめ上げた。
兵器局第6課の要求は
・砲塔重量を増やさずに装甲強化
・内部容積を保ちながら砲塔面積の縮小
・ショットトラップを生じない防盾形状
・指揮戦車用アンテナ基部と暗視装置取り付け具の標準装備
・生産期間とコストの減少
といったもので、同様に武装も
・主砲は70口径7.5cm戦車砲KwK42、もしくは改良型のKwK44
・同軸機関銃の7.92mm機関銃MG34をMG42に変更
・7.92mm突撃銃StG44に曲銃身を装着したフォアザッツP 2挺装備
とされた。
これらは当時としては極めて常識的な要求であり、このF型がパンター戦車の正常進化に位置していることは明らかであろう。
ラインメタル社で作成された新型砲塔の基本図面と、兵器局第6課でまとめられた要求仕様書はベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社に送られ、同社は直ちに新型砲塔の設計作業に着手した。
その開始時期ははっきりしないが、遅くとも1944年5月前後には設計作業を開始したものと思われる。
ダイムラー・ベンツ社で設計されたシュマールトゥルムは兵器局第6課の要求もあって、以前ラインメタル社でまとめられたものよりはるかにすっきりとした外観に変貌した。
また砲塔の装甲厚は前面120mm(パンター戦車G型では110mm。以下同様)、側面60mm(45mm)、上面40mm(16mm)、後面60mm(45mm)と大きく強化が図られたが、砲塔前面の装甲板がかなり小型化され、砲塔上面の面積も減少したのに加え、G型までの大きな防盾に代わる150mm(100mm)厚の小型のザウコプフ型防盾が採用されたため、装甲厚が増加したにも関わらず重量は従来よりわずかに減少し、製造工数は30~40%も減少した。
また砲塔リング径は従来のまま1,650mmであったため、そのまま現用のパンター戦車シリーズの車体に搭載することができた。
車長用キューポラは背の低い新型に改められ、上面には7基のペリスコープとそのカバー、そして対空機関銃架や双眼式望遠鏡等を装着するマウントが設けられており、このため機関銃架のレールは装着されていなかった。
主砲は、パンター戦車D~G型で用いられたラインメタル社製の70口径7.5cm戦車砲KwK42に代えて、ラインメタル社がチェコ・プルゼニのシュコダ製作所と協力して開発した改良型の70口径7.5cm戦車砲KwK44/1が搭載された。
このKwK44/1は揺架が新設計のものに替わったのに加えて、生産工程の簡略化を図って溶接部分を減らしており、これも重量軽減に寄与している。
圧搾空気を用いた砲身内の発射ガス排出装置は、新たに装着されたリコイル・シリンダーと一体化が図られたのも見逃せない変化である。
パンター戦車F型の試作第1号車では主砲の先端に砲口制退機が装着されたが、第2号車では装備されなかった。
これは駐退機が強化され後座力が12tから18tに増えたことによるもので、結局生産型では砲口制退機は装備しないことが決まった。
さらに将来的には、シュコダ社が開発した機械式高速装填装置付きの70口径7.5cm戦車砲KwK44/2、もしくは新たに開発された71口径8.8cm戦車砲KwK44をパンター戦車に搭載することも計画されていた。
パンター戦車F型の主砲には当初、新たに開発される新型の単眼式TZF.13照準機が用いられることとされ、ヴェッツラーのエルンスト・ライツ光学製作所に対して4,802基が発注された。
しかし実際には開発に手間取り、1944年10月と翌45年1月にそれぞれ1基ずつが完成しただけであった。
このため以前からライツ社で開発が進められていた、ジャイロ式安定化装置を備える次世代の照準機SZF.1が急ぎ装備されることになった。
SZF.1照準機は試験用として1944年半ば頃にまず10基が発注され、翌45年1月には1,000基が発注されているが、1944年9~12月までに完成したのは5基にしか過ぎず、1945年1~2月にかけて改良型のSZF.1b照準機が4基引き渡されただけに終わった。
一方、これまたドイツ軍戦車初の装備となるステレオ式測遠機は、イェーナのカール・ツァイス社が開発を行ったもので、基線長1.32mで15倍という高い拡大率と4度の視野角を有しており、当初車長と砲手いずれが操作するか議論があったものの、結局砲手が用いることで結論を見た。
しかし開発が完了したのが1945年4月で、敗戦までに1基が完成しただけに終わっている。
予定では1945年7月より生産を開始することとされ、発砲時の衝撃や砲塔旋回による狂いが生じることが危惧されたものの、スプリング式ベアリングを採用することでこの問題は解決できると考えられていた。
砲塔の旋回は、変速機から得た動力を油圧モーターに伝えて行うのは従来と同じだが、それまでのペダル式に代えて砲手の手元に置かれるスイッチ式が採用され、全周旋回には30秒を要した。
また従来と同じく、補助旋回装置として手動式の旋回ハンドルも備えられており、この場合全周旋回には4分が必要であった。
この他砲塔関係では車長用キューポラの右側に、指揮戦車として運用する際に増設される無線機用のアンテナ基部の開口部が用意された。
試作車ではアンテナを装備したものと、三角形のプレートを用いて塞がれたものの2種が存在していたようで、砲塔自体は少なくとも3基が製作されたようである。
また、最初に試作された砲塔では右上面に装填手用のペリスコープが備えられていたが、続く2号砲塔からは必要無しと判断されて装着されていない。
さらに砲塔後面には、パンター戦車A型で廃止されたガンポートが復活したのもF型の特徴である。
車体はパンター戦車G型のものが用いられることになったが、戦訓を加味して一部に改良が盛り込まれた。
最大の変化は、それまで操縦室の前方にあたる上面部分のみ装甲厚を40mmとしていたのを改めて、砲塔リングの手前までが40mmに、その後方も16mmから25mmに強化されたことで、このため溶接ラインがG型とは異なることが識別点となっている。
パンター戦車A、G型で車体前面上部右側のボールマウント式銃架に装備されていた無線手用の7.92mm機関銃MG34は、F型では7.92mm突撃銃StG44に換装されている。
また操縦手および無線手用ハッチはG型の跳ね上げ式からD、A型のようなスライド式に替わり、ハッチの横にはガイドが新設され、車体側面と前面の装甲板を溶接している部分の切断線がわずかに変化する等の変更点も確認できる。
パンター戦車F型の転輪は、試作車では従来と同じゴム縁付きのタイプが用いられたが、戦略物資のゴムを節約するため、生産型にはゴムを内蔵した鋼製転輪が用いられたものと思われる。
というのは1945年2月20日に兵器局第6課から出された、開発中の戦車は全て鋼製転輪とするという通達が存在するからである。
もっとも、パンター戦車F型を生産することになったダイムラー・ベンツ社の第40工場において、戦後の検証では鋼製転輪の在庫は無く、全て通常のゴム縁付き転輪しかストックされていなかったことが判明しており、初期の生産型では通常転輪を装着して完成した可能性も充分ある。
パンター戦車F型のエンジンは、D~G型で用いられたフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL230P30 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力700hp)が用いられたが、将来的には燃料噴射装置を追加した発展型のHL234
V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力800hp)または、ケルンのKHD(クレックナー・フンボルト・ドゥーツ)社製のT8M118 2ストロークV型8気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力700hp)に換装することも計画されていた。
1944年10月に決定されたスケジュールでは1945年3月にはF型の生産が開始され、8月には全てのパンター戦車の生産がF型に切り替えられることになっていた。
しかし生産スケジュールは遅れ、1945年1月の段階では最初のF型が完成するのは8月になる見通しとなっていた。
結局1945年5月に戦争が終結した時までに、完成したパンター戦車F型は公式には1両も無かった。
ただし、すでにF型用の車体は生産ライン上でG型用車体と並んで生産され、G型砲塔を搭載して完成したものがあり、F型砲塔は砲塔で完成していたのだから、最後のベルリン攻防戦で両者が結合されてF型が実戦投入された可能性も無くはない。
パンター戦車は、第2次世界大戦におけるドイツ陸軍のIII号戦車に代わる新世代の主力戦車であった。
大戦前、III号戦車にほぼ匹敵する主力戦車を持つ国は多くあったが、次世代の主力戦車を大戦に間に合わせて開発できた国は多くはない。
戦争中に改良型ではなく完全に一から、世界水準を凌駕する主力戦車を開発し量産配備したことは、ドイツの戦車開発技術および工業技術水準の高さを物語るものである。
パンター戦車はT-34ショックから急ぎ生まれた新型主力戦車であったが、良くその期待に応えシリーズ総計で5,995両が生産され、ドイツ最後の日まで主力戦車として戦い抜いた。
その性能はソ連軍の主力戦車であるT-34中戦車と、その改良型であるT-34-85中戦車にも勝り英米軍の主力戦車を凌駕していた。
しかもパンター戦車の可能性はそれだけでなく、その改良型は終戦時に生産の途上にあり、さらに発展型も計画されていた。
パンターはまだまだ発展余裕のある優秀な戦車であり、第2次世界大戦における最優秀中戦車の1つであったといえよう。
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